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てえへんだ!鬼が! 鬼が山借り降りてきやがった!
歳も明け正月気分も抜け去り、みんな穏やかに、そして忙しい魔日に戻っていった矢先だった。
大江山の鬼。かつて源頼光様が退治したという鬼。たしかに悪鬼の親玉・酒呑童子は英雄によって討伐されたが、そのあとも、残党の鬼たちは山に居住み続けていた。だけど、頭を失った少数の鬼たちは、以前のように横暴な略奪をするでもなく、むしろ検非違使の追跡を避けるように、ひっそりと隠れて暮らしていた。まるでイノシシかクマのように山陰を住処とし、人を避けて暮らしていた。思いがけず遭遇してしまったときには、パニックになり威嚇するかもしれない。動揺して人を襲うかもしれない。だが、互いに争う意志を見せなければ、その場をやり過ごす。最終手段――暴力行為――に出てしまうのは、彼らとて身を守るための防衛本能にすぎない。だから、私たちも彼らのテリトリーを侵さなければ、おたがい平穏に過ごしていけるのだった。
だが、なぜ今鬼たちが山を――?
✒
鬼は人を喰うのだと言い伝えられている。もしかすると本当に喰っていたのかもしれない。ただ、最近はそんな事件も聞かないので、流説かもしれない。
言い伝えでは、とくに若い女性や子ども好んで喰うのだという。考えてみれば当然だろう。なるべくやわらかくてみずみずしい肉を求めるのは、なにも鬼でなくても同じ。人間だって若鶏や新鮮な食材を好んで食べる。
人を喰らう。……なぜ心の芯から冷たくなるような恐ろしさがあるのだろう。
食物連鎖の上では、人間は鬼より下かもしれない。妖術を試みる鬼もいるという。だから、鬼が食材として人間を求めるのは……私たち人間としては不本意だが……俯瞰的に見れば自然の営みの、自然な流れなのかもしれない。
ただ、鬼は曲がりなりにも知性がある。毛むくじゃらの身体、鋼鉄のように硬い赤い身体。化け物じみているけれど、彼らは話すことだってできるという。印を結ぶ妖術が詠唱できるということからも、かれらが言葉を理解できるということ。言葉を知るということは、すなわち知性があるということだ。
知性のある生き物が、知性のある人間を食す。
そこにまぎれもない醜悪さと、絶望に等しい無慈悲を感じるのはなぜだろう。
知性。そこには理解や和解……そんな希望の意味が含まれるからかもしれない。
大きさや肌の色は違うけれど、おなじような比率で四肢があり、おなじような場所に目・鼻・口・耳が存在している。
だが異形。類似性を感じるからこそ違和感が生まれる。いっそ人間からもっとかけ離れた姿ならば、ただ忌避する存在、駆逐する存在で話がついてしまうのかもしれない。
鬼。人ではない。ただ言葉を話せる。異形だが。
そして、それは……人間を、知性を育んだ命を喰うのかもしれないのだと……。母親に、父親に、喜びを持って取り上げられた生命を、いとも簡単に引きちぎりる。自分の滋養のため、自分の命をほんの少しだけ生きながらえるだけのために。記憶も、魂も、取り込まれて……喰われてしまうのだ。
✒
来る。さやは身震いをしていた。
鬼。忘れもしない。その二文字。さやの心の奥に深く刻まれた記憶。
「もし、あのときの鬼がまだ生きていたなら」さやは仏壇の脇に置かれた小箱から、ひと振りの小太刀を取り出し、握りしめた。
さやの弟は鬼に殺されたのだった。
当時、弟はまだ6歳だった。子どもが生まれたとして、大きくなるまで生き延びられるものは少ない。片隅とはいえ都、だが、さやの家族のようなほそぼそと暮らしているようなものでは、なおさらのことだ。流行り病、飢饉、盗賊に襲われることもままある。実際に、さやの兄も一人病で亡くなっていたし、下の兄弟も赤子のうちになくなった子もいた。しかし、その弟は極めて健やかに育っていた。
山にキノコを採りに入ったときだった。母も一緒だった。3人は籠にたくさん集めた。その日は思いのほか採取できて、みんな笑顔だった。
暗黙の境界線は知っていた。それは、近隣の村の者も、都の者も、だれしも自然に教わっていくものだった。大江山のテリトリー。すなわち鬼たちの住処。さやたち親子も、もちろん警戒していた。ただ、そのボーダーラインがあるせいもある、境界線の近くは人が近づかない。そこにはキノコも山菜も、人から手を付けられずに残っている。そのぎりぎりの付近を探すのが一番収穫があるのだった。
夕暮れの赤くなった景色のなかに、それは居た。陽の光よりも赤い赤い身体をした鬼だった。だけど、当たり一面に伸びた夕焼けの色は、世界をを鈍い赤と黒とで染め上げ、訪れる人の目をくらませていたのだった。
