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たった数時間だけでも。「看取りの退院調整」

こんにちは。Chiecoです。
先日、とても穏やかな看取りの現場を守れた(といえる)退院調整ができたので共有したいと思います。(とても長文です)

患者さんは、高齢の男性。脳疾患と思われての入院が、専門機関での精査で難病であることがわかりました。奥様も別の難病で、ご本人はそのお世話をされていました。妻は天真爛漫で、ご主人を「Sちゃん」と呼んでおられ、車椅子で病院に来られることが多かったです。

本人の難病は、思いの外進行が早く、専門機関から帰られてから、どんどん悪くなっています。専門機関の医師からは、かなり厳しいことを本人にも妻にも伝えられています。今何をしても延命治療にもならない状況です。呼吸器や胃瘻は望まれなかったとの申し送りがありました。
奥様は、洗濯物などを取りにこられるたびに「連れて帰りたい」。
しかし、かなりの狭小住宅で、妻しか居ず、すぐに吸引や全身のケアが必要であることから、医療スタッフは二の足を踏みます。
病院スタッフは「何もしないこと」だけを方向性を決めていましたが、それ以上、どうして良いかわからない様子でした。

倫理カンファレンスが行われました。
その中で、今まで同様の疾患や、数時間に満たない看取りでも希望に沿うことができた事例の提供や、スタッフからの情報から、本人とご家族の今一度の意思確認と、それに十分添える在宅スタッフを見つけて、在宅に帰すことを模索することになりましt。

その2日後。
このコロナ禍での面会制限もありましたので、妻に、毎日少しずつ状態が悪化していく本人にお会いしていただくことにしました。痩せ細った体。車椅子に座っていると肩で息をする。昨日食べられたご飯も介助が必要になってきた。
それを見ても、妻は、ケアやその大変さなど理解する由もなく、でも、「連れて帰りたい」とおっしゃいます。
そこで、遠方からお母さんのお手伝いに来ていた、親族と共に妻に再度確認しても返事は同じ。
ご本人も、日に日に痩せてきてしんどくなっているけれど、車椅子座位で、懸命にその進行戦っているようでした。
本人に伺うと「ちょっとでも良いから帰りたい。」。

私は、今までのお付き合いを通して、神経難病の専門医で往診のできる医師を少し遠いけれど、打診し、お願いすることにしました。
訪問看護とケアマネさんは、妻の担当ではなく、そういった疾患に慣れたところを指名してくれました。
そして、すぐに、退院前カンファレンス。本人と、妻と妻の親族、そして、訪問看護とケアマネ、リモートで往診医も参加してくださいました。

その中で、ケアマネなどは、食事の形態、移乗の仕方、座位の方法、ベッドの位置など丁寧に聞き取ってくださいましたが、主治医からの話と往診医との事前の話では、「きちんと整えている暇はないような気がする」と思い、最短で帰れる日を考えましょうと、話をまとめました。

ありがたいことに、その言葉で、在宅の方、妻のご親族のかたが、「時間がない」ことを理解してくれたようでした。
その時何を一番に最優先すべきか。一番大切な部分を汲み取ってくれたのです。
その話が水曜日。
リモートの向こう側の在宅医は、最短で帰れる日を頭で考えながらも、妻に十分に看取りへの心の準備を話せる時間として土曜日を選んでくれました。

状況は翌日一変。
朝、ご飯をなんとか介助で食べられていた患者さんが、昼には、肩で息をするのもしんどくなり、吸引を要する状況となりました。一回の吸引で酸素化は良くなるものの、主治医から「家族への急変の可能性」について話す時が来ました。

患者さんは、個室に移動してもらい、車椅子で長く座っていることが辛い妻にベッドを横付にして見守ってもらいました。ほとんど反応がない状況でしたが、妻には夫の何かを感じているのかもしれません。
妻は「帰らせたい」。

往診医が、15時過ぎにお電話をくださいました。
その日、他の患者さんの訪問の合間に何度か私とやりとりをしており、状況を察知してくれていました。
「もう、よかったら、今日、今から準備して連れて帰ってこない?」。「訪問看護師さんは僕が話をするよ。」「主治医と妻に再度確認してね。」

その日はプライマリーナースが勤務日。妻に再度確認してくれました。答えは一つです。
主治医は、「往診医の先生がそういってくれるなら僕は異論はない」。
プライマリー「可能なら帰してあげたい」
主治医が、「今まだベッドを断る必要ないよ」といってくれていたこともあり、
妻の親族はその時間、ご自宅でケアマネさんと契約中、福祉用具がベッドを組み立てるのを見守っておられました。

医師から、訪問看護も了解をもらった、と連絡を受け、
酸素ボンベ付きのストレッチャーの介護タクシーを捕まえ、
プライマリーナースの仕事は病棟ナースが引き受けて、彼女が同乗、
16時には、病院をスタートしていました。

流石に、在宅酸素は、17時になるとのことで、病院から酸素ボンベを貸し出し、私がそれを引き受けに行くことに。
17時半ごろ、こじんまりしたおうちにつきました。

そこで見た光景は、、、。

ほとんど反応のないご本人様を駆けつけたご家族が囲まれていました。声をかけ、6−7人おられたでしょうか。本人とほぼ寝たきりの妻とのベッドの間は20センチもありません。みんなで、なぜかニコニコ、いろんな話をされていました。

当初、妻を心配し、在宅退院へ反対だった妻の親族も、「帰ってきたよかった」と良い笑顔を見せてくれました。
なんとも言えない、温かいムードに、邪魔してはいけない、と往診医の先生にお任せし、酸素ボンベを担いで帰ることにしました。

往診医、訪問看護、ケアマネジャーさん。
とても無理をお願いしたのに、「ありがとう、速やかに動いてくれて」と恐縮する言葉を投げかけてくださいました。
たくさんの感謝の言葉が飛び交いました。

病院に着くと、往診医から「帰られた後、すぐに無呼吸が始まり、亡くなられましたよ。みなさん本当に満足されていて、僕たちいる中で旅立たれました。とても良い最期でした。ありがとう」とまた言われてしまいました。

その日1日で、何度ありがとうといったかわかりません。
何度ありがとうと言われたかわかりません。

今回、たった、30分で調整できたのも、
誰も、どの結節点で、「まった」をかけなかったことによる奇跡だと思います。
どんどん呼吸が悪くなる様子は、病院主治医が「もう後数時間だろうから、このまま看取りましょう、動かすのさえ危ない」と言っても、誰も咎めなかったでしょう。どこかで、誰かがストップさせることは可能だった。

でも、誰もが、「家に帰すこと」「家でみんなで看取られること」「本人の希望を叶えること」しか考えていなかったことが、誰かに何か押されるようにいろんなことがスムーズにつながりました。

そして、誰もが、相手を尊重し、関わる人が困らないように、職種を超えて支え合って、声かけあえました。

ご本人を含め、すべての人に感謝したい看取りでした。

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