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四十七都道府県閑歩覚書 ~長野編(上田・長野・穂高・松本)~


47都道府県を制覇するとの目標をもっている(まるでヤ○キーのようだが、ただすべての県に行ってみたという話)。長期休みがせまると、残りの未踏の地を埋めようと旅行の計画を立てる。これを書いている時点で、あと7県。
踏破済みのリストを見返すと、ひとつ疑問の県があって、はて、長野へは、どこへ行っただろうか? リストにある以上行ってはいるはずだが、イマイチ思い出せない。いや、でも行っているはず……と、まあ、自己申告でやっていることに、アレコレ正当性を主張しても意味はないし、気になるなら、ケチがつかないようにもう一度行ってみるのもいいだろう、とういうだけのことだ。
長野なら首都圏からも近い。新宿から松本へは特急で行けるくらいだ。だが、あらためて計画を立ててみて、北陸新幹線で長野県へ入ることにした。このルートのほうがきっと空いているだろう。行きたい場所へ目星をつけると、上田、長野、安曇野、松本……ならば、北も南も、どちらから回ってもかまわない。松本が一番人気の場所なのだろうが、訪れるのならば、県内の各地方を見てみたいものだ。

上田市。
北陸新幹線を上田で降りる。上田は北国街道、柳町といって、昔ながらの(観光地の常套句にも聞こえるが……)町並みが残された通りがある。真田氏で有名な上田城もあるし、落ち着いた観光地としては歩きがいがありそうだ。
上田城にある真田神社にお参りして、北国街道へ向かう。途中、紺屋町という標識が目に入った。おや、「紺屋」といえば染色する場所の呼び名のはず。ちょうど、手ぬぐいの工法について調べようとしていたので思い当たった。染物の集落でもあったのだろうか。実際に街のガイドを見てみると、たしかに以前、このあたりは染物をしていた一角らしい。ただ、見たところ今もそのその名残があるわけではなさそうだった。見学できる施設などあればと思ったのだが。
柳町は人がまばらだった。というか、お店が開くのが昼前の、のんびりスタイルが多い。次の予定があるからと、10時前に来たのは少し早すぎた。店の数は多くなかったが、なるほど、街中は雰囲気のいい。11時を過ぎると、観光客がちらほら見え始めた。信州味噌で味付けた味噌カツを食べた。
上田でひとつ見ておきたかった場所がある。古書の買取・販売をしているバリューブックスが運営する本屋が駅から少ししたところにある。地図で下調べたとき、曲がりなりにも本に関わる仕事をしてきたので、見ておきたいという気持ちが湧いた。
店舗は、廃業した家屋(パーマ屋?や紙屋)を居抜いた古本屋と、新刊も並べているカフェスペースのある本屋が3軒連なっていた。時間の都合上、20分くらいしか店内にいられなかったのだが、カフェのある店舗には客がひきりなしに入ってきていた。外には観光客もまばらなのに、店内が賑わっていることに驚いた。
古書の棚は、たしかに古本なのだが、無造作に陳列というわけでななく、それなりに選書されている感じがした。よくリアル書店の利点として、ネット書店とは違い、たまたま隣に並んでいた本が気になったりだとか、ふとした出会いがある……なんて言われることがあるが、古本屋でこれだけちゃんと棚が作れていて、居心地のいい空間が作れてしまうならば、新刊書店より、こういった店舗のほうが有用なのかもしれない。新刊書店はあくまで新刊で、棚に並ぶのは古くてもたかだか20年くらい前に出た本が限界だろう。古書店ならばそれ以前の時代の本とだって出会えるはず。だが新刊書店がなくなれば古本屋もないわけで……


柳町の灯籠。干支動物が並ぶ。なぜ相撲?


