ラッキーストライクを買ってきて!! 1989年12月〜1990年1月、上海→廈門
前回の続き
憧れの楽園?
インターネットが登場前の1980年代末から1990年代前半の、
旅行情報は、
活字では事前情報が得られず、
現地及び周辺に行って、興味の対象が広がってから
初めて知る情報が多かったです。
当時の中国留学生や、バックパッカーの間で
人気の都市や地方が幾つかありますが、
情報が少なかった時代特有の、憧れと妄想が膨らみました。
その中の一つ、上海に留学時、廈門が人気の街で、
西洋人、日本人問わず、周囲の人たちが、
次々と廈門に行くという話が巡りました。
廈門行きがブームという感じ。
開放的な雰囲気の南国
フルーツや海鮮が豊富で、食べ物が美味しい
廈門大学の校舎が美しい など
色々魅力的な様です。
クリスマス明けに、友人二人と女子旅で廈門に行くことにしました。
上海から1泊2日の火車(鉄道)でしたが、
翌朝、遅々として廈門に着かず、痺れを切らし、
山道沿いをゆっくりと走る列車の、
窓を開けて見ると
バナナ畑の中走る、連結車両が多い長い列車の
カーブの先の先頭車を見ますと、
何と蒸気機関車が見えて、驚きました。
これでは遅くても仕方がない。
往路が長すぎたので、復路は裏技の飛行機で戻りました。
美しい廈門大学
当時の留学生達は、大学寮に泊まるのが、
旅費を節約するテクニックと言われており、
私たちも廈門駅に到着後、廈門大学を目指しました。
自分の学校でも、見知らぬ人が泊まっているのを見る事が
度々ありましたし…。
廈門大学はWikipediaに記載している通り、
今も最も中国で最もキャンパスが美しい大学と、人気のため
見学するためには、ネットで事前予約が必要です。
廈門大学構内を歩いていると、
運良く日本人留学生の方を見つけて
押しかける様な形で、泊まることが出来ました。
しかしあいにく、シャワーの水が出ないため、
1泊だけして、ホテルに移りました。
どうやら廈門の10月-1月は雨量が少なく、
当時の廈門大学出身の方に、後から聞いた話ですが、
一週間くらいシャワーの水が出ないことも有ったそうです。
日本人が好きな中華?
旅行前、「廈門の食べ物は美味しい」と絶賛されましたが、
上海でも十分美味しいのでは?と、思っていました。
しかしホテルの近くの屋台で、とりあえずの朝ごはんとして
適当に麺を頼んで食べましたら、蝦がゴロゴロ入っていて、
日本と同じ、黄色くちぢれた麺で
おおお!!! となりました。
これぞ日本の中華!!!
上海の細くて白い麺に、当時は慣れることが出来ず
違和感がありました。
しかし、廈門で食べた麺は、日本人の思う中華そのもので、
感動でした。
福建省の料理は、日本人に合う味というか
日本の中華料理のルーツかな?
租界の島〜世界遺産の鼓浪嶼(コロンス)島
世界遺産の島、鼓浪嶼(コロンス)島は、1989年に初訪した時から既に
映える島でした。
コロンス島は戦前、西洋列強の共同租界だった島で、
日本領事館もありました。
1989年当時は観光地的に整備されておらず、
お世辞にも綺麗とはいえない、古びた感じでしたが、
昔も今も島内は自動車通行禁止の島は、
路地歩きが楽しい、エキゾチックな建物の南国の島、
まるでおとぎの国の様でした。
コロンス島の風景は女子二人旅に相応しく、気分は爆上がりでした。
昔も今も変わっていないと思いますが、
割と最近(5年前)に、旅行された方のブログはこちら。
1980年代の経済特区
1989年当時の中国では、上海が最も海外製品が手に入り、
人民の経済生活が開放された地域だと思っていましたが、
廈門に行って、考えが変わりました。
当時の上海ですら、一般人民が買い物をする商店は
服務員を通さないと商品の確認が出来ない、「社会主義式」でしたが
廈門は既に、自由に商品が選べる「スーパーマーケット式」の商店があり
驚きでした。
香港辺りから流れてきた様に見受けられる商品も、目にしました。
上海に戻った後に、「廈門は進んでいる」と話しても話が噛み合わず
浮かんだ言葉は「経済特区」。
なので、上海ですら手に入らないけど、
廈門なら手に入る商品も有る訳です。
しかも兌換券ではなく、人民元で手に入るとか!!
当時の上海は、スーパーマーケット式の買い物は
外国人の向け友誼商店などに限定されていたので
開放的な廈門には驚きでした。
実は上海を出る前に、友人達にあるモノを頼まれて
廈門で、あちこちのお店巡りをして、
スーパーマーケット式のお店を見つけました。
友人達に頼まれたあるモノとは?
ラッキーストライク買ってきて!! 出来ればカートンで!!
廈門旅行を決めた後、私の部屋に、次々と友人達がやってきて、
現金を渡しました。旅行の餞別ではないですwww。
そして皆さん、口を揃えた様に同じセリフ。
「廈門に行くの?
ラッキーストライクを買えるだけ買ってきて!!
出来たらカートンで!!」
私自身はノンスモーカー、寧ろ嫌煙寄りで、全く疎いですが
当時の上海で見かけた、中国ブランド以外のタバコは、
マイルドセブン、マルボロ、ケント、キャメル辺りだった様な…。
ラッキーストライクは、当時の在中国外国人の
夢のタバコだったらしいです。
知らんけど。
何しろ普段、超節約生活をしている友人ですら、
ラッキーストライクを買ってきて!!と
現金を握らせるので、苦笑するしかない。
渋々受け取って、一応探しました。
そして簡単に買うことが出来ましたが、ノンスモーカーの私。
興味がゼロのため、本物か?偽物か?区別もつきません。
果たして良いのかな?これで?
旅行に同行した友人も、殆どタバコを吸わない人でしたが、
「みんな、ラッキーストライクに熱中しすぎて、面白すぎる」
「面白いから実験してみない?」と提案されて実験。
上海に戻った後、私の部屋に、さりげなく、
ラッキーストライクを置きますと、
イタリア人ルームメイトの友人達までもが、
「这个是不是Lucky Strike!!!」と飛びついていました。
面白いなぁ…。
参考資料
以下のリンク先は1980年代の廈門を紹介したサイトです。
当時にして既に開放的な雰囲気が伺えます。
留学中の旅行の後、廈門へは香港から
1998年(客家土楼巡りの帰路に立ち寄り)と、
2010年(台湾金門島行きへの起点として。コロンス島滞在長め)に
再訪しました。