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太陽も地球もなくなるとしたら肉体からロボットにのりかえる理由に納得がいく。

人類はいつか滅びるとある著名人が当たり前に軽い口調で言った。
脳の記憶をデータ化できれば肉体はいらなくなるよね、生物学者も笑っていた。

なんだか、よくわからない世界が広がっているようで怖い気さえした。

だけど、最近、娘と良く科学館に行くので、科学を知るチャンスがある。すると科学音痴のわたしもあろうことか科学的にものごとを捉えようとする気持ちが芽生えた。

典型的に右脳人間で文系に偏っているわたしが、お会計の計算でもあたふたしてしまう理系音痴のわたしが、あろうことか科学の面白さにハマってしまいつつある。

すると、科学者たちの言うことが果たしてどんな意味を持つことなのか、勝手に想像するようになり、ただ怖いだけだった科学者たちの話を自分の頭で考えるようになったのである。

そして、最近は、わたしが科学者なら、という推論をひたすら頭の中で論じているのだ。

そのひとつがタイトルにしたことだ。

いつか、太陽も地球もなくなるなら肉体からロボットに乗り換える理由に納得がいく。

このテーマだ。

この間また家族で多摩六都科学館に行って、水の惑星というプラネタリウムのドームで見る映像作品を見た。

そこで学んだ。
地球は、太陽からちょうど良い距離にあるため水が凍らず液体のままで保たれる、生物が暮らすのにちょうど良い暖かさが保たれる、ハビタブルゾーンにいるという。

太陽にちかすぎると焦げ付き、離れすぎると凍ってしまう。

ちょうど良い距離に地球があった。

そして地球にある水が生命を生んで育んだ。

太陽系のなかに属する地球と土星。
土星にもたくさんの水があると考えられている。

しかし、その状況はあまりに違う。

土星は太陽が遠く離れた惑星なので、太陽の光が届かず。水が凍ってしまう。土星の周りのリングは小さな氷の粒が無数に集まったもの。それが土星のまわりを廻っている。無数の氷の粒は土星から噴き出した水が氷になったものと考えられている。

いまはまだ土星の奥深くを探索できないが、いつかそこに生物がいてもいなくても、人類はその水に何がいるのか調べにいくだろうと物語は語っていた。

子どもは暗い空間やあまりのど迫力の映像をこわがり、わたしも大きすぎる映像に酔い、途中で、このドームから出ることになってしまったのだが、自分が宇宙に放り出されたような、空を羽ばたくような、深海で漂うような気持ちになった、圧倒的な空間だった。

VRではないけど、VRのような没入感さえ感じることができるほどにドームいっぱいに映像が映し出される。

興味のある方はぜひ一度体験する価値のある時間だ。ただただ、酔うかもしれないし、怖いかもしれないことは伝えておく。

銀河のなかでも、地球はとてもラッキーな位置にいるためにわたしたちは生まれ生活している。

それがとてつもなく素晴らしいことに思えると同時に、とても恐ろしく思ったのだ。

わたしたちから見たら広い銀河のなか、分子の集合体のわたしたちが、とても容易いちっぽけな存在である、このか弱すぎる点においてだ。

今はまわっている地球も太陽がなくなれば凍りつく星になる。

地球もなくなれば人類は住む場所もない。

それまでに一時でもはやく、脳の記憶をデータに移行し、AIを進化させ、思考や感情を手に入れる。その頃にはそのデータを載せて移動したり、作業する本体のロボットももっと進化するだろう。

ロボットは気候に左右されない金属をまとうようになっているだろうか。腐食しない金属を纏っているだろうか。

もはやもっと別のものに、脳の記憶データとAIをうつすだろうか。

太陽がなくても地球がなくなっても人類の本体がなくなっても、そこまで完成していたら、人類は太陽も地球もなくても存続しているかもしれない。

シナプスは電気信号。
心臓も電気信号だ。

人間は分子の塊で、規則正しく、科学の理論に基づいて体を動かしている。

脳が願望を満足させることができれば身体はもっと楽になり、それができれば身体はいらなくなる。と。

データ化した脳なら、極端な話、戦争もなくなるかもしれないよね。

感情の制御というか、もう戦闘モードのデータを整理されちゃう。とか。

食欲、性欲、いろんな欲はもう嗜好品で。
今日はどのフレーバーにする?ぐらいの感じ?
笑える。

無駄に飲み食いしなくなった人類は、もう人類と呼べるシロモノではない可能性もあるか。それはおいといて、環境保護もバッチリ。

環境保護をコントロールして、地球規模のシムシティ!

なんてな!

想像の裾野が広がりすぎる。

科学者というのは、一体どれくらい先の未来を見ているんだろう。
一般人が想像できることは科学者はとっくに考えているだろうから、ほんともう、果てしない。

それにしても、おいてかれている場合じゃない。おそらくもう少ししたら、自分でプログラミングしたロボットが各々の家庭のお手伝いをする時代がくるんじゃないかと思っている。

科学館にあったプログラミングできるロボット、あのおもちゃを買って、娘と遊んで学んでおこう。わたしにはそれぐらいしかできないな。





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