人の優しさに触れた先週末の夜だった。 思いもよらない悪意を寄せられていることに気づいた年明け。気づいていなかっただけで、その悪意は実は根を張り、私を地中に引きづりこむような力を持っていた。分かり合えない人とは分かり合えないし、理解できない人を理解しようと思っちゃいけない。その悪意の理由を突き詰めてみると、私がその人の視界内で息してるだけかもしれない、ただただ怖い。 ただ、寄り添ってくれた人たちがいて、とてもとても救われたし、思った以上に「優しさ」は人を救うんだって知った。
結婚12周年! 結婚して数年で早々に結婚指輪を無くした私ですが、先月くらいから無性にココクラッシュが欲しくなり、結婚指輪を新調することに! えりこさんにお願いしてみにいったら、ネットでみていた時にはノーマークだった太いタイプがとてもとても素敵で!そもそも結婚指輪をこれまでつけてなかったのに、細くてシンプルな必要あるのかな?どうせ数年でなくすか飽きてまた10年後くらいに新調するんだろうし今好みのものでいいんじゃない?ってなって、人生初の太い指輪。 加齢とともにどんどん指の節が
冷房効いたお部屋でBさんとお昼寝するの巻💤 最高に幸せな時間🍍 幸せってなんだろうな 望んだわけでもないのにこの世に産まれ、一度きりの人生だからとせっつかれ、お尻たたかれここまできたよ。 気づいたら、中身は何にも成長しないのに40歳になってて、子どものお尻をたたく身になってた。 なにもかわらないのに でも周りは変わってく。社会はかわっていく。 子どもの頃はもっと堅牢で強固なものだと思ってた大人が作った様々なシステムは、実は脆くてぐらぐらで所詮人の手によって作られた陳腐なも
なんで街で食べるランチとはこんなにも味が濃くて美味しく感じられないものばかりなんだろうと思うことからサラダの探求が始まった。 定食やランチメニューと称するものは、いつだって暴力的で、不感症にならないと食べ進められない。 目を瞑ってたって口の中から押し寄せてくる強い味。 白米といったりきたりしようが果てしなく続く、退屈。 サラダ専門店のサラダだって同じだ。ドレッシングの味しかしない。 ということで、なぜサラダ専門店のサラダはあんなにもドレッシングの味しかしないのか、という疑問
Marriage Story 2019年のNetflixオリジナル映画 とてもいい作品だった。 ちゃんとした映画って、元気がない時には見れないのは私だけ? 軽いものばかり見ていた数年。 最近は英語の勉強も兼ねてSelling sunsetとかEmily in Parisとかくだらない(失礼)ものばかり見ていた。 こういう映画を見たいと思えたってことは、元気が出てきたってことかもしれない! 久しぶりに役者の演技に痺れ、終わった後も咀嚼し続ける作品だった。 女優のニコール
北海道・旭川へ、犬ぞりをしに行ってきたー! もう…. 人生観が変わってしまうんじゃないかというほ どに最高な体験で、未だ余韻に浸っている… 元々、私は犬が大好きで、犬に人間を引かせるのは申し訳ない、虐待になってしまうのではないかとすら思っていたのだけれど。 でも最近、狼にも興味があって、犬ぞりの犬も狼の習性に近いとのことで好奇心が勝ち、参加を決意。 マイナス20度、宿泊するゲルも寝るときは薪ストーブを消す(!)とのことで、楽しみよりも寒さに対する不安が強い状態で、当日を迎
先日息子が念願の金メダル取った話に、たくさんの「おめでとう!」をありがとう。 全て本人に伝えました❤️ 他方で、「これは息子くんの自己肯定感高まるねー」みたいな返信が多くて少し戸惑った。 自信はつくかもしれんが、自己肯定感をこれではき違えてもらっちゃ困る。 自己肯定感とは、「できてもできなくても私は素晴らしい」「ありのままで自分は素晴らしい」と肯定する力。 挑戦して勝ちとることは素晴らしい。 例え負けても、挑戦することが素晴らしい。 こういう大切なことをスポーツは教え
突然ですが。 私の母は2006年に乳がんが発覚し、克服し、2015年に膵臓がんが発覚し、2016年に亡くなりました。 その後、2017年に父が1型(!)糖尿病を発症しました。 人の一生は、ろうそくのようなものだと思っています。 この世に生を受けた時から、太い・細い、長い・短いは、もう、予め決まっていて。 それは運命ですから、食生活でなんとかなるものではない。母は、ただ単に、太く短いろうそくだったのだと思っています。 でも、それでも、早く発覚すれば、腫瘍が手遅れになる程大き
