1989年6月3日土曜日。上海錦江飯店
前回の続き
憧れの錦江飯店
留学先の学校は、上海の北東、
戦前は「日本人租界」と呼ばれた、
日本人が多く住んでいた虹口地域の近くの、
趣き深い地域で、気に入っていました。
留学中の外出先範囲は、
学校からの路線バスで直接行ける、
外灘から和平飯店や友誼商店周辺までが多く、
更に先、上海の西、路線バスを乗り継いで行く
旧フランス租界に在り、
数多くの国際的要人が滞在歴を誇る、
重鎮的な存在の錦江飯店は、
畏れ多さを感じました。
当時は、近くに高層ビルの系列ホテル
ジンジャンタワー (新錦江飯店) が
仮営業を始めた頃で、話題になっていました。
因みに錦江飯店の向かいの花園飯店の開業は、
この年の秋になります。
一度、新錦江飯店の中のカフェでお茶をした事がありますが、
モダンでピカピカな建物の中と、
建物を出た後の景色の違いに、愕然としました。
当時の上海は、古い建物が並ぶ、くすんだ色の風景でした。
錦江飯店は広い敷地の中に、ホテルの客室の建物の他、
当時の在上海外国人のための、様々な施設が入っていました。
商店や美容室、西洋料理や、日本料理店。
更に、小規模ながら、海外の食材が買える、
スーパーとコンビニの中間の様な、
ジェシカと言うお店もあり、
貴重な日本食の食材を買いに来る人たちもいました。
当時の上海は、日本では当たり前の、スーパーやコンビニは皆無で、
時間をかけて、買い物に来ました。
自炊の為の食材は、友誼商店も購入出来ましたが、
ジェシカの方が垢抜けて、友誼商店にはない食材もありました。
共産主義の中のディスコと、奇妙な女性たち
錦江飯店には、更に「JJ」と呼ばれる
ディスコもありました。
中国のホテルは、ナイトクラブなどの付設が多いですが、
留学生達の間で
「週末JJに行って来た」と言う会話が割と聞こえ、
外国人に人気が有る様子が伺えます。
元々前年の雑誌の中国招待旅行で、ご一緒した女性から、
「北京での留学生活の楽しみはディスコ」と伺っていたので、
中国のディスコへの抵抗感は無かったです。
しかし北京のディスコは外資系ホテル、
対して上海は、国家要人が滞在する由緒有るホテル...。
1980年代末、ダンスナンバーが世界中で流行していましたが、
上海で外国人が集うディスコは、一体どんな感じなのか興味があり、
5月初めの週末に友人達と行きました。
「JJ」の中に入ると、
当時の西側諸国で流行りの、ダンスナンバーが流れており、
内装や雰囲気も、全く普通にディスコ。
暗くて良く分からないけど、
客層は、カジュアルな服装の外国人旅行者が多い。
「楽しいけど普通かな?」と思う中、一際目立ったのは、
大声で騒ぐ日本人団体のオジサン達、
唖然としていたら、
「カノジョ、一人?」と
オジサンにナンパされ、
気分が下がりJJを出ました。
日本人のオジサン達の団体客の他、目立ったのは、
中国人女性達のグループ。
彼女達の服装、髪型などが、全て浮いていて、
ただ座っているだけ。
カジュアルな服装の外国人達とも、
街で見る中国人達とも乖離した、
独特の雰囲気でしたが、
後で外国人相手の娼婦だと、聞きました。
因みにこの様な女性達は、他の外国人がいるお店でも
時々見ました。
こんな感じの曲が流れていました。別世界!!
1989年6月3日土曜日
5月半ばから連日のデモが、話の中心の日々でしたが、
少し落ち着いたのでは?と感じた、
6月初めの穏やかな週末の午後、
友人達と、外灘に出かけました。
晴れて気持ちが良い初夏の日でした。
和平飯店の上階の中華レストラン、龍鳳廳で、
当時の自分としては、極上の夕食を頂いた後、
外灘沿いをゆるゆると散策。
天気が良いせいか、他の友人達とも偶然会い、意気投合して、
「これからJJに行こう!!」
和平飯店からタクシーに乗り、錦江飯店へ。
前回の様な日本人のオジサンたちの団体もなく、
楽しく、かなり遅い時間まで過ごしました。
うろ覚えですが、当時の上海のタクシーは、
深夜23時?を過ぎると、正規のタクシーも白タク扱いになるらしく
交渉が大変とか…。
JJを出た後、錦江飯店周辺ですら、既にタクシーが無く
床が抜けそうなオンボロのタクシーを捕まえて、
門限を過ぎた留学生寮に滑り込みました。
24時を過ぎていたのかもしれません。
門限破りまで含めて、楽しい1日でした。
同じ頃、既に北京では大惨事が始まっているとは全く知らず、
JJで踊りまくっていた自分…。
1989年6月4日日曜日
前日遊びまくって、遅い時間に寮に戻った事もあり、
この日の記憶は、全く覚えていません。
恐らく遅い時間に起きて、ダラダラと過ごしただけだと思います。
週明けの翌日はどんよりとした天気で、
空気が重く感じ、
学校に行くと、北京で信じられない事が起こったと、
やっと知りました。
参考資料
https://kknews.cc/history/3xkexja.html