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恋の音【創作大賞…恋愛小説部門】

 「…きだよ。」

『え?もう一回言って?』


これは僕等のよくある会話。
僕は生まれつき耳が聞こえにくい。
先天性の難聴だ。

 彼女と知り合ったのはごく最近のこと。
僕は彼女の事をすぐに好きになって、
彼女も僕にそういう気持ちがあればいいってずっと願ってた。
でも、なかなか彼女の口から「好き」という言葉は出て来ない。

初めてのデートは水族館だった。
綺麗な熱帯魚やかわいいラッコなんかもいたけれど、
彼女が1番長く見ていた水槽は、
誰も足を止めない古代魚の水槽。

「ピラルクきれいだねー。ピラルクってね、1万年前から体型が変わってないんだって。」

驚きだった。
ピラルクの体型が1万年前から変わっていないことよりも、
ピラルクに夢中になって1時間近くも水槽の前から動かない
女の子がいることに驚きだった。
僕の事なんてまるで存在しないかのように、
彼女は水槽の中のピラルクを見つめていた。
ライトアップも水槽デザインもされていない
ただピラルクが泳いでいる水槽を前に、
彼女は<交信>しているようだった。

ちょっと嫉妬したのかもしれない。
だから冗談で訊いてみたんだ。

『ピラルクと僕が戦うことになって、戦いの末にどちらかが死んじゃうとしたら、
どっちを応援する?』

「んー・・・・・・。」

まじかよ。そこで悩むんだ?
僕の存在ってその程度?
いやいや、ピラルクの存在ってそんなにでかいの?


彼女には一体どんな風に世界が見えているんだろう。

たまにそう思う事がある。
彼女は僕と逆なんだ。
彼女の耳は音を良く拾い、そこから色を感じたりする。
彼女はいわゆる共感覚者。
僕が共感覚を知ったのは、彼女の存在を知ってからだ。

どうやら彼女は、文字に色を感じたり、
音や生き物の感情や性格に色や形を感じたり、視覚情報から食感や味を感じたりしているみたいだ。
つまり、僕の性格や感情も色として彼女には筒抜けな訳で…。

前に彼女が言っていたっけ。
「全ての動物ってわけではないけど、相性の良い個体とは共感覚で会話のように色で<交信>ができるの。」

ピラルクとも何か<交信>して話をしていたんだろう。
そんな事が本当に可能なのかわからないけれど。
少なくともそう思っていたかった。
そうでなければ、彼女の中のピラルクの存在のでかさにショックを隠しきれない。

『もう一回訊いていい?ピラルクと僕、どっちを応援する?
僕を応援してくれたら、僕は死なないで済むよ。』

「んー・・・・・・でもピラルク死んじゃうんだよね?・・・・・・んー・・・」

訊いた僕が馬鹿だった。
自分で傷をえぐってしまった。
彼女の口が僕を好きだと言う日は来るのだろうか。
このままだと永遠に片思いで終わる気がする。

クリエイティブな仕事をする彼女。僕の一番苦手な分野だ。
一方僕はというと、仕事を辞めたばかりの無職だ。
勤めていたのは一般的に言われるブラック企業で、給料の支払いがされていなかった。
一年半勤め役職もついたものの、僕は全くと言っていい程愛社精神がなかった。
辞めてやったと笑えるくらい、今は清々している。
貯金もないわけじゃないし、しばらくはゆっくりしよう。
そう思っていた矢先に彼女と出会った。

同い年でどこか僕と似ている彼女に、
僕は急速に惹かれていった。
笑った時のかわいい顔、少し力を入れたら折れそうなくらい細い体、
その割に大きい胸、ツンデレな性格、
全てが僕のツボだった。
守りたいと思ったんだ。

見た目とは裏腹に、彼女はちょっと変わった子だった。
古代魚や深海魚、爬虫類なんかが好きで、僕の家にヤモリが出た時は、
羨ましがってた程だ。
そのくせ両生類が嫌いで、蛙は大の苦手だそうで。
蛙がダメでヤモリは好きなんて、その違いが僕にはよくわからない。
今までの「女の子像」を見事に打ち砕いてくれた彼女。
僕に無いものをたくさん持っていて、その上少し似ている部分もあって、
会った事の無いタイプの女の子だった。

