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ボールプールに突き進む人生
人はボールプールの中で生きているようなものだと思う。道を歩いていると、自分がボールプールの中を歩いているように思えて滑稽に感じる時がある。
ボールプールは、子どもの、小さな子ども、幼児の遊具広場によくみられる。直径2.3メートルくらいの広さのある場所の周りを低く囲った中に、床いっぱいにキャッチボールサイズのカラフルなビニールボールが敷き詰められているのが、ボールプールだ。
小さな子どもが入ると、身体がたくさんのボールに埋もれてしまうので、まるでプールのなかを泳いでいるかのような状態になる。ボールがクッションになるからこけても痛くないし、乗っかってもフワフワで楽しそうだ。
娘も幼児の頃に入っていた。あまりハマらなかったようだけど少しは遊んだ。小1になった娘とは、縁遠くなった遊具のひとつだ。
なんでこのボールプールが出てくるのか。ボールプールのボールひとつが原子ひとつと考えると伝わるだろうか。人間は無量大数個の原子の塊が組織となり器官となり動いている。網膜が見せている世界は目の前に原子ひとつひとつがあることを見せない世界だけど、人間も空気も水も車も木もビルも猫もみんなみんな何かの塊だ。ひとつはボールみたいなもんだ。
ギュッとしてるけど、全部がバラバラっと分解できるはずの何かの塊だと思うと、なるほど、世界はボールプールみたいなものだと、思ってしまう。
ボールの塊をなす人間が空気の塊となったボールを吸って、身体の中にボールが転がって吸収され、吐き出されたボールは空気中、すなわち体の外のボールと混じる。
ああ、そうか、世界中の全てがボールの塊なら、わたしはボールプールの中を生きているんだな、おもしろい。網膜が原子ひとつひとつまでは見せないけど、人間は何かの塊。
宇宙空間に発生したものが化学反応をおこし続けてできた、かたまりが太陽や、月や地球や、星や、草や木や、電柱や、恐竜や、みじんこや、始祖鳥や、まるで宇宙は果てしなく遠く感じるけれども、宇宙の始まりと私たちの細胞は、縁遠くないんだと知ると、宇宙も地球も人間も平たいお皿の上に置かれた何かの要素で。
網膜が見せないだけで、はるか上空からみた地上絵をカラーボールで表現したような世界なんだろうな。ボールで敷き詰められた世界の中を人間という塊が移動しているだけ。
そして今日もわたしはボールの世界を闊歩して生きている。