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生育歴を振り返る

チカイケ秀夫氏の
#原体験ドリブン  をきっかけに
自分の生育歴を振り返ってみました

今後行う予定の
#原体験ジャーニー
振り返りの際の
ヒントになりますように

【生育歴】

1983年桜の季節に
札幌で生まれ札幌で育ちました

まじめで几帳面、世間体に厳しい母
ギャンブル好きで破天荒自由人な父
愛嬌があり気まぐれでネコっぽい妹
そして私の4人家族

後に両親は離婚し
母子家庭になりました

【幼少期】

いつもいつも
「お姉ちゃんなんだから」
そう言われて育ちました
どこに行くにも妹が付いてきて
妹さえいなければ
もっと自由になれるのに
と思ったことすらありました

印象的な出来事は『家出』

母から
「言うことが聞けないなら出ていきなさい」
と言われて、幼少期の私は家を出ます
お気に入りの真っ赤な三輪車で・・・
すぐに母に連れ戻され
叱られるわけですが
この時に悟りました

世の中は理不尽だと(笑)

【幼稚園】

母の強いこだわりで
セーラー服の幼稚園に通います
ロングヘアーにパーマをかけて
お人形のような入園の記念写真

この頃、ピアノとプールを習い始めます

春生まれの特権でしょうか
まわりの子に比べ発達が早く
何でもできるお姉さんのような存在に

集会をこっそり抜け出し
人気のおもちゃで遊んだり
水飲み場で好きな男の子にちゅうをして
帰りの会で先生から
「風邪が移るのでちゅうはやめましょう」
みんなの前で言われて恥ずかしかった記憶が

【小学生低学年】

低学年の時、父は単身赴任で
関東にいると聞かされていました
お祝いの時期になると届く宅急便
東京で最先端のゲームだと自慢げに
セガサターンが送られてきたこともありました
流行らなかったけどね(笑)

この頃からでしょうか?
母が涙する姿を見るようになったのは
宗教にすがるようになったのは

私はというと
決め台詞は「先生、男子がぁ〜」
でしゃばりな優等生タイプ

隣に住んでいた年上の友達の影響で
習字とミニバスを始めます

1、2年の担任の先生は
肝っ玉母ちゃんのような人でした
教室で飼っていた
『うさぎのミミちゃん』
怒ると怖くて
大声で叫ぶタイプだったのですが
上級生のイタズラで
ミミちゃんを窓から落とされた際には
冷静に淡々と
命の大切さを伝えてくれました

ミミちゃんは怖がりだけど
人懐っこくてみんなのアイドル

最期は先生の自宅のトイレで
身を隠すようにして
亡くなっていたそうです

幼い時代に命の尊さを知ることができた
貴重な経験でした

【小学校高学年】

父が家に戻り、母がパートで働き始めます
この頃から私の家庭は普通じゃない
そう感じるようになりました

学校から帰宅すると泣き崩れて叫ぶ母
妹に悟られないよう外に連れ出すことも

同じ頃、春生まれ特権が徐々に軟化し
自分は特別な存在ではなかったと
思うようになりました

家庭の事情で習い事は
ピアノを除き全て辞めることに
自分の力や思いでは
どうにもならないことがあると知ります

そして心に誓います
母のような人生は歩まない
早く大人になって自分の人生を歩むんだと

ほどなくして両親は離婚
母子家庭コンプレックスを抱えることに

愛もお金も夢も希望も
すべて失ったと思いました

【中学生】

私が入学した代で
モリハナエがデザインした
深緑のブレザーに制服が変わりました

街を歩くと私立高校生に間違われ
ちやほやされることもしばしば

我々の代は
最後のルーズソックス世代と言っても
過言じゃないと思ってます(笑)

周りから見ると
相変わらずの優等生タイプ
先生から好かれる方法は心得ていました

バレーボール部では部長に
編集局長として生徒会入り

学校生活とは裏腹に
私生活では荒れていきます

明け方に酔って帰り
風呂場で寝ている母
そんな母を見るのが
嫌で嫌でしょうがなかった

父がこっそり買い与えてくれた
ポケベル片手に
深夜に抜け出し明け方に帰る生活

この頃、妹の記憶がほとんどありません

遊び感覚で始めた
タバコが生徒会に広がり
集団で呼び出されることに

親子揃って泣きじゃくる友達を
あなたのこと信じてたのにと
涙を浮かべる担任の姿を
妙に冷めた気持ちで他人事のように
眺めていた覚えがあります

【高校生】

中学とは打って変わって
昭和感溢れる制服の高校に進学
ルーズソックスはここでも健在です

アルバイトを始めて
自分の時間と労力を使い
お金を稼ぐことの
楽しさを知りました

周りの友達よりも
使えるお金が多かったので
このときの私は勘違いをします

親の金で生きている
あなたたちとは違う

母からは
女だって自立しなければいけない
大学を出て手に職をつけるようにと
しつこく言われました

あなたの失敗を取り戻すために
私は生きている訳じゃない

やりたいことはあったけど
お金のないこの家庭で
どうやって夢を叶えればいい?

この頃が私の人生で1番
夢も希望も抱けなかった時期かもしれない

【大学と中退】

母の薦めで渋々大学に進学
母子家庭が受けられる奨学金を
自分で返済する約束で受けました
好きで進学した訳じゃないのに・・・

大学にはキラキラと瞳を輝かせた
同級生の姿が

どうせみんな親の金で
遊ぶために大学に入ったんでしょ?

誰とも一緒にいたくない
同レベルにはなりたくない
私はみんなとは違う
こんなところに
なりたい私はいない

4年間、借金をして
この環境下で過ごすことが
苦痛で苦痛でしかたなかった

時間もお金も無駄に思えて
逃げたしたい気持ちでいっぱいだった

必死でバイトをしてお金をためて
夏休みに家を出ました
私を知る人が誰もいない東京に

父に連絡し
ウィークリーマンションを借りて
東京での生活を始めます

この時、大学を中退しました

【ここまでを振り返って】

きっと私は人と違うことに
不安や恐怖を感じていたんでしょう

育った家庭での出来事は
誰にも相談できず
家でも学校でも
いい子を演じていました

いつも感じていたのは
「私の居場所はここじゃない」

今だにこの感覚は
私の判断基準になっています

自分らしくいられる場所を
今後も探し続けるのかもしれません

【追伸】

いやぁ、あれですね
普段のちえことは
ちょっとイメージ異なる感じですかね?

自覚ありますよ
この頃、めっちゃ性格悪かったんです!
(いや、もしかしたら今も性格悪いかも、笑)

次回は、自立を叶え社会に出てから
印象的だった出来事を
思い出していこうと思っています

そしてようやく
#原体験ジャーニー  の旅へ

ぼちぼち進めていきますので
お時間の許す方はお付き合いください

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