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乳飲み子とスカイブルー。
台風から一転して快晴の今日
晴れ渡る空を眺めていると
子どもが赤ちゃんの時
お乳をあげたり寝かしつけたり泣いてるのをあやしたりしていたときにこの部屋から見ていた空のこと
その時感じていた気持ちを思い出す
寝かしつけでなかなか寝てくれなくてひたすら抱っこしてる時、あーお腹すいたなーとか膝痛いなーとか、他愛ないものから、赤ちゃん落としたらどうしようとか、上空に飛ぶヘリの音でヘリが今ここに落ちてきやしないかとか異常に怖くなった不穏な気持ちや、しんどいけど赤ちゃんがいることが幸せでこのまま時が止まったらいいのに、とかいろいろ考えていた。
今もあまり変わらない。
育児の不安や大変さを感じながらも、かわいい我が子の成長が寂しくて惜しすぎて、時間が止まったらいいのに、と思う。
合わせてわたしの止まらないシミの拡大やくすみで真っ暗になってく顔や産後ちりちりになって戻らない髪の毛の老化も止めてほしい。
なんかも切に願っている。
産後メンタルも体験して6か月を迎えた。
産後の赤ちゃんとひたすら一緒にいた時期。
お産がおわると、出産の疲労も癒えぬまま、3時間毎の授乳から始まって、ひたすら抱っこし続ける日々が始まった。
赤ちゃんが乳首をくわえることにより、乳汁分泌が促される。すると子宮復古も進むので、大変だと思われる授乳は実は母親の産後の身体の回復にも大きく影響しているので大切だ。
というのは看護師の教科書に載っている、看護師ならだれもが知るメジャーな通説。
でもね、わかっててもしんどいよね、おまたも痛いし、寝れないし、心も不思議なほど不安定で、なかなかの苦行が続くんだよね。
産後数日後、子どもに新生児黄疸が出て、しばらく黄疸を分解する機械に預けなければならず、泣く我が子を抱いてあげられないのが大層可哀想で、赤ちゃんの具合が不安すぎて、号泣して助産師さんに話聞いてもらったなー。
今思うと恥ずかしいけど、ほんとなるのよ。産後メンタル。いやマジで、体験しちゃったもんね。
そんなこんなで巷で聞くとおりの産後の経過をわたしもなぞりながら、実家に帰り、母と父に世話になり、そして我が家にやっと帰ってきた。
狭いながら楽しい我が家。
夫とふたりの子育てがやっと始まって嬉しかった。
でも我が家、4.5畳と6畳が2間。キッチンバストイレ込みだったから夫と2人でぎゅうぎゅうだった。
でも赤ちゃんのうちは呑気に過ごせていた。
これ、立って歩くようになったら物だらけでニッチもサッチもいかんぜよと
赤ちゃんも6か月になる頃うちを引っ越した。
新しい我が家は日当たりも風通しも良い家にした。
特にわたしが気に行ったのは、3階のその住まいのベランダから見る景色。
この住宅がひとつ飛び出していたので、どこにも目が合わず、広い空が拝めたこと。
雲の流れも雷明も月も星も遠いマンションの明かりも良く見えた。
そして、引っ越しもおわり、わたしはこの家で改めて育児を始めた。
赤ちゃんはもう6か月を過ぎていた。
時を戻そう。
少し前、M-1とったか、どうだったか、M-1だったかどうだったか。
あのキザな芸人のセリフをもらって。
時を戻そう。
わたしは今の娘を授かる前に、19週でお腹の中で亡くなった子がいた。
その子を産むための処置がたいそう痛かった。
心は痛いし、処置も痛いし、涙もとまらんし、辛い経験だった。
さらには、その子を授かるまでの長い間不妊治療をしていた。高度医療も経験した。
採卵も何回もやって、いろんな注射もしょっ中。これまたしんどかった。
結局なんでか最後は自然妊娠だったけど。
そしてまた新居に戻って赤ちゃん6か月の頃
そんなわけで、なんだか辛い経験が多かったもんで、子どもを亡くすことに非常に強い恐れがあった。
だから新居の頭上を飛ぶヘリに普通なら考えないような、自分の家に今落ちたらどうしようとか、そんな追い詰められたことを考えてしまうくらいにはしっかり産後メンタルになっていた。
しかも、スカイブルーが良く見えるこの家は、他のうちから頭が出ているぶん、遮蔽物がないので、空の騒音が良く聞こえた。
以前の家からすぐ近くに引っ越したのだが、以前の家は車通りの多い道路のすぐそばだったので、そちらの騒音で、こんなにヘリが飛んでいるのにきづかなかった。
車の騒音からは離れたが、階層が空へと近づき、ヘリと遠くに電車が走っている音は聞こえるようになった。
とくに夕方にしつこく上空を飛ぶヘリの音で赤ちゃんが寝付けない時には、どこに電話すれば苦情が届くのか真剣に考えてみたこともあった。
そのくらいヘリが飛ぶとうるさかったので、本気ですぐ上を飛んでいると思ってしまい、産後メンタルも手伝って、へりが今落ちてきたらどうしようなんて、本気で不安になっていた。
そしてもしヘリが落ちてきた場合、私ひとりだけ死んだらどうしようとか、この子を残して死ぬことがあったらどうしようとか、ちゃんと一緒に殺してくれないと困るとか、そうすると残された夫はひとりで生きていけるだろうかとか、あの人は狂うんじゃないかとか、とにかく負のスパイラル。
今もよく覚えている。
正気を取り戻している今なら笑い話でも、当時はいたって真面目にそんなことを考えていた。
でもこんな話、たぶん理解できる女性は多いと思う。それだけ産後メンタルも普通にあるということ。
そんな暗い気持ちをどう解消していたのかは不思議と思いだせないけど。
そんな危機的状況の日も、ただただ子どもが可愛くて愛しくて、あったかい日向で抱っこしてた日も、スカイブルーの空を眺めていた。
この景色は忘れない。忘れたくない。
そう思って赤ちゃんと過ごしていた。
そんな日も過ぎ去りその赤ちゃんももう4歳
赤ちゃんだった娘ももう4歳になる。
明日は誕生日。
娘と夫と誕生日の飾り付けをした。
作ったばかりのユニコーンの風船をはやくも割って台無しにした。
ちょっと夫に怒られてシュンとしてた。
でもご飯食べて、お風呂に入ったら
「もうひとつ寝たらおたんじょーび!」
と嬉しそうに騒いでいた。
2歳から保育園に入ったけど、コロナで入園後すぐ自粛生活になった。
その自粛生活の時には、ベランダでお茶したね。
暑かったけど喜んでおやつを食べていた。
オムツがはずれてからはそっからおねしょとの戦いが始まった。
晴れたらおねしょシーツとベットパットと布団が毎日のように干されて
4歳になる今もまだまだ絶賛おねしょ中。
今日もベランダの欄干と物干し竿をフルに使って、布団とシーツが勢揃い。
昨日が嵐だったから溜まってたその他の洗濯物もぜーんぶ干して、はためくそれらにホッとしながら、ふとみやった青空が
吸い込まれるようなスカイブルーで
つい赤ちゃんの頃の日々を思い出したんだ。