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若いカノジョの輝きと過去のワタシの輝きと
どーもゆらゆらchiellyです。
この間職場で若い子の感性にたいそう勇気づけられた話があります。
わたしは、もう43歳になります。
体力も落ちてきて、体調の自己メンテナンスが必須なお年頃。
まだまだ若いやつには負けんとか全然言えない。
全然負けるし、いや逆に憧れる。
眩しくて見つめたい。
この間職場の若い子と話していた時、放ったひと言が刺さりまくって
私をたいそう幸せな気持ちにしてくれた。
彼女を纏う輝きとは
私の仕事は訪問看護。
その日の訪問が終わって各々が事務所に戻ってきた夕方の話。
その日行った患者さんの情報交換をしながら世間話をしていた。
同じ看護師だけどだいぶ年下、でもこの事務所では先輩のTちゃん。
小柄で控えめそうな第一印象だった。
話してみると人懐っこい笑顔。
瞳の奥にはまっすぐで意志的な光が見える。
彼女はまだ若い。
そんな彼女が言った。
「みんな残らずかわいい」
患者さんのことだ。
わたしはそのひとことを聞いた時
心にグサっとナイフを突き立てられた。
わたしの頑張れない今の心待ちに刺さったんだ
そして若い頃の自分も似ていたのに変わっちゃったなと
若い頃在宅医療に憧れて訪問看護に足を踏み入れた。
看護師を始めた頃の私もキラキラしてた。
在宅でひとりで亡くなって何日も発見されなかったお年寄りがいた、というニュースを見て心を痛め、そんな人に手を伸ばせる在宅医療がやりたいと思った。
実際に訪問看護に足を踏み入れてもその気持ちは変わらず、患者さんに役にたつことが嬉しかった。
なかなか言うことを聞いてくれないじーさんも、すぐ怒るじーさんも、何かと言いワケばっか言うばーさんも、みんなみんな大好きだった。
わたしは腹がたたなかったし、思いを汲みとってなるべく本人の意思や家族の意思を尊重することに意識を注いだ。
怒りにも原因があるし、怒りじゃなくただ言い方が江戸っ子なだけだったり、それがむしろ愛着を示していたり、それがわかっていたから怒りはわかなかった。
そんなわたしも変わってしまった。
若い頃の訪問看護では終末期に携わり、どうしても死に向かう看護が多かった。
ひとり孤独に死ぬことを幸せと感じる人もいることを知った。
延命だけが最後の死ではないことを知った。
自然にひからびていく死が本人にとって楽なことを知った。
わたしの若い頃の死生観は見事に崩れて行った。
子どもを産んで、価値観が変わってしまったことも手伝った。
生の塊と対峙したら、その輝きの眩しさに心を奪われてしまった。
今、わたしは子どもの素晴らしさに毎日恋をしている。
間近に天使のようなクルクル変わる感情に触れ、そのあり得ないくらいにもちもちの肌に触れ、奇想天外な発想力を目の当たりにし、子どもの作ったわけのわからない創造物でも可能性は素晴らしいとそれを眺め、毎日を過ごしている。
子どもを迎えると政治の動向にも目が行くようになり、国のやること、若い人、同世代、年上の世代の考える政治の捉え方の方針にも歯痒さを感じたり。
世間の嫌な面も多く見るようになり、ただ老人がかわいいとは思えない毎日。
その毎日において、それを飲み込んでまた老人と向き合うこと。
そして無条件に尊重されるべき死に向かう人と向き合うことに自信がなかった。
子どものかわいらしさと、さらに自分が産んだ子のかけがえのなさが追加されたかわいらしさと、患者さんに注ぐ愛情の質が違いすぎることに動揺していた。
また、若い頃のようにわたしも患者さんを愛してケアできるかな、と不安だった。
そこへ、Tちゃんの登場だった。
彼女は曇りなきまなこで見定めていた。
患者さんたちの生活を、本人の良いところを。
全てを愛して訪問していた。
それがわかる。
「みんな残らずかわいい」
それは容姿だけのことではない。
ただ老人が好きというだけでは言えない。
過去のわたしがそうであったように、患者さんの生活も性格も全て愛情を持って見ていた。
困りごとをどうにか解消できるように手を伸ばして助けたい。
みんな残らずかわいい、なんて言葉はなかなか出ない。
困る性格の人はいるし、汚い家の人もいる。
本人はいい人だけど家族に難がある家もある。
いろいろいる。
それでも「残らずみんなかわいい」んだ。
グッサリ。
わたしの今一番不安な患者さんへの傾ける愛情への不安と
なんて真っ直ぐで良い看護師さんなんだろうっていう賛美の
両方が胸にささった。
恋にも似た感情だった。
一気にこの子を好きになった。
わたしもこの子と一緒に仕事をしていたら、昔のわたしを思い出せそうな気がする。
じーさん、ばーさんが大好きで訪問してた頃のわたしを。
そしてわたしの心は少し軽くなったのでした。
Tちゃん、ありがとう。
昔のわたしを思い出させてくれてありがとう。