人は惑星のように、まどいながら自分の軸をみつけていく
わたしが占星術をはじめてから、もう14年。
”もう”と無意識に手が動いて書いているんだから、長いなぁと思っているのはそうなのだけれど、占星術の深みからするとまだまだ短いなぁとも思っている。
とはいえ、はじめた頃の、この記号ってなんなん?とまったく分からなかったところからすると、ずいぶん遠くにきたもんだ。それにしても、昔も今もかわらずに、ただただ夢中になっている。そういうものと出会えるって、なんて人生をおもしろくするんだろう。
毎日のように星と、人の心理や実際のものごとのつながりなどを考察しているから、ずいぶん肌感覚で象徴をとらえられるようになってきた。
最近は、「宇宙のしくみ」と「人という在り方」の構造的なつながりをあらためて、そのままに自覚して、新鮮な感覚をおぼえている。
難しい学びを経てきたあとだからこそ、より基本の理解ができるようになった成長のあかしなのだろうか、どうなのかな。
たとえば、「人の意識は、惑星であらわされる」ということ。惑星の特徴から、そのまま人の在り方につなげて簡潔に考えてみている。
この世で根本的に大切なもの。とことん自分の内がわを掘り下げたすえに、たどりつく人はたどりつく本質。それはきっと変わらないもの。究極にいうとそれは(宇宙的な)愛、なんだろうとわたしは思っている。
そういった変わらない本質をあらわすのが、恒星である太陽。
感情に揺さぶられながら日常の悲喜こもごもを生きる人の意識は惑星。惑いつつ、太陽(愛)のまわりを回っている。
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今日ここで特に書きたいのは、「惑星の自転」にみる人の在り方だ。
いちばん近しい惑星なのでイメージするのは地球にしよう。地球も惑星だから自転している。軸を中心にしてくるくると。決してとまることはない。
地球を人にたとえると。自転の中心となる軸は、その人が生きるためにもっとも重要になる本質的な価値観だ。
この価値観は外に探すものではなく、自分がもともともっている。どうしても感じてしまうもの。
たとえば究極の本質が(宇宙的な)愛だとして。愛そのものを自分の中心として生きる人もいれば、調和や美、真理の探求、などなど、人それぞれの個性にあわせていろいろなカタチでみつけられる。
まわる地球を、まわるコマのように想像してみる。
軸がしっかりしていないとぶれぶれでよろめく。でもそれもいいのだ、まどう惑星だから。よろめくからこそ何が大切なのか見極める体験となり、自分の軸を見つけられることもある。
むしろ人の精神は、コマのようにまわりながら、360度の各方面からの刺激を受けてよろめきつつ、そのショックを吸収して軸を立て直し、さらに力強く加速する、ようになっているんじゃないかな。
まわりの刺激をカーンと受けて軸がぶれたときに、もどらなきゃいけないぞと踏ん張り力を発揮する。そうして踏ん張って軸を立て直したときには、よりたくましく勢いよくブンブンとまわれるようになっている、ということなのではないだろうか。
苦労をしなければ成長しないよ、と言いたいのではないです。喜ばしい出会いも、自分にないものを感じているなら刺激です。
人はまわりの刺激を受けつつ、自分の軸を保ちつつ、くるくるとまわりつづけている存在なんだなぁ、というのがこのところのわたしのしみじみとした発見でした。
生きていくとは、とどまらず変わりつづけるもの。まわりからの相互作用を受けて変わりつづけているのだけれど、変わらない軸をもってまわっている。ときには大きくぶれながらも。いまそんなふうに感じています。
続きです
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