余白を埋める夫と、共存共栄するために
その人のセンスというのは、その人の育ちとか見てきたものだからどうしようもない。
北川悦吏子「ぼくらがドラマを作る理由」
昨日書いたように、わたしは余白を「つくる」ことに意識が向きます。かたや、夫にとっては、余白は「ある」ものであり、「埋める」対象にすぎません。外資メーカーの営業職なだけあって(?)、心身がタフなのです。そりゃあ、誰かが片づけてくれたらラッキーだけど、とっ散らかってるくらいでイライラするなんて、ないわー。という感じのようです。
ヘッダーの写真は、台所のカウンター越しに見える風景。左が夫エリアです。小人でも遊んでるんかな?ってくらいに、1日で盛大に右側に雪崩れこんでくるので、毎朝毎朝、わたしが歯を磨きながら押し戻しています。もし、友だちの彼氏や旦那さんの話なら、「うわー、わたし、ぜったいこの人と一緒に暮らされへんわー!」と言ってしまうところですが、いかんせん、結婚しちゃったもので。7年前に。7年付き合った末に。無頓着ぶりは想像以上なものの、想定外ではなかったし、彼は自他ともに認める「ブレない男」なので、もう、しゃあないな、と受け入れました。百歩譲って、心が乱れるのは、精進が足りないわたしの問題なわけだし。
この件で、わたしがわたしの中の人とつけた折り合いは、「夫のモノは片づけない」です。エリアをはみ出てなかったら、それでいいことにしました(なし崩し的にエリア順次拡大中なのがアレですが)。そう決めた途端、脳が「見ない」からか、気にならなくなったから不思議なものです。
(この窓は、隣接する家のおかげで道行く人から見えない位置にあるのでいいけど、外から見える窓だったら、やっぱり、こんなぐちゃっとしてるの、絶対いや)
明日は、ひよこの制服採寸の話か、腹巻の威力の話か、バルミューダトースターの話を書くつもりです。
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