不安な気持ちで「Uターン転職」を決意した、3年前の自分へ
こんにちは。そが ちえりと申します。
私は3年前の2020年1月、地元の新潟にUターン転職をしてきました。
※トップ画は、前職の忘年会で同期から送別の花束をもらったときの写真です。サプライズだったため不覚にも大号泣しています。
略歴はざっとこんな感じです。
新卒で大手通信会社に入社。社会人3年目の冬に、地元新潟へUターンしてきました。理由は2つ。
・新潟に「首都圏に負けないくらいの"カッコイイ企業"」を作りたい
・将来、子どもを育てるなら新潟に住みたい
なんで新潟にカッコイイ企業を作りたい!と思ったか。それは「友だちに新潟へ帰ってきてほしいから」です。めっちゃ単純。
新潟出身の友人はたくさんいて、「働く先があれば新潟に帰りたいな~」という声をよく聞いていました。
そんな友人たちが帰ってきたい!と思えるような魅力的な働き先が、新潟には必要なんじゃないか?
これが、Uターン転職の原動力でした。
ただし前職がホワイト大手企業だったこともあり、転職は結構反対されました。
周囲の声を押し切って転職。その経緯を書いたnoteが、少しバズったりもしました。
「よーし、新潟でバリバリ活躍しちゃる!」と決意して始めたUターン生活も、丸3年が経とうとしています。
しかし、Uターン後は私生活でアルビレックス新潟の応援・サウナを満喫。肝心の「仕事」については、全くnoteを書いていませんでした笑
仕事面でも、この3年でかなりいろいろな経験をしたんです。せっかくなので、仕事の話メインで振り返りのnoteを書こうかな~と思った次第。
ここまで読むと「希望に胸を膨らませて意気揚々とUターンしてきたヤツ」に見えますが、実際は
・「新天地で活躍できるかな~!」とワクワクが2割。
・「収入減るけど大丈夫なんか?」「『転職するべきじゃない』って周りに言われたけど、自分の決断に後悔したらどうしよう」という不安が8割。
期待と不安が入り混じってた、というか 期待2・不安8 と断然「不安」な気持ちが大きかった当初の自分。
そんな3年前の自分へのアンサーとして、noteを書ければなーと思います。
・ ・ ・
ところで今、何をしてるの?
「いまどんな仕事してるん?」と聞かれることが多いので、ざっくりまとめます。
現在は、新潟のWebマーケティング会社「ユニークワン」で、自社マーケ&広報をしています。
入社当初は、広告運用・サイト分析・SNS運用など「クライアント案件」を行う部署にいました。入社して1年くらいで、今の部署に異動。マーケティング・広報を2年くらい経験しています。
入社当初から「自社ブランディング」に携わる仕事をやりたいと感じてたので、現在のポジションは希望が叶ってます。
具体的な仕事内容は…
・自社マーケ:「リード獲得」の仕事。オウンドメディア運用・セミナー運営・メルマガ配信・SNS運用‥‥と、いわゆるBtoBマーケ施策を一通り企画・実行しています。
・広報:「ブランディング」の仕事。プレスリリースや外部メディアとの折衝、採用広報…と、いわゆるPRの仕事をやっています。
事業拡大に直接かかわれる「マーケティング」と、長期的なブランディングにより会社全体の成長に寄与できる「広報」。
両方に携われている今の環境は、とても恵まれていると思います。
辛かった・キツかったこと
Uターンしてきてからは、楽しいことばかりではありませんでした。というか、辛いことの方が印象に残ってます笑
人生で初めて「キャパオーバー」を経験
転職前は、キャパオーバー状態になったことがありませんでした。
もちろん大変なことはたくさんあったけど、「マジで無理、、しんどい、どうしたらいいか分からん」という極限状態に陥ったことはありません。
しかし転職して1年後、人生で初めてキャパオーバーに陥ってしまったんです。理由を整理すると…
①人生で初めて「マネージャー」という役割になった
→いきなり8名の部下(私より優秀&年上な方ばかり)を抱えることになった
②会社の経営方針が、フリーダム→ルール・仕組み命な組織運営に
→プレーヤーとしての仕事だけでなくマネージャーとして「仕組み」を考えないといけなかった
③頑張っても評価につながってると実感しにくい環境だった
プレーヤー→マネージャーという「自分の変化」と、経営方針などの「環境の変化。両方についていけず、1ヵ月休職することになりました。
当時同じ部署にいたメンバーの皆さまには、多大なご迷惑をおかけしました。会社としての過渡期に組織が上手く立ち行かず、退職してしまった方も少なくありません(関係者の方々、本当にごめんなさい)。
自分が体調を崩したことよりも、自分の力不足でメンバーにしんどい思いをさせてしまったことの方が正直辛かったです。
ただ、キャパオーバーに陥ったからこそ学べたこともありました。
・マネージャーはスーパーマンではなく、「役割」の一つでしかない。出来ないことは素直に周りへ頼るべし。
・「やること」ばかりでなく「やらないこと」を決めるのも重要
現在、広報&マーケチームで3名の部下を抱えるリーダーとなっています。
一度ダウンした経験が活きているからか、自分の役割を自覚しチーム全体にとって重要度の高い仕事から優先的にやれるように成長できたな、と思っています。
(もちろん、まだまだな部分もあります!!)
