油麻地の記憶...1990年2月。香港
前回の続き
中国脱出
麗江から大理経由で、駆け足で昆明に戻りました。
大理は好きでしたが、確か1泊だけして昆明行きのバスに乗った記憶。
日本帰国を考える現実に向かい合います。
とりあえず、空路で香港に行こうと考えましたが、
今と違ってぼんやりとした情報しか無い頃。
昔の事なので、私の記憶自体が曖昧ですが、
数軒の旅行会社を回り、
親切に対応をしていただいた旅行会社から
香港行きの航空券を購入しました。
「航空券が取れて良かったですね」と笑顔で言われましたが、
お礼を言いながら交わした会話で、忘れられなかったのは、
旅行会社の方は、文化大革命で下放され、雲南省に移住して
今に至ると、淡々と語られた事。
文革で下放された方と初めてお話しした事、
そして外国人の自分は、自由である事。
立場の大きすぎる違いと、自分がナイーブだった事を
一瞬にして、色々考えさせられました。
カイタック空港に到着した瞬間、拍手が聞こえました。
拍手の意味は着陸が難しい空港のせいか、
共産党の国から当時は英国領の香港に到着した瞬間の
安堵なのか今も分かりませんが…。
昆明から香港に到着し、ホステルにチェックインをし
到着したその日の内に、地下鉄とスターフェリーに乗ったら
中国とのあまりの違いに、戸惑いを感じました。
學聯旅舍@油麻地
香港の滞在先は、在中国留学生の口コミで評判の良い、
油麻地新填地街にあるSTB Hostel(學聯旅舍)に滞在しました。
九龍の下町の雑居ビル中にあるホステル。
2段ベッドの狭いドミトリーの居心地は
決して良いとは言えませんが、
なんとも言えない、開放感もありました。
STB Hostelは、その後リピートして、
私が香港に住むまでの定宿となりました。
当時の建物は今は既に消失しましたが、
Sophieさんが大変詳しく、一緒に周辺を歩き、
記憶の擦り合わせに協力して頂きました。
STB Hostelは様々な国の人たちが滞在していましたが、
先に留学から帰国した知人と再会など
世界の狭さも実感しました。
「えー?なんでそこにいるの?」と言われてもねぇ…。
2回目の香港
1997年8月の初めての海外旅行で行った香港から
2年半後の1990年2月、2回目の香港。
前回は団体ツアーで、しかも英語すら殆ど話せなかったのに、
この時は國語(北京語)を獲得して、自由に歩き回る自由旅行。
当時は広東語は話せず、英語も今ほど出来なかったですが
自由な感じがしました。
油麻地は繁華街尖沙咀と旺角の中間で
彌敦道の近くで分かりやすく、
色々位置的に便利でした。
STB派 vs ラッキー派?
私が香港に到着した数日後、
上海から一緒に雲南省旅行に行った友人も
香港に到着。
友人は、日本人宿の佐敦にある、ラッキーゲストハウスに滞在しました。
1990年代、日本人バックパッカーの香港の安宿について
STB派 vs ラッキー派 vs 重慶マンション派 と言われていました。
国際派の「STB Hostel」
日本人宿の「ラッキーゲストハウス」
安く個室に泊まりたい人に「重慶マンション」という棲み分けですが
私の場合、語学が堪能ではないけど、
日本人宿の濃い人間関係はちょっと…
しかしお金がないのでドミトリーという
消去法でした。
香港のアクション映画監督で活躍されている
谷垣健治さんが下積みの頃、
ラッキーゲストハウスを定宿にされていたとの事です。
同じく定宿にしていた友人が、谷垣さんと知り合いになり、
谷垣さんの紹介で、香港映画エキストラ出演のバイトをしたそうです。
しっかりスクリーンに映ったそうで、
友人については30年後に知った、人に歴史ありでした。