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年頭にあたり。
どうしてこの綺麗な薔薇を新年のページのphotoに使ったのか。
これが結構今年の私の目指すものに関係しています。
昨年も、さまざまな形で教育支援に携わりました。そして外部の研修も自分で受けたり、大学院に入学したことも大きいと思います。
組織の中で、私は、同じ組織のある方の言葉を借りると「すぐに的確に芯を食う」ことができるらしいのです。良きにつけ、悪しきにつけ、それを表面化させてしまうのです。
今目の前の問題の本質は実は関連がなさそうな「ここ」にあるんだな、ということがぼんやり見えてきてしまい、関わっている人々には全く見えていないらしいのですが、結果、やっぱりか、ということが多いわけです。
教育支援においても、インテイクした後で、解決していくべき課題とそれを示す根拠を伝えると「それが言いたかったんです」「なんでそうとわかるのですか、まさにその通り」と不思議がられることが多いのです。
小さい時から、かなり個性の強い身内がいたもので、人を観察し、疑問に思ったことは本に知識を求めたり、おじいさん、おばあさんと言われる年齢の方とお話しすると何時間も聞いていたり、ということが私のベースになっているのかもしれません。
ただ、それがちゃんと伝わるように丁寧にしていかないと、ただの暴走になってしまうわけです。私の癖は、「今後この人にとっては、絶対ここを頑張ってもらったら、その人にとってもっと学びや喜びや未来が待っている!」と思うとやはり熱が入ってしまう。徹底的に支援しようと思ってしまう。そこに「自分」は全くなくなってしまうと同時に、相手がどの程度それを求めているかが見えなくなってしまう瞬間があります。頭では私のいうことを理解している、が、しかしその人が本当にそこに「気分」が追いついているかどうかは、別の話。
そう、結構、気分、って大切なんです。
これは個人的な偏見かもしれませんが、「気分」が追いついていない人というのは、やはり、「自分」を深く客観的にそして前向きに見つめる時間を、そして自分のコアを育てる時間を経ないまま、大人になってきてしまったのではないかと思います。人には様々な側面があり、ドロドロしている感情もあるけれど、とても清貧な状況も強く望んでいたりして、簡単にタイプ別にすることはできません。
コアな自分に出会っていない人は、他人をタイプ別にすることで安心しがちであり、自分を深く掘り下げることを怖がる傾向にあるので、「気分」が穏やかでいられないのではないか、と最近思っています。
色んな世の中の成功者のプロトタイプを見て、そうじゃない自分をかわいそうと感じたり、ダメだと感じたり、そこからスタートするから、いつまで経っても満たされない。自分探しの放浪の旅に出て帰ってくることができない、片道切符。
自分の自分だけの幸せに目を背け、人が賞賛する幸せを目指そうとするのですから、それはしんどい作業です。今、SNSなどを眺めていると、特にそのように感じることが多くあります。
自分の感情に素直に、なぜいま、自分がこう感じているのか、をちゃんと冷静に見つめるにはやはり、「考える力」とそれを補完する知識が必要です。
学歴や勉強ができる、成績がいい、ということではなく、「謙虚に学ぶ」ということに尽きるのだと思います。納得いくまで学ぶということなのだろうと思います。
で、薔薇の写真のお話です。
お正月だから、それにマッチした写真をこのページにおかず、大好きな薔薇の美しい写真を置きたいと思う自分を今年も愛していこうと、心に決める年始でした。
さて、明日からニューフェイスも来ますので、頑張って仕事始めの準備をしたいと思います。
皆様、今年もよろしくお願い申し上げます。
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