ふかわさんの羅針盤が示す先は きっと変わらない
2022年春から「バラダン」※ TOKYO MX の情報番組 「バラいろダンディ」 が マンスリーアシスタント体制となり、今年2月に大御所である山田邦子さんがその位置に就いた時は驚いたし、その理由もまるでわからなかったけど なんとなく安心はしたんです。
その後ふかわさんの喉が絶不調となった時なんて まさに良かったと思い、それ以降は邦子さんの延長続きで
一部の曜日しか視聴していない私が言うのもなんだけど、落ち着いて見ていけるものだと安心しきっていました。
"MX ギャラ大丈夫?" なんて事は、こちらが案じるものでもないですし。
なのにさほど間を置かず、番組終了が告知され
ふかわさん自体が大丈夫?な状況になってしまった。
他の出演者の方達はどうにかすると思うんですよ。
いや、ふかわさんだっていずれどうにかするとは思う。
でも「世の中と足並みが揃わない」のタイトルで著書を出す人であり、
「いい人、辞めました」のタイトルで著書を出しても
辞めてなんかいない人です。
そしてなにより ペラペラになった ” 寄り添う ” という言葉の厚みを何とか保たせてる大切な一人でもあると、私は思っていましたから。
細やかに、できるだけ望ましい言葉を探す表情を
彼を慕う人達は見つめてきたはずだし、おそらく変わる事はないと
願うように思っている、自分もその一人で
恐れずに言わせてもらうなら
見続けてきた側もまた同志であると。
そんな中ふかわさんは、" 出航 " なんだと言い切った。
なら同志は テープの端を離すのではなく
一緒に乗り込む気持ちで
共に寄り添う力となれたら。
任期後半に邦子さんと進行した事はふかわさん、邦子さん双方に貴重な機会だったように思います。
先日の放送では、自他ともに認めるスイカ好きの邦子さんが 自ら栽培している姿を追った様子が流れ、その話にふかわさんもコメンテーターの方々も神妙な面持ちで聞き入るシーンがありました。
一時代を築き 未だ追随する人が現れない彼女が
自らの運転で通い、耕し、その後
「バラエティー(タレント)だからね」と寄席の舞台に立ち
「結局なんでも人との繋がり(だから)大事にしていきたい」「年を重ねていくごとに応援してもらってなければ どうしようもない」と
あの小藪さんもゲスト出演後に感服していた、その立ち位置に誰も異論がないはずの邦子さんが言うんですから。
それらの言葉は 何かしら酷い痛みを負った経験がないと真に響かないけれど、幸か不幸か年を重ねれば誰もが負うものでもあり、後進に伝えていくものでもあると思うのです。
ふかわさん自身が何か負っているのかは知らないけれど
こちらは一緒に負う事にしたひとつでしょう。
昨秋公開された収穫の映像 (これを動画と言いたくはない) は
手を止めて見入るほど 生命力に溢れ
それは幸せな気持ちにさせてもらいました。
https://www.youtube.com/watch?v=lEBEyCGrYPw
こちらは長くブログを続けてきた彼が
始めるにあたり書き記していたこと
今後の話としては、川添愛さんとの対談集「日本語界隈」が来月半ばに刊行されるとの事で、エッセイ以外の活躍も楽しみです。
脈絡がないこちらは
記事以前に作っていたためなんですが
息抜きな感じで挟ませてもらいましょう。
以降は直接的には関係しませんが
広く繋がる事なので綴ろうと思います。
かの案件以前に
フワちゃん自身がウソ泣きを躊躇なく再現するシーンを見た事があります。
再現の場にいた彼女より年長の人達は、怪訝そうな顔をしても きちんと諭すような事はしませんでしたし、このウソ泣きの件をフワちゃんは他の場でもしており、やはり同じような空気のまま流れていきました。
彼女とは別件で、著名人がSNSで中傷されている件を採り上げるなか「自分も一緒に中傷した」と微塵のためらいもなく言った若いタレントに、共演者は皆唖然としながら、口火を切った人が発した言葉は
「あんた、気を付けなよ」
どうとでも取れるその言葉の真意を他の出演者が尋ねると、そのタレント自身が炎上しないようにという意味だったようで、世間では好感度が高いとされる人から出たものでもあり、危機的な状況に感じました。
また「若者が少ないんだから 尊重されて当たり前」と
当の若者が言うのを耳にして
そこまで明言する事はなくても、多くの若者の深層心理には定着しているのかもしれないと思いつつ、それは彼等のせいではないとも思ったのです。
ハラスメントという概念が広がる中
どう立脚して話せばいいのかわからず
でも阿る対応ばかりでは
社会の歪みがひどくなる一方。
取り沙汰されてから結構経つ” マルハラ ” にしても、バランスの取れた意見は滅多に挙がらず、殆どが モヤモヤしつつ「気をつけよう」と終えてしまうわけで
その わずかに挙がっていたバランス思考からは
一過性のもの以前に基本をきちんと把握しているのが肝心で
そこに確固たる自信があれば毅然と対応でき
それは何に関しても通づる、と確信はしたものの
当たり前のようで難しい事には違いないですし。
経験が少ないから自信がなくても不思議はない若者が、流行というものを取り入れて得るのは、虎の威を借るような自信なのに
それが集団化すると大きな力になり、上述の様相が生み出されるのは
例えとして挙げれば、スラングあたりでしょうか。
年を重ねれば 多くの人はそれが勘違いと気付くけど、自信の無さはさほど変わらないから、大きな力には曖昧な態度でやり過ごし
さらに積み重ねれば、ますます自身を肯定しずらくなる構図。
若者部分の流れはSNSの中傷問題にも当てはまり
いかに個々人が肯定感を育める社会に建て直すかという事に尽きる気がしてなりません。
収監されている人達が、ウイルスを防護するものの依頼を受けて俄然やる気を出したり、小さいお子さんや年配の方に無理のない範囲で できる事をお願いすると目覚ましい変化が見えるといった事を聞くにつけ
生きる意味や価値のようなものを 一生追い続けるのが
人なんだと思うのです。
そこが厄介である一方で、面白さを生み出す源泉とも考えられるでしょうし
何事も分断や対立する構造で考えない事が重要だと言えそうです。
ここで
あぁそうかと。
ふかわさんが世の中と足並みが揃わないと感じるのは
疑問を抱く事に阿らず
理想を追う事をやめないからなんだろうと。
勝手にそう結論付けて
自分はその船の追い風になりたいと思うし
向かい風に立ち向える強さを得ようと思うのです。
” 五時に夢中 ” に里帰りした回も
久々に振り返ってみました。
無茶振りされての
「いい加減、保冷剤処分したら?」
またふふっと笑わせてもらいました。
彼から生み出されるものは
いつでも どのジャンルでも
ふんわりと穏やかな気持ちにさせてくれるんですよね。
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