バリューブックスが運営する本屋。この紙屋の看板は絶対に無くさないでほしい
ゲーセン。入りたかったが、どうも敷居が高く断念
浅草……ではない。セットで使ったものらしい

長野市。
昼すぎに長野へ移動する。新年も開けて間もないので、善光寺に参るのもいいだろう。牛に引かれて……流石に参道は初詣の人で賑わっていた。人をかき分け、土産屋に入る者一苦労。もうすでに上田でたっぷり歩いたので、疲労は蓄積していた。そういえば一度は行っておいたほうがいいと言われている神仏に、信心もないのにけっこう行っている(金毘羅山、伊勢神宮、出雲大社……など)。

善光寺には一切経の経堂があった。一切経とは仏教経典のことだ。たくさんの種類の経典を一切合切まとめたもの。お経は回転式の経蔵に収められている。これを回転させると、たくさんのお経を一通り読んだのと同じ功徳が得られるのだという、エコロジーなシステムだ。
そういえば、長野に来る2日前に、なんの気無しに栃木の足利市にある鑁阿寺へ初詣に行ったのだった。ここは足利尊氏ゆかりのお寺で、同じような経堂があった。そこのガイドさんが「善光寺にもある」と言っていた。なんという偶然だろうか。新年明けて、経蔵を2度回すという功徳を得られたわけだ(ちなみに善光寺のお経は鉄眼版の一切経で、おととしこの版木を京都の萬福寺まで見に行った。なにかと仏教経典には縁を感じる)。

善光寺を見たあとは街歩き。街を歩くのが好きだ。街がどんな形で広がるっているのかを知るのが楽しい。アーケード商店街などを見つけると高揚する。そして、手ぬぐい蒐集のために目を光らせながら。
ひと通り廻ってからホテルにチェックイン、そして夕飯さがし。信州といえば蕎麦だろう。長野駅から権堂駅のあたりは飲食店、歓楽街、アーケードもあってたのしい。ちょっと小洒落た創作蕎麦のお店に目星をつけた。まあ、変化球の創作料理は頼まず、スタンダードなお蕎麦をいただいたが、なるほど美味しかった。そういえば長野に入って紙屋の看板をよく見た(大概はシャッターだが)。紙漉きは水がきれいなところのほうが質がいい。きれいな水ならお蕎麦も美味しいという、連想が頭に浮かんだ。

食事の帰り道、夜の善光寺もまたオツかなと思い、寺へ寄ることにした。お腹もいっぱいだし、アルコールが少し回っていた。
昼間は人で溢れかえっていたので、お参りだけして帰ってしまった。参拝客の少なくなった時間帯に、ゆっくり詣でるのもいいだろう。ライトに照らされた仁王像を横目に、先にある本堂を目指していると、なにか太鼓のような音がして人も集まっている様子。どうも行事をやっているらしい。
人垣の多さから、本堂でなにをやっていたのか見えずにいたが、太鼓の音が止むと、今度は人が列をなして並びはじめた。なんやらよくらわからないが、どうせならと自分も並ぶ。しゃもじを渡される。周りの人は、そのしゃもじで木造を撫でていく。身体の悪いところをしゃもじで撫でるとと治るということらしい。私は、まあ、絶望的に凝っている背中と、食べ過ぎたお腹を撫でて帰路についた。
あとで調べてみたら、その木造は「おびんずるさん」というらしい。太鼓を鳴らしていたのは、「びんずる尊者像」を引き回す「びんずる廻し」というもの。毎年1月6日におこなう行事で、すごくラッキーなタイミングに訪れていたようだ。たまに、こういう下調べなしに遭遇するイベントはたのしい。

夜の善光寺
素泊まりしたので湯は銭湯。レトロな亀の湯。老舗だが綺麗だった
「びんずる廻し」のしゃもじ

穂高。
夜に少し雪がちらついていたようで、道路に少し濡れたあとがあった。
2日目は美術館から始める。長野市から一時間ほど。安曇野にはたくさん美術館がある。だけど、電車移動だと山間にあるような場所へはどうにも行きづらい。
目星をつけた碌山美術館は、穂高駅から5分くらいのところにあった。碌山とは、彫刻家・萩原守衛のことで、代表作は、重要文化財の《女》」だろうか。キリスト教信者だったこともあるらしい。施設内のメインの建物「碌山館」は、教会風の建物で、尖塔には鐘が吊るしてあった。薪の割れる音が響く暖炉。煙が煙突から登っている。冬の色をした蔦の絡まる煉瓦。これだけの景色を見るだけでも、来てよかったと思う。