 僕の耳が難聴だということを、彼女は話す前から知っていた。
というか、彼女の方から耳の状態を訊いて来た。
彼女曰く、そういう所も共感覚でミエルらしい。

僕の耳は生まれつきの難聴で、
両親がその事に気付いたのは、僕が幼い頃だった。
遠くから名前を呼んでも、全く反応を示さないことに違和感を抱いたらしい。
20歳の頃まで病院で検査をしていたけれど、
これといった治療法も無く、回復の見込みもないまま、
僕は通院をやめ10年が経った。
補聴器も、仕事の時以外はしていない。
電車に乗る時、補聴器は邪魔だ。
うるさすぎていたたまれない。
東京という街で暮らしていくには、
少しくらい聞こえにくい方がちょうどいいのかもしれないと思っていたんだ。


彼女に会うまでは…。


 「共感覚」というのは、特殊能力ではなく
いわゆる知覚の一つなのだとか。
彼女が自身の共感覚に気付いたのは、5年程前の25歳の時だという。

 文字に色を感じたりするなんて、僕は最初疑っていたんだ。
彼女は言う。
ひらがなの『あ』は赤色で女性なのだと。
文字に性別がつくなんて、僕は彼女を頭がおかしい子なのかもしれないと思った。
いくら感性が豊かでも、芸術をやっていようと、それはあり得ないと僕は否定してしまった。
すると彼女は言った。

 「私にとって文字や数字に色や性別を感じる事も、音から色をミルことも
生き物の性格や感情に形や色がある事も、ごく自然な事なの。」

と。

それが自然な事…。
僕にとって耳が聞こえにくい事が自然な事となっているように、
彼女にとっては、そう「ミエルセカイ」が自然な事なのか。
僕は彼女の事が知りたくて、たくさん質問してしまった。

 『それって辛いことはないの?』
 『五感とは違う部分が働いてるの?』
 『よく音楽を聴いて風景をイメージしたりするけど、それとは別なの?』

僕の質問攻めに彼女は笑っていた。
笑いながらも、しっかりと答えてくれたんだ。

 「辛い事はよくあるよ。ミタクナイモノをよくミテしまうから。
例えば、自分がすごく元気な時に、他人の負の感情が流れ込んで来て、急に落ち込んだりする事はよくあるしね。
出来れば負のものや自分が苦手なものは避けたいじゃない?
でも私の場合はそれが極端に出来ない。
五感はもちろん使っているけれど、
五感を通す前に脳内にダイレクトに色とかが飛び込んで来る感じかな。
自分でイメージしているものとは全く違うものがミエタりするから、
やっぱり『イメージすること』とは違うみたい。
 美術館に行って、どれだけ高い値がついている有名な絵画を見ても、
私にはただ苦くてジャリジャリした食感の絵にしか感じなかったりする。
でもその反対もあるの。
とても好きな味のする絵に出会ったり、
綺麗な色の音楽に出会えた時は本当に嬉しくなる。」

 彼女は共感覚者である自分を完全に受け入れていた。
良い事もある。悪い事もある。
それが共感覚で、それは僕の耳にも同じ事が言えた。

 僕が彼女に感じた「似てる部分」というものを、僕は次の彼女の言葉で確信した。

 「共感覚者はね、同じ共感覚者同士でも同じようには感じないの。
私にとって『あ』は赤色で女性なんだけど、
別の共感覚者にとっては黄色で男性にミエテるかもしれない。
そういった意味ではね…。
セカイを誰とも共有出来ない孤独感がすごく強いの。」

 孤独感…そうだ、僕と彼女の「似てる部分」はそれだ。
僕の耳が聞こえにくいこの世界も、僕は誰とも共有出来ていない。
僕等の持つそれぞれの孤独感が、僕にとっては妙に居心地が良かった。

 彼女の話を聞いて、僕はほんの少しだけ
共感覚者の苦悩と幸せを理解出来た気がする。
そして僕はより一層彼女に惹かれていったんだ。

何回目かのデートの日。
 「あなたは水族館みたいな人。
すごく近くにいるのに分厚いガラスがあって、決して中には入れない。」
彼女は僕の事をそう言った。
どうやらそれも共感覚でミエタものらしく、僕の第一印象だという。
僕には6年間引きこもっていた過去がある。
そのせいもあるけれど、昔から聞こえない事での孤独感は強かった。