それは、鬼のほうでもおなじだったようだ。鬼は夕焼けの雲を見つめていた。ただ、いちにちの終わりに黄昏れていた。
おたがいの気配に気がついたときは、もう遅かった。さやの身体は少し伸ばせば鬼の腕が届く位置まで接近していたのだった。
唐突に現れた人間に、鬼はパニックにおちいった。鬼の鋭い爪がさやに伸びた。それを助けたのは弟だった。落ちていた木の枝をすばやく拾いざまに鬼に打ち込んだ。当然子どもの一撃など鬼に効くわけもない。「逃げるのよ」母が即座に叫んだ。私も弟も駆け出した。
鬼は人語も解すし、知性もある。だけど、妖気を持つ。枝を打ち込まれた鬼は、痛みと怒りとで、強烈に妖気を放ち、その顔は……まさに鬼と形容するべき憤怒の表情になっていた。そして、獣のように邪気を帯び、私たちに向かってきた。その姿は妖怪そのものだった。
恐怖だった。「あの顔は一生忘れることができない」と瞬間的にそう悟った。そして、逃げた。3人で逃げ出した。
鬼の足音。振り上げる腕から起こる風のうねり。すべてが不協和音だった。50メートルくらい走ったときだろうか、振りおろしたであろう爪の音から、「ドサり」となにかかが叩きつけられる音がした。私の前には母、私の後ろに走っていたの弟……
「振り向いてはダメ!」母は前を見ながら叫んだ。母の瞳には光がなかった。
私の瞳には涙が溢れた。そして、足がちぎれてしまいそうなくらい走った。
私は振り向かなかった。
それは恐怖だったのかもしれない。
自分が助かりたかったという思いなのかもしれない。
鬼は人を喰らうのだという。とくに若い女性や子どもを好んで喰うのだという。一度人を喰らったら、その鬼には知性があるのだろうか。もし、その鬼と話し、彼の背景、彼の思想を知ることができたとしても、理解というものが生まれることはあるのだろうか。若いなどできるのだろうか。
振り下ろされた爪は、弟をどこまで傷つけたただろうか。きっと、弟は斃れただろう。そして、……彼は、鬼は、弟を喰らったのだろうか……
もしあのとき、振り返えれたら……私はどうしていただろう。引き返しただろうか……てごろはものが木の棒しかないとして、立ち向かっていっただろうか。いや……
もし、そのあと私や……とくに母が追いつかれていたら? 私は振り返っただろうか。立ち向かっただろうか。かたきを討とうと、私はしただろうか……
いや……いや………
都の門までたどり着いた私と母は……なにも言わなかった。私たちは……私たちは……
✒
大江山から都へ。それならばきっとこの山道を通るだろう。
さやは小太刀を握りしめた。来るがいい……
敵討ちなんて、潔いものではない。ただ、あのときの自分を、卑怯にも弟を置き去りにした自分の罪を消し去りたい。その一心。
さやに霊力はない。陰陽師ならば事前に鬼の容器を感じ取り、結界を張り先制攻撃に打って出ることもできるのだろう。そして妖力を封じ込める法術で鬼を打ち倒すことも。
都を守る検非違使のような磨かれた鋭い刀もない。あの太刀なら肉の深いところまで傷を負わせることができるだろう。
だけど……さやの手にあるのは、女の身に扱える護身用の短い小太刀。これとて満足に扱えるかどうか……
小太刀を握り感覚を研ぎ澄ます。気配を、空気の流れを。これがさやの結界だ。
一瞬でいい。鬼を捉え、鬼より早く動ければ。小太刀の一撃で……一体どこまで突き刺せるかわからなくても、確実に傷を負わせる、確実に急所を射止める。集中力。その一撃のために全神経を集中させた。
せめて、一突きだけでも……いや、それさえ叶わなくとも。あの時に逃げだした自分と決着をつけるため……それは、自分が鬼に敵わず、捉えられ、喰われたとしても後悔はない。それで、それで……私はやっと弟にあの世で謝ることができるのだろうから。
✒
どれだけ待っただろう。月をはむ雲はときとともに大きくなり、かすかにあたりを照らしていた光もこころもとなくなった。景色をさらに闇へと落とし込んでいく。あたりは何も見えない。でも見えなくてもいいんだ。目に頼らない。逆に、あの恐ろしい形相を見てしまうと、さやの心は怯んでしまうかもしれない。
感覚だけで捉える。それでいい、確実に、鬼の魂を感じ取り、それを貫くんだ。
葉の擦れる音。
犬の遠吠え。
虫のささやき。
風の音が、ため息のように分かれて流れる場所がある。
匂う。
明らかに動物とは違う。野生と呼ぶにはまだ幾分知性的で、人というには獣臭すぎる匂い。
来た。
逆手に構えた刃の一線。
構えはそのままに、指に力を込める。極限まで息を殺し、闇の中に気配を紛れ込ます。
近い。
最短距離で突く。できる。私なら鬼の喉元を……!!
頼むぅぅぅ! 買うてくれぇぇぇー!
