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たとえば明日、命の終わりが来ても

「後悔のないように生きよう!」「人生は一度きり!」

ここ数年、いろいろな出来事があって、自分の生き方について考えることが増えた。冒頭のような言葉は、昔より「ほんとうにそうだな」と感じる。

特に、3年前、祖母が脳梗塞で倒れて数日後に他界したことや、2年前に母がくも膜下出血で倒れ奇跡的に助かったことは、自分の中で生死について深く考えるきっかけになった。

いつ何が起こるかわからない。突然、その日は来るかもしれない。

そして、私の家系は脳の病気で倒れることが多いようだ。身内には60歳前後で倒れている人が数人いる。

仮に私も60歳までと考えたら、アラフォーの私の人生はもう折り返し地点を過ぎている。「60歳まで生きられたらラッキーで、それ以降はボーナスステージ」みたいな気持ちでいる。

そうなると、「あと何回自分の好きな季節を楽しめるのかな」「この人と、あと何回会えるかな」ということが急にリアルに感じられる。年に一度なら20回を切ってしまう。…数字にしてしまうとなんと少ない。

ただし、決して悲観しているわけではない。むしろ終わりがあるということを意識するようになったことで、「今」がとても大切で貴重で愛おしいものに感じられる。

たぶん、終わりが来たら後悔することも、未練もあると思う。だって人間だもの。無欲でなんていられない。

それに、自分のしていることと反対のことに、憧れることもある。

あちこち好きなことをして飛び回っていれば、「もっとゆったりとした時間を大切にすればよかった」と思うだろうし、ひとつのことに没頭して何かを極めようとしていたら、「もっと広くいろんなことをしてみればよかった」と思うかもしれない。

だから、「後悔のないように」というよりは、明日もし私の命の終わりが来ても「あぁ、私らしい生き方だったなぁ」と思えたらいいなと思っている。

「もう少しこんなことしたかったなぁ」と思いながら、「それも私らしいな」と思えたらいいなと。

自分の様々な人生の選択に納得して、その選択は、考え方は、生き方は「私らしかった」と言えるように。

うまくいっても、いかなくても、どこにたどり着いても、丸ごと肯定して「私っぽい」と笑って言えるように。

そのために、自分の意志で選択しよう。自分の気持ちや思っていることは相手に伝えよう。今を大事にしよう。そしてどんな今であっても、それを肯定しよう。…最近、心からそう思える。

ひとつひとつは不器用で遠回りすることがあっても、自分で考えて自分で行動する限り、そのとき選んだことも、選ばなかったことも、そのひとつひとつが「自分らしさ」につながるものだと思うから。



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