「自分の殻にこもらないで?出ておいで。
その分厚いガラスの壊し方をあなたは知っているはずだよ。」

彼女は優しくそう言った。
僕は自分の殻にこもる癖みたいなものがあった。
一人でいることは嫌いではないけれど、そう思わざるを得なかった環境で育った。
そんな事まで、彼女にはばっちりとお見通しのようだった。
でも、彼女の言った「ガラスの壊し方」が、僕にはわからない。

それを言おうと彼女の顔を見て言葉を失った。
泣いていた。

「私の涙じゃない、これはあなたの闇に触れたあなたの涙」

と彼女は言う。

彼女は僕の背中に寄り添って、しばらく泣き続けた。
彼女が今日、僕を部屋に入れてくれたのには、
そういう理由があったのかもしれない。
人前では泣けないから。
強がりな彼女のことだから、きっとそう言うだろう。

 彼女は、僕の闇に共鳴したのだと言う。
僕の孤独な感情が流れ込み、涙が出ているのだと…。

泣き続ける彼女に僕はどうすることも出来なくて、でも、この子だけは手放しちゃいけないと思えたんだ。

 やっと泣き止んだ彼女の顔には、
何かを決意し覚悟を固めたかのような表情があった。
そして、僕の願っていた言葉が彼女の口から出たように聞こえた。
でも、聞き取りきれなかった。

「…きだよ。」

『え?もう一回言って?』

彼女はそっと僕に寄り添って、僕の耳元で、

「すきだよ。」

と言ったあと、恥ずかしそうに笑ってみせた。

嬉しすぎてにやける。嬉しすぎて言葉が出ない。
僕の唇は彼女へのお礼の前に、彼女の唇に重なっていた。
体が自然に動いてた。
小さくて柔らかい唇の感触。
抱き寄せた体は、思っていたよりもずっと細くて、優しくしたいと何度も思ったんだ。

僕等はこの日、それから何回もキスをした。

『好きだ』

僕は壊れたおもちゃのように彼女にそう言い続けて、彼女は笑って僕の想いを受け入れてくれてた。
何度も何度も好きとキスを繰り返した。

そして僕はついに彼女を抱いた。
柔らかい肌、むせるくらいの女の子の香り、滑らかな舌…。
細いのに色気が凄い…。
ヤバいな…。
僕の指や舌が彼女の体をつたう度に、彼女の口から漏れ出る声を、僕は少しも聞き逃したくなくて、耳が聞こえにくい事をこの時ばかりは憎んだ。
彼女には今どうミエテいるんだろう?
僕は今何色?体に触れるとその人の色が強くミエルと言っていたから、今、彼女は僕の色でいっぱいのはず…。
でももうそんなことどうでもいいや…
気持ち良すぎる…。

 その日の夜中、彼女がまた泣く事になるなんて、僕は気付きもしなかったんだ。

 緩やかな睡眠の中、僕は右腕に違和感を感じ目が覚めた。
彼女の小さい体が一層小さく丸まって、僕の腕にしがみつき大粒の涙を流していた。
驚いて完全に夢から覚めた。

『どうしたの…?』

戸惑う僕の問いかけに彼女は今にも崩れ落ちそうな表情で、小さく僕にしか聞こえない声で答えた。

「怖いの。」

何か悪夢でも見たのかと思い、僕はそっと彼女の頭を撫でた。
だけど彼女の涙は一向に止まらない様子だった。
そして彼女の唇が少しずつ、その涙の意味を語り始めた。

「あなたの耳が…もし完全に聞こえなくなって、私の声が届かなくなったら…それが怖いの。」

震える声で彼女はそう僕に告げ、泣き続けた。
こんな夜中に、どのくらいの時間一人で泣いていたんだろう。

 僕の耳の状態を、彼女はネットで調べていたらしい。
進行性の大病の可能性がある。いずれ全く聞こえなくなるかもしれず、視力も失うかもしれない。
事実、僕は視力も相当悪い。
恐らく、僕の耳と目の状態を今は彼女の方が知っているのだろう。

