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初めまして、クレアです🌸自己紹介

皆さんはどんな人生を生きたいですか?

何の制限もなかったとしたら、どんな人生を生きたいですか?

「本当はこうしたい」

そう思いながら
先延ばしにしていることはないでしょうか?

「自分には無理だ」

と決めつけてはいないでしょうか?



私は大学を卒業して、社会人になりました。
特別な取り柄もなく、大してやりたいこともなかった私は
会社に勤める、という選択肢しか
思い浮かびませんでした。


しかし、実はそこからが苦難の連続でした。


3年半で4回転職しました。



「ゆとりだね〜」
「根性ないねえ」
「社会不適合者」 

、、、それって私?


「あんたなんかどこ行ったって何もできない!」

私が大学卒業して最初に選んだ仕事はエステティシャンという職業でした。

普通の大学を卒業して、全く資格も持っていないのに、なぜか?
それは、自分の「外見に対するコンプレックス」からきたものでした。
大学時代、ダンスをしていた私は、授業以外のほぼ全ての時間を練習に投じ、
バイト代のほとんどを外部レッスン代に費やしていました。
お陰で初心者ながら、ダンスは順調に上達していきました。
沢山のダンサーとも知り合いました。

しかし、その時に周囲から向けられていた言葉はこんな言葉だったんです。

「おまえ、ダサい」
「かわいくない」
「私の生徒だって他の人にいわないで」

頑張っても認められない。

一重だから。
スタイルが良くないから。

こんなに、時間もお金も投資して
毎日練習して打ち込んできて
なのに、

「かわいくない」

それだけで馬鹿にされ、批判されました。

悔しくて悔しくて

通学途中に泣きながら友人に話しました。


エステティシャンになって、
美容を学んで、自分も綺麗になれれば
そうやって自分を非難してきた人たちを見返してやれる。

そう思ってたんです。

しかし、現実は甘くはありませんでした。


実際は、物凄く体力勝負の仕事。

連休はとれず、
そもそも経験がない私は全て0から学ぶ必要があり、

休日返上、給料返上で資格取得に励みました。


それなのに、ある時からサロン内の人間関係が急激に悪化し、
自分自身もストレスが溜まり
胃腸炎になり、
そのまま入院。

入社9か月で退職することを決意しました。

当時の店長からは
入院したことすら疑われるくらい
関係性が悪かったです。

次に入社した会社で初めての営業職になりました。
自分から営業がやりたいと思っていた訳ではなく、
エージェントから勧められるがままに選びましたが、
入ってみたらすごく楽しかった。

一社目で苦しんだ私にとっては、
優しい先輩たちに囲まれ、
尊敬する上司にも恵まれ、


「ここ天国みたい✨」
と、楽しい楽しい会社員生活を送っていました。
毎週、月曜日が楽しみでした。


半年間は。



半年後、会社ではワンマンな会長の経営に不満が爆発した管理職が
一斉に退職する事件が発生。
それに続いて、大好きだった上司、先輩たちも次々といなくなってしまいました。

大好きで、毎日通うのが楽しみで仕方がなかった神奈川の支店は閉鎖され、
強制的に全員が本社へ異動。

本社の会長は相変わらずのワンマン具合。

なにもできず、耐えるしかなかった。

「社会人とは我慢の連続であり、耐えられないやつは根性なしだ。」

当時の私はそう思うしかなく、将来になんの希望もありませんでした。


そんな中、先に転職した先輩から
生命保険の会社への誘いを受けました。

正直営業の仕事すらやめたいと思っていた私は何度も断っていましたが、

どのみち、仕事がつまらなかったので暇つぶしと思って
説明会に行きました。

説明会は数回に渡り、結果的に、
保険業界に入ることを決めたのですが
この1年半後、自分にとって人生で最大の挫折を味わうことになりました。
1年間大手生命保険会社に勤めた後、当時ご縁があった、
とある社長が立ち上げた小さな保険代理店にまた転職することになりました。
社長のことをものすごく尊敬していましたし、
ここを生涯の職場にしようと、
4社目にして気持ちを高まらせていました。


しかしそこでもまた事件が起こりました。

順調に成長するかと思った会社の経営は、
いきなり数千万の借金を抱えることになったのです。

一気に経営難に陥り、
そして追い打ちをかけるように社長自身の体調不良も重なり、
とうとう存続の危機に直面したのです。

私は社長不在の中でも必死に営業しました。
会社がなくなる恐怖で、
毎日、毎日、
「私がなんとかしなくては」と
死に物狂いでした。

どうしても売り上げを上げないと会社がなくなってしまう・・・

自費で大阪の知人のところまで会いに行き、
なんとか商品を買ってほしいと頭を下げたり
前職の知人、友人、親戚にも営業をかけました。

しかし頭が真っ白で、とにかく売ることだけ考えていた私は
ただの押し売り営業。
知人もそのまま疎遠になりました。
「なんだその売り方は!」
と怒鳴ってくれた知り合いもいました。

