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ご機嫌とりから始めよう
被害妄想が強くなった。疲れている証拠だ。
疲れが溜まっていたり、ホルモンバランスが乱れているときいつもは気にしないようなことが気になる。ささいなことで傷つく。身体が不調を訴えているかもしれない、そう思って身体に目を向ける。
目を向けたとき、丁度よくやすめればいい。丁度よく刺激の少ない生活を送れればいい。それができないのが人生っていうものです。ああ難しい。休めれば楽なんだけど。
1日が終わったと思ったら、もう次の日の朝。子どものイベントが多くなるけれど、仕事も休めないスケジュールをなんとかこねくりまわし、時間を工面する。工面したと思ったところにまた次の用事が。まぁ、師走の忙しさったら息をつく間もない。わたしも例にもれずそうだった。
まるで、今にも倒れそうなジェンガの順番をなんとか倒れずセーフでまわしているようなハラハラ感。または、渓流くだりのように、止まらない船に乗っけられて、もう、行ってしまえ感。止まらない流れの中では、抜け落ちる事象もあった。
子どもの2学期の終了式はお弁当があった。これを忘れた。もーしわけない。ほんとに凹んだ。学童でレトルトカレーを用意してくれたから、なんとか事なきを得たが、もう無理だった。お母さん無理だった。ごめんよ、娘ちゃん。
娘はわりとケロっとした子で、なんにも気にせず用意してもらったカレーをありがたくいただいたようだ。悲しい気持ちにさせなくてよかった。
そんな懺悔も乗り越えた翌日、仕事も納めてお昼すぎに帰ってきて、娘とダラダラしていた。完全に気を抜いたまま夕方になり、夕飯の準備を始めたところだった。
テレワークでこちらはまだ年末の追い込みの最中にいらっしゃる夫氏が、あれ?今日ダンスじゃない?と言った。そう、娘はダンスを習っていて、今日今年最後のレッスンの日だった。
まだ残ってたーーーーーー。ちょっと一瞬思考が停止しましたよね。娘もマイクラ(ゲーム)に没頭していて、これ、行くっていうかなー?と不安になりながら、今日ダンスだって、いける?と聞くと、わりとすんなり、わかったー、と。
おおえらいね、さすが子どもは体力あるか。わたしだけだねしょぼくれてるのは。なんて思いながら、スッと用意した娘のあとをヨロヨロとおばはんついて出ましたよ。
終わったと思ったあとのもう一撃はメンタルに来ますなー。ああ、もうひといきか。
養老先生の本、楽しんで読んでいたんだけど、ちょうど、昔の日本はよかった。子どもは子どもらしくいられた。と、ブータンの生活と日本の生活を比較して今の日本の子どもや大人たちに触れた章があって、それに傷ついた。今日は読めないと思って本を閉じた。
もともと、高齢の方たちの昔語は苦手で、その話に頭がフリーズする機能を搭載しているわたしは、この手の話に例のごとく拒否反応を示した。
人間は未来に向かっている。過去には戻れない。過去が良かったと言われても悲しくなってしまうのだ。いつもなら、気にしないで読めるけれど、今はそう、お疲れモードの頭。こんなささいなことで悲しくなる。厄介なもんだ。
みなさま今日もお疲れ様でした。
さあ、年越しは自分のご機嫌とりから始めましょうかね。