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1.17震災パネル展・紙芝居講演を終えて「大災害の時代」へ継承すべきことの考察
【はじめに】
2025年1月に兵庫県は阪神淡路大震災から30年の節目を迎えました。また2024年元旦には「令和6年能登半島地震」が発生しました。1.17当日、西宮市役所で開催されたパネル展では震災後30年の歩みを振り返るとともに、会場に集われた方々と防災や災害後トラウマについて想いを分かち合う機会が持たれました。その後2025年2月8日(土)に神戸朝日ホールにて開催された「21世紀減災社会シンポジウム」では、能登半島の災害対応に活かされた教訓と今なお残る課題の考察が成されました。そして、南海トラフ地震など次なる災害が懸念される中、阪神淡路大震災やその後の体験から、何を学び何をどのように後世に伝えるべきかを考える機会が与えられました。
【阪神・淡路大震災13年間の語り部活動から見えてきた課題】
〝災害の逆境体験の記憶伝承は惨劇を体感した人にしか語れないのだろうか。〟
昨日までは永遠の問いかけとも思われたこの質問に、私は今ならはっきりNoと言える。
語り部の世代交代や人材育成が叫ばれている1.17継承。その30年という節目に一筋の光が差し込んだ。
室崎益輝(むろさきよしてる)先生【神戸大学名誉教授】の表現を拝借すると、
復興とは
〝キャンバスにかかった泥を1日でも早く払う作業であると同時に、白くなったキャンバスに次はどんな絵を描こうか、どんな構造で、世界はどう描いているかというプロセスを計画立てる作業である。〟
と語られている。
描きたてのキャンバスを寝かせるように、自分自身の想いも寝かせる。すると、予測困難な未来に向けてすべきことがほんのわずかでも必ず見えてくる。
同時代を生きる私たちが取り組んできたテーマである防災と減災。
防災が進んできた30年という時間は
冷静に物事を観る余裕を与えてくれている。
その時代にあって教訓を問い直す意味をさらに掘り下げていきたい。
【若い世代との対話】
震災を経験した人と経験していない世代との対話である。
御厨貴(みくりやたかし)先生【兵庫震災記念21世紀研究機構研究戦略センター長/東京大学名誉教授】
語り部の世代交代や人材育成を題材にがあげられた例を拝聴すると、「インフラ復興」と「人間復興」
の両輪発動が如何に難しいことであるか理解できる。
「例えば東京大空襲の語り部がやめていくのは何故か。〝人が燃えるなんてウソでは?〟という若者の発言に語り手が大変ショックを受けたという背景があります。若い世代との対話の難しさや感受性の欠落を想起させる発言からのディスコミュニケーションがあります。」
私自身、このディスコミュニケーションの余白を
埋めるのは絵画や音楽、食など若い人たちの身近な暮らしに結びつけることであると感じている。
あの日の惨劇を体感していない人はもちろん、
次世代を繋ぐ子どもたち、どんなに幼い子どもでも
口を開けば語りたいことが出てくる。
「道路が壊れたら飛行機があるかもしれないよ。」
「まだ動ける電車があるかもしれない。」
「今日おうちに帰ったらパパとママに、
ありがとうを言うんだ。」
震災の紙芝居を見た後に未就学の子どもたちが
かけてくれた言葉はまさに、創造的復興のヒントであると想う。
【語り部フェーズフリー】
フェーズフリー。
いつ来るか分からない災害にわざわざ備えるのは
難しい。ならば、〝いつも〟の暮らしに軸足を置いた避難所のあり方や教育を試行錯誤する。
〝カタリベフェーズフリーの実践は今日から誰でも始められるよ。〟
次世代にそう胸を張って言える土台づくりをしていきたい。
「今、ここ」を起点として5年後、10年後、20年後の災害に備えるには3助(自助・共助・公助)が無ければ成り立たない。
災害だらけの日本列島だからこそ築いてきた絆。
レジリエンス。レジリエンスの繰り返しである持続可能性。
崩れて、建て直して、また崩れて、頑張って、また倒れる。
地域コミュニティの団結、隣近所の共助は決して当たり前ではなく、逆境を何度も耐え忍んできた日本特有の防災リテラシーだと想う。海外にも示すことができるモデルケースが沢山ある。次世代と創出するカタリベフェーズフリーのモデルを音楽やアート、映像にのせて「今、ここ」から届けていきたい。
米光智恵
語り部の軌跡をYahoo! ドキュメンタリーにて配信中。
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