「一緒に…病院に行こう?」

そう泣きながら訴えて来た彼女。
僕以上にこの耳が聞こえにくい事を怖がっていたんだ。
心配してくれていたんだ。
それなのに僕は、聞こえにくい事が当たり前になっていて、彼女にそんな不安を与えるなんて気付きもしなかった。

「あなたの目が…もし完全に見えなくなって、私の顔すら見えなくなってしまったら…
それがたまらなく怖いの。だから一緒に病院に行こう?」

あぁ、そうか。
あの時の彼女の覚悟の顔は、この言葉を言う為のものだったんだ。
病院嫌いな僕の性格を知っているから、真面目な話を避けて来た僕だから、
彼女は一人で心配して悩んで泣いていたんだ。

 今まで誰一人としてそんな事を言ってくれなかった。両親でさえも。
聞こえにくい事も、視力が低下している事も、当たり前に思ってた。
だけどそれが彼女を不安にさせ泣かせてしまうなら、僕の選択肢は一つしかない。

『病院に行こう。一緒に来て欲しい。』

 僕等はまたひとつ約束をした。
彼女の涙は僕に色んな事を教えてくれる。
そんな彼女が僕には必要なんだ。
泣き虫で寂しがりやでワガママで、どうしようもなく愛しい。
僕は聞こえにくい耳で、恋に落ちていく音を確かに聞いた。
僕等の恋には意味がある。
真逆な耳を持つ僕等は、それぞれに悩み孤独を感じ、生きて来た。
そしてこれからは、一緒に笑い合う為に今となりにいる。
そう思えた。

 遮光カーテンから朝日が漏れ出し、夜が明けた。
いつの間にか僕等は手を繋いで眠っていた。
彼女が体を起こしたのに気付いて、僕も起きた。

「おはよう。あなたと生きていく覚悟が出来たの。」

 カーテンを開ける彼女から嬉しい言葉が降って来た。

「もし、あなたの耳が聞こえなくなったら、私があなたの耳になる。
 もし、あなたの目が見えなくなったら、私があなたの目になる。
 だから…これから一緒に生きて下さい。」

答えはもちろん決まってる。
僕は返事するよりも先に、唇を彼女に重ねてた。

「一緒にいよう。二人で生きよう。」

 そう僕が言うと、彼女はいつもの笑顔を向けてくれた。
朝日が眩しくて、光に包まれたかのような彼女を、僕はそっと抱きしめた。

 「すきだよ。」

迷いのない彼女の瞳が僕を見つける。

 『好きだ。』

僕もきっとこれから新しい彼女の一面をたくさん見つけるだろう。

 彼女と過ごす時間の中で、僕はやっと気付いた。
彼女の言っていた「ガラスの壊し方」はココロを開く事だったんだ。
こんなにも簡単に僕の分厚いガラスが壊れるなんて。
ココロを開くという事を、僕は今まで自分で難しくしていたんだ。
「ガラスの壊し方」を手に入れた僕は、少し強くなれた気がした。
その強さで、彼女を守りたいと思った。

 人は恋に落ちていく音を聞くことが出来る。
少なくとも、僕には聞こえた。
神様がこの耳を聞こえにくくしたのには、きっと意味がある。
その意味が、彼女と出会わせてくれた事ならいいと、僕は一人にやけた。

「私ね、恋に落ちる音を聞いたの。」

彼女の嬉しそうな声に、僕は満面の笑みで返す。

『それって何色?』

 僕にしか見えない世界。
彼女にしかミエナイセカイ。
僕等の恋の音はちゃんと二人に聞こえてた。

 これから先、僕等二人はたくさんの約束をするんだ。
病院に行く事、遊園地に行く事、温泉に行く事、きちんと働く事、美味しいものを二人で探す事、
それから…たくさんたくさんキスをする事。
約束を交わして、僕等はまたキスをした。

『好きだ』

「もう一回言って?」

たまには逆転して彼女がそう聞き返しながら、
僕等の幸せな恋の音は、今日も僕の耳に聞こえている。

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