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兌換券が無いので両替が出来ません。航空券が買えません。1989年6月、上海

前回の続き



とりあえず生存報告

欧米先進諸国の学生達が一瞬で去り、
学校に取り残された留学生は、
日本人と北朝鮮人のみ…。
他の学校も日本人以外で残ったのは、
東側諸国や社会主義体制の国及び、独裁体制の国々…。
この状態で授業が未だ行われていたのか、
正直覚えていないです。
とりあえずすべき事は?

留学生寮の事務室の受付に行き、
日本への国際電話を申込み、
順々に電話連絡。
この時の雰囲気は流石に、
慌ただしかったと記憶しています。
家族や日本の所属先の学校、
留学斡旋団体などに、
各々存在の報告。
当時は携帯電話はおろか、
中国からの国際電話は、ダイヤル通話はなく、
オペレーターを通じないと通話が出来ず、
そのオペレーターも上海語と敷居が高く、
自力で電話をするのは到底無理でした。

心中は正直、半分パニック状態でしたが、
日本の実家には、冷静を装って電話。
私の場合は幸いなことに、
両親も割と冷静に応答してくれましたが、
電話を掛ける前は冷静だったけど、
家族に泣きつかれたと、困惑する人、
荒々しい方言で、怒鳴りながら電話をする人など、
様々な人間模様が見られました。

日本領事館に一応報告?

欧米先進諸国の学生達が一斉に去り
「日本領事館は何もしてくれない」と
憤りを発言する学生がいる一方、
領事館に留学生の名簿を提出するから
名前とパスポート番号等を教えてと、言われました。
日本人だと証明する文書を発行するとの事。

数日後、粗末な紙にタイピングされた、
「誰某は日本人です。宜しくお願いします」と
簡単な中国語で書かれた文書
を受取りました。

兌換券が無いので両替が出来ません。航空券が買えません。

街中に行ける様になったので、みんなで
日本航空のオフィスの在る瑞金大廈に行きました。
大勢の日本人達が押し寄せて、先を争う雰囲気の中、
これでは航空券が買える気がしない。
私が秋から留学予定の学校の方たちもおり、彼らから、
「今兌換券の在庫が無く、外貨の両替が出来ないんです」
教えてもらいました。

当時の留学生の多くは、
トラベラーズチェックで両替をしました。
現金よりも安全な上に、闇両替防止の為、
両替レートが高く設定されていました。
しかし兌換券に両替する必要がありますが、
ここには兌換券が無い。
そこで
「カードで買えますか?visaカードです」と一言。
「大丈夫です。カードで買えます」の返事。
ならば
「成田便往復でお願いします」

と言う訳で、パニック状態の中、自分の航空券は
カードであっさりと買えました
成田便の友人たちと同じ日に帰国しようと相談して
(空港への交通手配などの為)、
6月17日にしました。

カードの勢いで往復を買ってしまった
上海に本当に戻れるのかな?

万が一の為
お金は複数の種類で持っていた方が安全
と実感しました。

航空券購入から、日本帰国まで1週間くらいあり、
交通が回復した事もあり、
六四後の街を歩く日々となりました。

一方北京では?

最近X (Twitter)に投稿された記事。

1989年6月5日、全北京中の銀行及び中国民航のシステムが業務停止。
北京空港に大勢の外国人が押し寄せる中、
全日空に日本人の他、米国人も殺到。
手書きの航空券、到着後支払いという異例の手配
日本への臨時便を手配。
米国人を優先搭乗のため、
搭乗出来なかった日本人留学生たちは、
北京市内の銃撃の噂のため、空港から出るのを危険と訴え、
次の臨時便までの間、
彼らのためにVIPルームを手配と、神対応を行いました。

という美しい日米友好国際親善ストーリーかと思いきや?
投稿の後に、当時現地、北京空港に居た方からご指摘をいただきました。
なので、追記します。

35年後に知る真実。
ご当人から意見を聞く事が出来ました。

追記 (1989年6月7日、NHKニュース動画)




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