終電で帰れず事務所のソファで過ごした日もありました。

私は給料のほとんどを自社商品の購入に替えてまで
会社に貢献しようとしていましたが、
結果として社員は全員解散をしました。

私は突然、失業してしまったのです。

とにかく辛い日々でした。
実家にいながらキャッシングに頼っていました。
恥ずかしくて友人にはほとんど連絡しませんでした。
家族とも喧嘩をしました。

そんな中、更に自分の26歳の誕生日の当日、
父親に末期がんが見つかった時は
なぜこんなにも神様は不幸を重ねるのか、と思いました。

私はなんて不幸なんだ
こんなに頑張っているのに
努力しているのに

と思っていました。
2019年のことです。

でも、心の底では諦めていませんでした。

私はまだまだこんなもんじゃない


自分に言い聞かせていました。
なんとか這い上がってやる、と。


悔しさや、恐怖は
時に大きな原動力になります。


過去の悔しさをばねに、私は今いる会社で
コロナ禍で全社唯一の目標達成、2年連続MVP受賞、
短期間でのマネージャー昇格など
数々の成果を残すことができました。


新卒の頃のエステサロンの店長から言われた
「「あなたはどこに行ったって何もできない!!!」」
もし、私がこの言葉を信じたら
今の私はいないんです。
だからどうか、
「わたしなんか」
なんて言わないでほしい

可能性がない人なんていない

すごいと見上げてしまうような人も
実は最初は普通のごく一般と変わらない生活から始まっていることが
ほとんど

一日一日の積み重ねが未来を作る

命の時間を無駄にしないでほしい
大切なことに命を使ってほしい、輝いてほしい

あなたにはあなたにしかできない役割があります

あなたの命が輝く瞬間はいつですか?

色んな世界を知って、
沢山情報に触れて、
自分の心に従っていけば
必ず道は拓ける。


私には、これから叶えていきたい2つのことがあります。


①女性が活躍しやすい世の中にしたい
小学生のころ、「大人になりたくない!」と友人と森の中で木の枝を投げて叫びました。

大人=つまらない
大人=我慢しないといけない
大人=嫌な仕事をし続けないといけない

そう思っていました。
だからこそ私は変えていきたい。
子ども達がもっと大人になることをワクワクできる社会にしたい。
そのためにも、色んな理由でキャリアを諦めないといけない女性を減らしたい。

2023年、日本のジェンダーギャップ指数は146カ国中125位。
皆さんは、リーダー像と聞くとどんな人を思い浮かべるでしょうか。
おそらく、多くの人が男性を思い浮かべるのではないでしょうか。
だからこそ、私自身が率先してチャレンジし、エンパワーメントできる存在でありたい。
可能性が無限大であることを伝えていきたいと思っています。


②動物福祉を向上させ、人も動物も幸せな世の中にしていきたい
私は小さいころから動物が大好きでした。
しかし犬猫禁止の家でもありましたので、
そんな中、小学生のころにようやく迎えられたのが「ハムスター」でした。
真っ白な雌のジャンガリアンハムスターで、ラズベリーと名づけました。
共に過ごせたのは約2年半。
そんな短い期間でしたが、彼女は出産もし、子どもを育て、
そして事故で片足を失っても
元気に走り回り、

そんな姿から
私に母の強さと諦めない力を教えてくれました。

人は動物から多くを学びます。本当に大切な命についても学びます。
動物福祉を向上させることは、人々の幸せも向上させるのです。

2007年にメルボルン大学で行われた
「ペット飼育と人の健康に関する調査」では、
ペットを飼っている人は飼っていない人に比べて
通院回数が15~20%少なかったことも報告されました。
これは、ドイツでは4547億円、オーストラリアで3088億円の医療費削減効果があったとされています。

つまりペットと暮らしやすい社会を作ることは
日本の医療費削減にも大きな役割を果たすと考えられているのです。
今でも、日本では毎日40頭もの犬や猫が殺処分されています。
人の手によって不幸になる動物を出してはならない。

私は、動物たちのもつ素晴らしさをもっとより多く広めていき、
人と動物が共に幸せな社会を作っていきたいと考えています。

率先して挑戦して、
経験値を高めて、
視野を広げる
視座を高める
発信する
影響力を高める
発言に存在感を持つ


あなたが作りたい未来は何ですか?
一緒に、素晴らしい未来を作っていきましょう!



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