草津に、今シーズンのスキー滑り納めへ来ている。 今年4回目の草津。今回は、友人家族がジョインしてくれたおかげで、 とても賑やかで、いつも以上に楽しい旅になった。 子どもは3人。この春から中2になるお姉ちゃんAちゃんと、小5になる妹のBちゃんと、うちの息子。 彼女たちと過ごす3泊は、とても楽しくて、学びがあって、 子育ては親がするものではない、もっと言えば、親が子を育てているだなんて考えること自体がおこがましいと痛感した時間でもあった。 Aちゃんは、それはそれは無垢な少女であり
今日は劇団四季のライオンキングを息子と観てきた。 ライオンキングの映画どころか、ディズニーと全く無縁の我が家ですが、きっかけは、息子がある日いきなり白目を剥きながら「ナァーツィゴンニャーマバギィーツィババー」とライオンキングの最初の歌の冒頭のモノマネをしていたこと。 それがめちゃくちゃ面白くて! そういえばミュージカルに一緒に行ったことなかったなと思って恐る恐るチケットを取ってみました。彼が2時間も3時間も座っているのは不可能に近いのは分かっていたし、だからこそこれまで
大変な1年、本当にお疲れ様! 自習は順調、ラグビーに打ち込む充実した自粛期間を終え、待っていた6月からの学校生活は、 校庭の使用制限、休み時間は水飲みトイレ以外立ち歩き禁止、お喋りは極力しないで折り紙や自由帳に絵を描くこと。 それに勝手に絶望をしたのは、私。 そんな中でも、内心つまんねえなと思いながらも、指パッチンにハマり、ねり消し作りにハマり、紅蓮花にハマり、 将棋にハマり、テンカにハマり、折り紙での駒作りにハマりながら、それなりに学校に通ってくれた。 体を動かさない
17時入店、19時15分退店という短時間の怒涛スケジュールだったけど、100点満点で楽しめた。 以前こちらを「ディズニーランド」を称したけれど、その圧倒的パフォーマンスは変わらず健在。 ホスピタリティ、お料理、ワイン、気、どれをとっても素晴らしくて、このレストランは総合芸術だなあと思う。 こちらのお料理は、「おいしさの構成要素」が多くて、さまざまな角度から私を刺激してくれる。 一皿一皿、季節的にも状況的にもとにかく春を待ち焦がれる私たちに、喜びと希望を与えてくれる。嗚呼
これからここで文章を書く時は、「nightswimming」だよ。 先日、ひょんなことから7年前に書いていたブログを見つけた。 7年前の私は、nightswimmingさんで、 ブログの題名は食と全く関係のない「Love you lately」で、 自分のことを自分の下の名前で呼んでいて、毎日の日常をおおかたうまく言い当てていた。 もう今は、枯れてこんなに言葉がでてこない。 頭でっかちに考えているのは同じなのに、インスタを開きすぎて、映像が声高に叫ぶことに諦めてし
母が夢に出てきた。 昨日は母の月命日。亡くなって、4年と5ヶ月、夢に出てきてくれたのは、2回目。 ほんとは草津に遊びに行っている父の代わりにお墓へ行こうと思っていたけれど、 「週末は雨が降って寒いから、お墓参りはやめておきなさい。」と、珍しい、違和感を覚えるくらいのLINEを父からもらって、特にイベントもなく退屈な雨の土曜日を過ごしたところだった。 夢では、2つの場面が交錯していた。 飲食店の、居酒屋みたいな場所で、2階に上がるところ 明るめの木目の階段、前を上る、父の足
今日は、ヒョンビンしのお誕生日。 子どもが朝、アレクサから9/25と聞いて「ヒョンビンのお誕生日❣️」と叫んだ笑。なぜあなたが知っている笑笑 私は2カ月くらいヒョンビン沼にいる。 コロナ禍も大分経った夏のはじめ、まやに強引半ばパワハラ並に、「愛の不時着」をみさせられてヒョンビン沼にハマった。 愛の不時着 https://www.netflix.com/jp/title/81159258 その後は「シークレットガーデン」という全てに年代を感じる15年以上前の古臭いラ
自分がどうしたいか、何をしたいか よく、こうやって文章にしていた時代があった。 日記がわりに、ほぼ、毎日。箇条書きにした欲しいもの、なりたい自分。 お風呂の中で、ぬんぬん茹だりながら書き留める。 そこには、精神的に幼かったのもあるけれど、自分がどうしたい、自分がお金を貯めてこれを買いたい、自分、自分、自分。のエゴイスティックな欲望しかなかった気がする。 それはとても生々しくて、微笑ましかった。 エルメスのバーキンや、クリストフルの栞や、ラルフローレンの香水など