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月光浴

たまたま目が覚めて、たまたまカーテンを閉め忘れていて、たまたま窓の外を見ただけ。

ふと月と目が合った。

満月だった。夜中1時。窓の外から、まっすぐ部屋を見下ろしていた。

南の空にゆったりとたたずんでいるそれが、はっきりとした輪郭でいるのは、空に雲がないからだ。空気に水分を多く含むとゆらゆら輪郭がぼやけるのは科学の常である。

明るい光は、部屋に差し込んで、普段だったらカーテンをひいて、暗くして、残った豆電球の暖かい光のもとに照らされていたはずだった私たちを、それに代わり照らしている。

せっかくだから豆電球を消した部屋では、煌々と光る満月で明るい。隣で寝る娘の露出した腕や、顔を、眠っていても表情がわかるほどに明らかにすることができた。

月ってこんなに明るいんだ。素直に感動した。

月の本を読んだことがあって、昔の人は、月の光を頼りに、夜の生活を送っていた。太陽を頼りにしている現代人とおんなじに、月も頼りの生活をしていた。

だから夜、月の名前である月齢ごとの呼び名は、満月以降の夜には、月が出るのを布団に入って待つ、居待月、寝待月、伏待月、と月を待つ名前が残っている。昔の人が、月を待ちながら生活していたのが、わかる所以だ。

その、月を待って、月明かりのした、月を眺めるのをどんな気持ちだったのか、月の本を読んで体験したいとは思っていた。

まさか、こんな、偶然に出会えるとは思っても見なかった。

月と目が合ったら、おいでおいでとあまりに月が呼ぶので、リビングに行って、缶ビールをひとつ、昼間食べた残りのひとくちサイズの薄焼きお煎餅をコソコソと物色してゲットしてきた。

心を奪われてしまった君に缶ビールを掲げて乾杯と呟いた。4枚しか残ってなかったおやつをビールとともに楽しんだら、日光浴ならぬ、月光浴だな、と思ったら、月光浴って言葉が、あまりにもぴったりで、その記録をしたくなった。

そして、真っ暗な部屋で月に照らされながら、スマホにも照らされながら、目には悪いだろうその状況のまま、この記事を走らせた。

満足である。月光浴。最高じゃん。

書き終えた頃、明るかった部屋は、薄暗くなり、君が西へ少しずつ移動したことを告げた。娘は表情を失い、闇の中へ黒い塊となった。

君の本当の美しさを知らなかったよ。ごめんね。今日は会えて嬉しかったよ。
さよなら、また会おうね。

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