現れた赤色の影はさやが思い描いていた速度とは比べものにならない速さで、近づいてきた。
たのむよぉぉぉぉ! なぁぁぁぁ、むすめさぁぁぁん!
避けることも、逃げることもできない。それどころか、小太刀を振りかざす暇もないくらい、影が伸びるように鬼はさやの目の前に立ちはだかった。
そして、鬼はなにか布切れで、さやの顔面を塞ぐように突き出してきた。
本当にいいものなんだよぉぉぉぉ! 嘘は言わねぇぇぇ!
鬼はさやの両肩を摑んだ。と、そのはずみに小太刀は手から跳ねるように飛び落ち、叢の中へ消えた。もうどこへ行ったかわからない。
そして、鬼はさやへ、その布切れをしきりに見せようとする。鮮やかな黄色い色をした、縞柄の布だ。
良いパンツなんだぁぁぁぁ! 鬼のパンツはなぁ! 本当に最高のパンツなんだよぉぉぉ! なぁぁぁ!
鬼の圧倒的な迫力と腕力で持って、そのままさやは地面に倒された。身動きは取れない。なぶられる、喰われる! 身を捩っても抜け出すことができない……さやの心は、すべてを察し絶望の淵へと落ちた。
抵抗?もはやどうしようもない。掴まれた腕も、のしかかられている身体も、強烈な圧力で押さえつけられ、もはや自由など存在しない。この鬼の意思のままに、さやの肉体も、運命も決まってしまったのだ。
もぅう、買ってくれとは言わねぇぇ! せめてぇぇ、せめてこのパンツの良さを知ってほしいだぁぁ!
鬼の目は血走っていた。必死だった。飢えているのか? 喰らうというのか? それとも、なぶり殺しにするつもりなのか。たしかに、実りの少ない山奥で隠れるようにくらしていたのならば、さやは数少ない獲物であり、暴力を満たす格好の玩具でもあった……いや、しかし明らかに様子がおかしい。
なぁぁ! お願いだぁぁ! これを履いて、都のみんなに伝えておくれよぉぉぉ!
なにを言っているかもわからない。
だけど、なおさやの身体にのしかかり、寸分も身動きが取れないくらいの力で押さえつける。そして訴える。
履けばわかるぅぅぅぅ! わかるんだよぉぉぉぉ!
そして鬼はおもむろに、さやの着物の裾に手をかけた。脚元の布を乱暴にまくりあげようとした。
「いやっ! なにを!」毛むくじゃらな鬼の手を太腿に滑り込まされ、さやは恐怖と、恥辱の涙が滲んだ。
ごめんなぁぁぁぁ! でも、誰も手にもとってくれないんだぁぁぁ! 履いてもらうしかないんだ ! 履いてもらうしかないんだよぉぉぉぉ!
ゴツゴツした鬼の指はついにさやの着物の中へ、無遠慮に、暴力的に入り込んできた。
こんなところで貞操を……! しかもこんなケダモノ、もとい鬼から……! 恨んで恨んでやまない鬼なんかに……!
抵抗できない。あらためて女の弱さを知った。人間の弱さも痛感した。涙が溢れた。さやは怒りと絶望で、なにかがぷつりと切れる音がしたような思いだった。
舌を噛もう。
こんな恥辱に耐えながら生きてはいけない。だけど……こんな、こんな人生の終わりかたなんて……? あの日、弟が命をかけて守ってくれた私の人生が、こんな屈辱的な終わりをむかえるなんて……こんな……こんな終わりかたでいいのだろうか……
こんな…………?
……なにこのフィット感。なにこの温かさ。そして、この肌ざわり………
どおだぁぁぁぁ? 良いパンツだろぉぉぉ?
保温性も抜群だから、体を冷やしちゃいけねぇ御婦人にもぴったりだぁぁ。
なによりムレない。どうだぁ? 快適だろぉ?
なんてこと、私に足りなかったもの……いや、自分にかけていたものがピッタリハマったような、そんなフィット感。これは……
人間にはまだパンツってモンがなかったかなぁ? いいもんだろぉぉ?
それもただのパンツじゃねぇ。鬼のパンツはトラの皮を使った、「何年履いても破れない」パンツなんだなぁぁ。丈夫だぞぉぉ。長持ちするぞぉぉ。
気持ちいい……パンツというモノが、こんなに心地よいものだなんて。
さやの頬がほんのりと赤く染まっていた。これが鬼のパンツ……
こんなに暖かくて、やわらかくて、やさしいものがこの世の中にあったなんて。
さ、これはサービスしておくだぁぁぁ。よかったらこのパンツを都の人たちに教えてくんろ。
心なしか、恐ろしい形相に見えた鬼は、今はまるで仏様のような慈悲深い顔に見えた。その赤い肉体の色も神々しいくらい艷やかでたくましく見えた。
こんど都に行商にいくからなぁぁ! あ、そのときはもうひとつくらい買うてくれよぉぉ
さやは静かに頷いた。きっとこの鬼とはまた会える……そんな気がしたのだった。それは鬼とさやとの約束だった。
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