アホヅラ個人事業主の2年目の朝
開業届けを出して1年が経った。
開業記念日は夫が気づいた。
わたしなぞは台風一過で快晴になったから干せずに溜まってた洗濯物を、おにばばみたいにすごい形相で一心不乱に干していた。
「今日開業日じゃん」と夫。
あ?と夫にアホみたいな声で返答した私。
便宜上、個人事業主になったわたしがライターを本気でやろうと思うまでの話し。
いつでも保育園を休めるようにしたい
世はえらいことになりました。
今まで見たことのない感染病の出現で世界がおおわらわ。
さて、我が家も一大事。
医療機関で働くわたしも日に日に増える感染者数にビビりながら仕事をしていた。
当時いたのは外来で、2次救急、外来&発熱外来、内視鏡、健診を日替わりで受けもっていたので、陽性者さんと接触する機会も増えてきた。
医療現場ではフルppeと言って
全身防護して陽性者さんの対応に当たった。
ひとりひとそろえ。
一回毎に脱ぎ着する。
暑い、苦しい。中汗だく。でも感染するんじゃないかと怯える日々。
まだその病気のいろんなことがわからなかった頃だったから、とにかく怖かった。
うちには当時3歳の娘、夫がいた。
自分が媒介者になり娘へ、娘の保育園、夫、夫の会社の人々へ、感染させる恐れがあった。
わたしが死んだら、夫が死んだら子どもが困る。
子どもが苦しむ姿は見たくない。
保育園の子どもたちも保育士さんたちも大切だった。
そんな気持ちがかけめぐり、自宅で保育し続けられる方法を考えるようになった。
悩みに悩んでひねり出したのが兼業webライター
家にいれば子どもをいつでも休ませられる。
家で仕事ができればいいのだが…。
家でできる仕事なんて…。
…。…。
あ、あるかも…。
コロナになる前、看護師に体力的に限界を感じていた。
家で出来る仕事はないかと模索していた。
たまたまランサーズでwebライターの仕事をためしていたのだ。
わ!これ、仕事になるかも!
兼業webライターに変更しても保育園継続は可能なのか?
兼業webライターに変更することは認可保育園の規定上可能なのか?
結果、可能だった。
住まいの役所に問い合わせてみると、収入の基準をクリアしていれば可能という返答。
保育園を継続するために必要だったこと(私の住まいの市区町村の場合)
認可保育園の在籍を継続していくためには市区町村指定の収入の規定をwebライターの収入がクリアする必要があった。
私は駆け出しライターでそんなには稼げないので、看護師との兼業で収入の基準をクリアすることを目標にした。
そのために(細かい事情は割愛させていただきますが)個人事業主となり、看護師を副業とする必要があった。
そしてwebライターのわたしが産まれた
様々な模索の結果、晴れて私はwebライターになり、兼業で看護師をすることになった。
元いた職場は退職し、時間が少なく働けるクリニックに転職した。
そうすることで、看護師のパート以外の在宅ワークの時には感染状況に合わせ子どもを自宅で保育できる時間を確保することに成功した。
具体的には、月木土曜日に看護師パートをした。
そのため娘は月、木は保育園に行かねばならないけど、土曜日は夫が保育してくれるので安心して仕事に行くことができた。
火水金は在宅ワークで家にいた。
もし感染状況如何では臨機応変に子どもを家に置いておくことが可能になった。
夫は幸運にも在宅ワークが可能な職業だったので、夫は稼ぐこと、私は娘の保育を全面的に請け負うことにし、作戦を練ってこの時期を乗り越えることができた。
夫はこの時期にたくさんの出費で家族の安全を守ることに協力してくれ、安心してこの時期を過ごすことができ大変感謝している。
コロナ貧乏にはなったけど・・。
こどもの安全はできる限り確保できた。
そして今
webライターは、最初は娘の安全確保のための手段だったが、やるうちにこの仕事で今後は食べていけたら、という夢を抱くようになっていった。
その感染症の正体の何かや対応策が見えてきた頃、もう私はがっつり看護師に復帰してもよかったんだけど、今後も物書きとして仕事をしたいと言う私の背中を夫が押してくれた。
夫が生活資金を多めに負担してくれ、私のライターの夢は細くつながったのだった。
ライターを続けるためには、子どもがもう少し自立すること、私のライターとしての知識を蓄える必要があることを知り、細く繋がったその縁は切らさないように地道に紡いでいくことにした。
あと2年、子どもが小学校に上がるまでには、看護師を続けながらライターの知識をつけて技術を磨き、ライターで生活費のほとんどを稼げるようになるところまで準備していくつもり。
今はアホヅラ個人事業主だけど
その夢を継続可能な自己実現可能問題にして(流行りのやつみたいに言ってみた)
いつかでっかくなりたいとは思っている。
開業日はもちろん覚えていたよ。
周りに宣言して祝ってもらうのはおこがましいし恥ずかしいほどにちっぽけなまだまだ消えそうな私の個人事業。
まだ何者にもなれてない。あえていうほどのもんではないと思っていたから。
夫が開業日を覚えていてくれたのには、特にリアクションしなかったわたしだけれど、激しく動揺し嬉しかったことは胸に秘めた事実ではある。
アホ面で洗濯物干している私の様が一番ふさわしいとも思った。
そんな開業2年目の朝でした。