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家庭内ダイバーシティ

お隣さん家は、よく、ご自宅の駐車場でホームパーティーをされています。車1台分のスペースだけど、玄関を出て3歩で公園で、並びの家以外の車の往来もないので、ぜんぜん狭くるしくなくて。しかも、我が家と同じ間取りで、リビングを真上に構える駐車場なのだけど、角地だから、日差しが入って明るい。うららかな先週の土曜日、例によって、お花見パーティーが開催されていました。パーティー一味の子どもたちに交じって、ひよこも公園で遊んでいたので、わたしも、缶ビール3本分、お邪魔させていただきました。

「どうぞ」と誘われたらホイホイ乗っかるタイプのわたしに対して、夫は、そういうのが、からっきしダメです。岩と化します。内気とか気が弱いというより(むしろ、意志が強くてブレない)、もう、ただただ塩対応。見ているこっちがひやひやする、堂々とした、しょっぱさ。すみません、愛想がなくて、すみませーーーーーん!

15年近い付き合いの途中では、「なんでそないに、つんとするんよ!」と、別れがチラついたこともありました。でも、「じゃあ、次はどういう人と付き合いたいのか?」とわたしの中の人によくよく問うと、そこでイメージしてるのは、「無愛想」が「愛想よし」に反転した、彼なんです。いいところはそのまま全部継承して、面倒なところだけが解消された、クローン。おりませんね、そんな、完全無欠な王子様。

「無愛想な彼が嫌」を因数分解したら、その解は、「無愛想な彼(に、ひやひやさせられるの)が嫌」「ひやひやさせやがって、面倒くさいやっちゃ」でした。わたしは、面倒くささを引き受けるのを、面倒くさがってたんです。

いいところを全部投げ売ってでも、引き受けたくないほど、面倒なのか、それは?と考えたときに、ハラが決まりました。わたしの中に、ダイバーシティ(さまざまな違いを尊重して受け入れ、「違い」を積極的に活かすこと)の芽が、ひょこっと。そして、結婚。

ダイバーシティって、基本的に面倒なことで、その面倒くささを(考え方・動き方の)仕組みで軽減(願わくば帳消し)して、土壌をつくるのねー、と日々精進しています。

(前も似たようなことを書きましたが、定期的に書き留めないと、すぐに煩悩にやられてムキーッとなる、徳のひくいわたしです。たぶん、また書きます)

(好き勝手言いましたが、夫は、人の出入りが激しい外資企業の営業職をもう丸9年続けてるくらいには、敬意と誠意あるコミュニケーションをとれる人です(^_^;))

嫌いな人がいたら、好きになるところまで離れればいいのよ。この世にはわかり合えない人がいるじゃない?どうやったって。逆立ちしたってだめな人。
むかでとか、大嫌いでもどアップで見るより、一メートル離れたら少しいいでしょ?二メートル離れたらもっといいでしょ?見えないとこまで離れても、むかでがいることは忘れないでしょ?でも、うんとましでしょ?

よしもとばなな「ハチ公の最後の恋人」

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