カタリバ語り場 始まった記念日
今日は、カタリバ語り場、第一回開催記念日。
ちょっと懐かしいね。
次回は、ちょっと、ある場所で、と考えています。
関係者の皆様、どうぞ、私が声かけをした方、力を貸してくださいね。
以下、長文になります!!!!
これをしようと思ったきっかけは、
現場の看護師は、本当に、
『患者のために尽くしたい』ということが
できにくい環境に置かれている、ということを
現場で目の当たりにしたからです。
もっと患者の生活を知れ、とか、
もっと患者の暮らしをみよ、とか、
病前生活を理解して関われ、とか、
退院支援がなってないとか、
退院後の生活を入院前から、しれ、とか。
口で言うのは簡単です。
チェックリストも作ったら漏れないかもしれませんが、
そんなことはどこでもやっている。
ツールやスキルだけではないように思ったんです。
もっと根本的なもの。
求めるばっかりで、
どうしたら看護ができるかを、
どうしたら、時間の捻出や、心の健やかさを
考えてくれる人はいるのでしょうか?
つながるはずの在宅領域の人たち、
支援して差し上げたいはずの患者家族から、
晒される目はどんどん厳しくなっている。
病院では、
介護保険や医療保険の在宅サービスに繋がらない、
もしくは該当しない人も大勢います。
誰も入れない状況で、行政とやりとりして、
対応しないといけないケースも山盛り。
本人の意思決定、と言われ始めて、
決められない、自分に責任の取れない、
自分を大事にしない、その他いろいろの、
認知行動療法がいるんちゃうか、
って言う、その人の考え方や生き方をそもそも
ひっくり返さないと、この症例は、着地点ないよな、
というひとも年々増えていく。
病院から在宅が見えない面も多いですが、
在宅療養から見えない病院という雑多な人の集まる現実も
増えてきました。
病院は応召義務があり、契約ではないからです。
間違ったウォンツ。ニーズではない、「顧客意識」。
コンフリクトマネジメントが求められてくる、辛さ。
その中でも、
どうすれば患者理解をし、その人が健やかになるのかを
考え抜く真面目な人は潰されていく。
そしてもちろん、
在宅に帰る制度がある人は、在宅に帰さないと、
それ以外の人のいく先に病院は奔走させらていますから、
在宅領域の人に助けを求めます。
その結果、
在宅で支える看護師に求められるものも
どんどん高くなっている。
そして、
その職能の本質の
「看護」。
それに心を寄せられることができなくなっている。
ま、いろんな原因はあるでしょう。
教育背景や、
求められる加算の処理。
経営的な背景、
ジェネレーションギャップの深刻さ。
浴びせられるクレームの嵐。
要求の高さ。ニーズではないウォンツの嵐。
言い換えれば、職場でも「看護」を本当に求められているのだろうか、
病院経営上、カテコライズできないところを、看護師に
されていることも多いわけです。
そんな中、
それでも目の前の患者さんに向き合う精神力を持っている人は、
貴重です。
そんな人たちを支えているのは、
燃え続ける小さな炎「やりがい」なんだろうと思っています。
今、本当にその辺りを色々勉強していて、行き着くところは
そこでした。
その貴重な人たちの心に宿る看護や、
ずっと看護に邁進してきたのに、いつの間にか、それを
伝える時間も術も削ぎ落とさざるを得なかった看護管理者の
皆さんの小さな灯火や、
そういった大切なものに
今やっていることがちゃんと看護であると言うことの意味形成を
きっと私はやりたかったのでしょう。
今だから、その時の気持ちが
言葉にできます。
それは、第2回で、
今は、亡き大塚尊子さまのお話で、より強く感じました。
彼女からは、看護師として看護に期待することの大切さ
がん患者としての看護に期待されることの重さ、を
教えていただきました。
魂のような叫びは通じるものです。
他に何の調味料は必要ありませんでした。
1回めを上回る、人数の方がご参加いただきましたが、
先に述べたようなことに、
気づき、心をリセットし、
もっと、現場で「看護」を話す場を作らないといけない、と
真剣に考えながら
帰られた多数の方々の言葉は重かったです。
その後のその方々の努力、覚悟、活躍は、
素晴らしく、本当に、病院と地域をつなぐ美しい営みをしてくれました。まさか、そこまで、と思って、感動しました。
当時の大阪府看護協会高橋会長のご意見も、
本当に視野の広いものでした。
私の頭をふわーんと柔らかくしてくれました。
こういった場を持った時に思うのですが、
人というのは、自分の経験値や考えだけで、
ものをいうと、見えてこないものが多いです。
同じ仲間の中で、一旦合意形成した考えに
見たものをカテゴライズしてしまいがちです。
経験値の高い、知識のある方ほど陥りがちです。
批判したくなっちゃうかもしれません。
でも、私は、あれ?と思った時にも、
自分の視野が狭く、実は見えていないものがあるのではないかと
私は思うようにしています。
何が違うのかな?と思って、考え続けます。
先日の投稿で話した、「SNSバブル」のような中に
自分を閉じ込めたいと思わないのです。
そのほうが人生は豊かになりそうです。
まあ、話がそれましたが、
要は、このような場がまだまだ必要だな、と
論文を書いていて、理論的に感じました(笑)
早く仕上げないとな。
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