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2時間後にここを出て空港に行く。君も香港に行かないか?1989年6月、上海
前回の続き
重い週明け
週末遊びすぎた後の、静かな月曜日。
街が止まったかの如く、とても静か。
そして空気が重い。
学校に行き、初めて知った北京のニュース。
何を言っているのか、全く理解出来ず…。
酷すぎて信じられない事ばかり。
自分の常識から離れすぎて、
理解するまで時間がかかりましたが、
この時から、周囲が激しく変わって行きました。
翌日午後、思い切って学校の外に出てみましたが、
バスが道幅を塞ぎ、バリケードの様に積み重なっていました。
歩けないので、この日は学校周辺だけを見ただけでした。
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私が上海で見たバスは上にも重ねて
道の横幅いっぱいに塞いでいました。
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翌日、学校の正門の建物の壁に一面、
北京の惨状を伝える、香港らしき繁体字の新聞や英語の新聞、
日本語の新聞も貼られていました。
この時初めて報道写真と記事を見ました。
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「短波ラジオで日本語のニュースが聞けますよ。」
ラジオを持っている学生の部屋に集まりました。
NHKのラジオ放送。
久し振りに聞く日本語の放送が報じるニュースは、
北京から緊急帰国の人達のインタビュー、
「頭の上を砲弾が飛んでいました」
呆然とする私達。
日本語のニュースを聞き、やっと状況を理解し始めました。
2時間後にここを出て空港に行く。君も香港に行かないか?
クラスメートのイタリア人の女の子、オリビアが
ルームメイトの女性と一緒に私の部屋に来ました。
「イタリア政府の命令で、空港近くのホテルに避難する事になり、
バイバイを言いに来ました。」
自分でも驚きましたが、聞いた瞬間から涙が出て、
ハグをしてお別れの挨拶。
(因みに2年後にイタリアで再会しました)
オリビアとの突然の別れから、間を置かず(恐らく翌晩)、
大勢の欧米人達、この学校でこれほどの欧米人達を初めて見ましたが、
彼らが一斉に集まり、慌ただしく荷物をまとめ始めました。
事情を聞くと一言。
「僕達は2時間後にここを出て空港に行く。これから香港に行く。
君も行かないか?ここは危険だから」
香港?上海からだと日本と反対方向だし、英語も上手くないし...等と、
ぼんやり考えている間に、
あっという間に、欧米人の学生等はバスに乗って、学校から消えて、
残ったのは日本人と北朝鮮の学生だけ...。
流石にこの状況はヤバすぎるし、
これからどうなるのか?
どうすれば良いのか、
全く先が見えない。
〜らしいという口伝えばかりの話ばかりが流れ
実際に何が起こっているのか分からず。
生まれて初めて遭遇した有事に、うろたえるばかり...。
日本以外の西側先進国の学生達は立ち去りましたが、
この時点で日本領事館からの連絡は、まだありませんでした。