「もし前職を辞めなかったら…」他人と比べて落ち込む
大企業→地方ベンチャー企業に転職するときに、一番不安だったのが「待遇面」でした。
正直年収は下がりました。が、今の生活に不便しているかというと全くそんなことはないです。
ただ、「もし前の会社を辞めなかったらこのくらい貰えてたんだろうな…」と、転職をしなかった場合の自分と比べてしまうことはあります。
前職の同期とは今もつながっているので「そろそろボーナスの時期か~」とか「社会人●年目だとしたら昇格のタイミングだな~」とか、リアルに実感してしまうんです笑
特に、仕事で壁にぶつかってる時にSNSを見て、他人と比べて落ち込んでしまう。ということが、転職して1年くらいはよくありました。
嬉しかったこと・幸せを感じたこと
いきなり「辛かったこと」から書いてしまったのですが、Uターン転職してからは嬉しかったことの方が断然多いです。
「自分だからこそ」と胸を張れる仕事。会社の成長に寄与している実感
仕事でキャパオーバーとなり、1ヵ月休職。復職する際、現在の部署に異動しマーケティング・広報を担当することになりました。
特にマーケティング分野では、「テレアポをしなくていいくらい、インバウンドリードが入ってくる」状態を目指していました。
しかし、私が異動してきた時は「リード獲得」の取り組みをスタートしたばかり。人員も2名(上司+私)しかおらず、実働はほとんど私、となっていました。
理想とは程遠い状況に対し、まずは自分の得意分野で貢献しよう!とオウンドメディア運用に注力しました。Webマーケティングのお役立ち情報を発信する自社コラムです。
こだわったのは「とにかく良質なコンテンツを発信し続ける」こと。
Webマーケティングの記事は、それこそ星の数ほどあります。ドメインパワーが強いメディアもたくさんあります。
群雄割拠な中で、後発メディアをどう育てるか。しかもリソース的に、記事更新は週1が限界。かなりビハインドな状況です。
そこで私は、ごちゃごちゃ考えるのをやめました。「Googleのアルゴリズムは『本当にユーザーのためとなるのコンテンツ』をちゃんと評価してくれる!」と、愚直に信じることにしました。
記事ごとにペルソナ像を具体的に設定。インサイトを徹底的に想像しました。ペルソナは、お客様個人を具体的に思い浮かべることも多かったです。
良質な記事づくりのため工夫したのは「本人は気づいていないけど実は知りたかったことはなにか?」を想像すること。
検索キーワードに現れない潜在ニーズも満たせるコンテンツにすることで、ユーザーの期待を超える記事になる→結果としてSEOも良くなるはずだ、と愚直に取り組みました。
結果、月間PV数が2万PV→30万PVと、2年間で15倍にも増加。副次的な効果として、セミナーや資料ダウンロード、問い合わせといった「リード獲得数」も、2年前に比べ6倍になりました。
現在は、着任当初のゴールであったインバウンドリードから営業をスタートする仕組みが整っています(オウンドメディア以外にも色々チャレンジしましたが)。
オウンドメディアは、リード数への貢献だけではなく、広報的な効果もありました。たとえば、コラムをきっかけに「ITmedia」や「Web担フォーラム」といった大手メディアへの記事掲載にもつながったんです。
こういった取り組みが社内でも認められ、年間MVPにも選んでいただけました!
