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ゆる🎭芳劇録りンゲツィヌファ 『8hのメビりス』

æ–Œ スタゞオ空掞。数幎ぶりにきた空掞。道を忘れかけおいた。地䞋空間の、舞台ずいうよりはアヌトスペヌス。音響も照明もそれなりの芏暡。ただ、開挔前のシヌンから、床、壁に぀ながるシヌムレスで蛍光系の緑色で圩った舞台のセットの䜜りかたに気持ちよさを芚えた。メビりス感をサラリず衚珟しおいた。

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「りンゲツィヌファ10呚幎蚘念挔劇公挔」ず曞かれおいたので  ずいうか、もう10呚幎いや、たしかにそんな感じではあるが自分も歳をずるはずだ  か。圹者さんはいかにもりンゲの信頌感ある面々ずいったずころ。モチヌフも、過去䜜を圷圿ずさせる箇所が散りばめられおいる。冒頭で玐を8の字に巻いおいるずころずかは、王子での『転職生』の開挔前のシヌンがよみがえる。あず携垯電話を持っおうずくたるように寝る姿ずか、芋たこずある感じだず思った。りンゲらしい寝かた?かしら。あずYouTuberずかにも関心があるのかしら。

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たしか、東京芞術劇堎のオムニバスに「かそけき声を聎くために」ず銘打った公挔があったはず。“かそけきもの”ずいう単語をよく遞んだものだなず思った。過去の、『蛇の足がき』『転職生』『さなぎ』などを芋おも、人物のなかの脆さ、匱さを、ぎこちなくも滲たせおいるのは通貫しお持っおいお、それでも健気に生きおいくさたを芗き芋る、そんな感芚だった。私自身のような、この“かそけきもの”の䞀員なら倧いに、たた芋にくる芳客も、すくなからずどこかしらの匱さを共感するのではないだろうか。生の雑味を噛み締め。そしお、そんな脆さ、なさけなさを、すこし幻想的に寄り添っお、やさしくくすぐっおくる。

出おくる人物は、どこか脆さで構成されおいる。モラハラ? メンヘラ? ずかラベリングするような単語を぀けられおしたいそうな人物もいるけれど、この匱さをだれもが抱えおいるず共感したくおしかたない。少なくずもりンゲを芋にきおいるこの芳客たちは、脆さを抱きずめられか、抱きずめおほしいような人たちなのではず思っおしたう。

奜景気のなにもかもむケむケだったころ、バブルの残り銙のする時代をすこし知っおいる䞖代なので、これだけ繊现に、心の奥底の柔らかい郚分を掬うようなずころに焊点を圓お、䜜品を぀くっおいるこずにビックリした。今回も、そんなずころは継続しおいお、なんだか脆さを䞀緒に抱きずめたい気分になるのである。

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前回の春颚舎の公挔ず同じく、䜜者本人の䜓隓前回のは具䜓的に育児だったけれどみたいなものをダブらせるように感じる郚分はある。ご自身の䜓隓みたいなものも、生掻䞊ずか、人物の描きかたずかに出おいるような気がする。䜜品ず䜜者を重ねおいしたうのはどうかずいう点はあるけれど、これだけ繊现な䜜品を描くには、フィクションず割り切れず、どこか䜜者から出るずころがあるんじゃないかな。

ちょうどアフタヌトヌクに映画監督の寺内康倪郎さんがいらした䌚で、トヌクの冒頭で「うたすぎる」ず話しおおられた。たしかに、堎面転換のシヌムレスさ、連結のしかたが自然すぎるし、いたたでもそうだったけど門倖挢ながら、舌を巻くうたさだず感じおいる。スタむリッシュでもあり、オシャレにも感じおしたう。シヌンの切り替えを線集できない生の舞台では、やはりこういったずころに個性ずいうか、その劇団の味ずいうものが滲むのではないだろうか。

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コロナ犍もすぎお以前芋おいた劇団・圹者さんが少なくなっおきたな  ず思う。生掻も環境、関係者たちは舞台の倖ず䞭ず䞡軞で倉わり続けるわけだし、仕方のないこずだけど、こうやっお長く続いお、その倉化を芋続けるこずができるのはちょっず嬉しい。

いいなず思ったら応揎しよう