息子さん、あと1日で終業式


大変な1年、本当にお疲れ様!

自習は順調、ラグビーに打ち込む充実した自粛期間を終え、待っていた6月からの学校生活は、
校庭の使用制限、休み時間は水飲みトイレ以外立ち歩き禁止、お喋りは極力しないで折り紙や自由帳に絵を描くこと。
それに勝手に絶望をしたのは、私。

そんな中でも、内心つまんねえなと思いながらも、指パッチンにハマり、ねり消し作りにハマり、紅蓮花にハマり、
将棋にハマり、テンカにハマり、折り紙での駒作りにハマりながら、それなりに学校に通ってくれた。

体を動かさないと様子がおかしくなってしまう彼の運動不足を危惧して12月に始めたブラジリアン柔術とレスリングは、
見事にどハマりして、週5-6で通い、おうちでも嬉々として首を締めてくる。
気づけばラグビー、プール、柔術、レスリング。運動三昧、天晴れ。(あと工作)

この環境下で、心がまともであればあるほど、歪みがでるはずなのに、
我が子は想像以上に強く、しなやかで、するり身をこなしてそれなりに楽しみを見つけていくそのレジリエンスにはただただ圧巻だった。
多分子どもの頃の私だったら、壊れていたと思う。誇りに思う。

学校に思うことは多いけれど、
それと同時に、大きい紙に画角いっぱいにのびのびと描く水彩画や、いつの間にか卓球が上手になっていることや、
面倒くさいんで適当に書きますを宣言したしたようなわかりやすい文字と、往還する先生の赤ペンの日記をみていると
私は単に寝る場所食べるものを提供しているくらいで、
学校生活と学童生活に育てていただいているのだなと、ありがたいやら、申し訳ないやら、複雑な気持ちになってしまう。

生まれて四六時中抱っこしていたのはつい先日のことのように鮮明で、その時は責任に苦しくて、重くて、愛しているのに少しでも離れたくて
でも自分が彼の毎日を掌握をしていたはずなのに
もうあっという間に手の届かないところにいて、手を離したつもりはないのに、彼のことはわからないことばかり。

もう子育てはてんでダメで、そもそも私自身で自分の世話ができず、
物の管理、スケジュールの管理、片付けと事務作業が極度に苦手な私が、子どものそれまで把握するのは不可能なわけで。

仕事との両立は、常に迷いと後悔の連続で、この方より大切なものはないはずなのに、
それでも仕事ばかりしてしまっている自分に罪悪感と劣等感めいたものを感じて。
何より私は精神的に未熟で、子どものために自分を犠牲にすることに強く抵抗している。

思えば6年前に開業届を出した時、
子どもに対して「申し訳ない」を少しでもなくす仕事の仕方をしようと決意してはじめたはずなのに、
夫婦で仕事ばっっかりして、思い返すと「申し訳ない」しかないw

今という時代の特性だけでなく、そもそも根本的に脳内が混沌な彼は、
きっと生きていくのは大変だと思うけれど、
時折みせる圧倒的な語彙力や、ツンと本質に突き刺していくような鋭く独特なものの見方や、狂気さえ感じる没頭の仕方を見ていると、
とんでもないものを産んでしまったと思うし、これはもう夫や私を軽々と超えて踏み潰して、手の届かないところへ羽ばたいていくと思うし、
何よりもそれを楽しみにしている。

私に未来への希望を持たせてくれる、唯一の存在、最も澄み切っていて純粋なもの。


もう勉強ができなくてもいいし、いい子じゃなくて全くいいし、毎日毎日笑顔でいられなくてもいいし、
健康でいてくれればそれでいいし、もうなんなら、健康でなくてもそれでもいい。
ただ、いてくれるだけで、それだけでありがたい。


これからも、なるべく手をかけすぎず(これが非常に難しい)、彼を持つものを潰さないように
ただただ、彼が帰宅したら、愛情のプールにぬくぬくと浸かっていただけるように

大変な時代だけれど、本当に、子どもは希望だと思います。
卒業おめでとうじゃないのに、おめでとうと言いたいくらい。1年、ほんとうに、お疲れ様!

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