社長からは「この人がいなかったら会社の歴史が変わっていた、という人をMVPに選びました」という言葉が。
今までこういう賞をもらったことがないので、すごく嬉しかったです。
大きな会社では「●億円の仕事」「日本全国規模の●●プロジェクト」のような、規模の大きい仕事が出来ると思います。それはそれで、とても貴重な経験だと思います。
でも、大きな仕事は大勢の人が関わっている。となると、仕事の規模は大きくても自分の貢献度は数万分の1だったりする。「これは自分だからこそ仕事だ!」と実感できないこともあるんじゃないでしょうか。
社員数40名のベンチャー企業に転職したからこそ、「自分が会社を大きく動かしてるんだ!」と自信を持って言える仕事ができているな、と感じています。
ふんわりとした言い方になりますが、転職したことで仕事の主語が「自分」になったな、と感じます。
一緒に新潟で過ごそう!と誓った夫との生活
仕事以外にも、Uターンしてきてよかったなと思える理由があります。それが、新潟での結婚生活です。
以前のnoteにも書きましたが、新潟出身の夫と出会ったことで「将来は新潟に住みたい!」と強く思うようになりました。
お互い、都会と田舎のバランスがちょうどいい新潟が気に入っていました。付き合っている当初から「もし結婚して、子育てもするなら新潟がイイよね」という価値観が一致。
ただ当時、夫の勤務地は東京。「じゃあ私が先に新潟帰って基盤を整えておくね!」と見切り発車で遠距離恋愛がスタート。
自分だけ先に新潟へ帰ってきたものの「一緒に新潟で住む」までの道のりは難航。特に仕事の面で、夫も転職するのはちょっとな~…と、2人とも踏ん切りがつかない日々でした。
ところが、「コロナ禍」がやってきたことで事態は好転。夫の会社でリモートワークが推奨されたのをきっかけに、新潟で一緒に生活できるようになったんです。
夫が、今の会社から無理やり転職せずとも新潟で一緒に生活できているのは、本当に幸せです。
アルビレックス新潟という新しい生きがい
そして、一番予想外だったのが「生きがい」ともいえる趣味ができたこと。新潟のプロサッカーチーム「アルビレックス新潟」の応援です。
私は新潟出身にもかかわらず、Uターン前は一度もサッカー観戦へ行ったことがありませんでした。
しかし、新潟へ帰ってきてから1年。「最近アルビが強いらしくて気になる」とミーハー心で観戦したところ、まんまと沼にハマりました。
※その時書いたnote↑。想像以上にバズりました。
サポーター歴はまだ2年ですが、今ではホームゲームだけでなくアウェイ観戦にも遠征するほど、アルビにハマっています。
Uターンをきっかけに、こんなにのめりこめる趣味ができたのはいい意味で大誤算でした。
結局、幸せかどうかは自分次第
私が「心の支え」にしている言葉があります。
竹内まりやさんの「幸せのものさし」という曲にある歌詞です。
どんなに恵まれて見える人でも、他人と比べる限り上には上がいる。「相対評価」を軸に生きていると、「幸せ」よりも「不幸」を感じる方が多いように思えます。
Uターン転職をきっかけに、ポジティブなこともネガティブなことも、両方経験しました。
正直、「あーあ、大手企業でバリバリ働いてるあの友達は楽しそうだな~。私も転職しなければ…」と、今さら考えてもしょうがないのに落ち込むことは今でもあります笑
でも大事なのは、他人からみた「うらやましい」ではなく、「今の自分、いいじゃん」と自分自身が肯定できる生き方をすること。
Uターン転職をしたことで、当たり前だけど大事なことに気づくことができました。
SNSを見るとつい周りと比べがちですが、自分なりの「これだけは譲れない」を大事にした生活ができればいいんだ、と考えています。
ちなみに、私の「これだけは譲れない」は…
今の生活は、上記の「譲れないポイント」を満たせています。でも今後、転職したり移住したりすることもあるかもしれません。
ただ、他人がどうであれ、自分の「大切」を見失わなければ幸せなんだよな、というスタンスは忘れずに行きたいです。
…至極当たり前なことに気づいただけなのに、6,000字の長文になってしまいました笑
最後に…3年前の自分、よく決断したぞ!ありがとう!
涙を拭いて、堂々と帰ってこい!笑