守衛は30歳で夭折したので、作品は多くない。碌山館自体もそれほどの規模ではない。《女》も収められていた。中学生のとき、教科書に美術の資料集かなにかだったろうか……それは、授業で一度も使われたことのない本で(でも全員に配布された)、過去の名画や彫刻の写真が多く載っているものだった。使われなかったその本を読んでいた人は少なかったと思うけれど、私は休み時間に、それをぼんやり眺めるのが好きだった。よく憶えているのは、ブランクーシの《空間の中の鳥》。ルソーの絵も好きだった。地下鉄へ駆け込む女性の絵をよく覚えているのだが、未だになんというタイトルだったのか、誰の絵だかわからない。たしか裏表紙はフォロンの絵だった。
守衛の《女》もそこに載っていたはずだ。ロダンと縁があるので、国立西洋美術館にも像はあっただろうか。

《女》は守衛が友人の女性への恋慕――この人は友人の妻でもある――への煩悶が反映されているという。この相手が新宿中村屋の創立者というから、縁というのは面白い。
昔から、才人の周りには才人があつまるように思う。守衛がいた時代の安曇野がどれくらいの街だったのか、想像することしかできないが、こう、有名人がよく集う場所というのも不思議なもの。 彼の略歴を読むと、よく知った文化人の名が出てくる。いわゆるエリート層というものなのか。

売店で守衛に関する本を数冊買った。近くに人気の蕎麦屋があったので立ち寄った。ちょうど開店時間だった。私は魚が苦手なのだが、川魚の天ぷらを頼んでみた。ふっくらしていて美味しい。やはり新鮮なものはいい。

彫刻美術館は、空間自体が美しい


松本市。
穂高を出て松本へ。まずは松本民芸館へ向かう。
ここにオリジナル手ぬぐいがあることは把握していたが、民芸館じたいも施設として好きなので、ちょっと駅から離れていても目指すべき場所だった。

人はまばらで、さほど大きい建物とはいえない。この施設は、地元出身の蒐集家、丸山太郎が創立し、のちにまるごと市へ寄附したものらしい。
こぢんまりとした展示で、解説も少なく、そこに置いてあるような感じが良い。シーサーがあるかと思えば西洋風の品もある。丸山氏は蒐集家だったというのだが、収集した品々を絵手紙調に書き記したものが一緒に展示されていた。とても素人とは呼べない味がある。愛敬のある線。人格が滲むとはこういうことなのだろうか(私はダメダメな人間なので、創作物から人格が見えると思うと恐ろしくもあるのだが……)。絶妙に読めるか読めないかの口語とくずし字。才人であることはまぎれないのに。

丸山太郎のことばが載っていた。
私はこれを読んだことがある。どこでか、は忘れた。

ちなみに、館オリジナルの風呂敷に入っていたものです

《美》とは傲慢だと思う。私の意識している美は私の個人の美意識から抜け出ているだろうか。他人が良しと思うものを私は肯定できないときがある。私の美意識でないからだ。だけど、他人からしたら、私のほうが美意識から外れているせいで理解できない……? 自他の相違は如何ともし難い。じゃあ万人に受け入れられるものが美として優れるのか。評判の良いものが優れるのか。
名もしれぬ人が作った民芸。《美》を考えるのに、最適、というか悩ましい。丸山太郎が見出した《美》は、彼が選んだ。彼の美意識であるはずだ。それは、こうやって好んで訪れる人には肯定される。だけど、これらはどこまで受け入れられるものだろうか。民藝など地味なものと唾棄してしまう人もいるだろう。すべての人に理解がおよぶことを能わず、それを《美》と名づけるのは、傲慢に見えなくもないのだ。だけど、芸術品は多数決ではないところから生まれる気もするのだ。民主主義的な《美》は少し胡散臭い気もする。

松本市は想像どおり、お洒落な街だった。縄手通り、仲町通りと、歩くのが楽しい道が続く。
やたらとカフェがある。いや、カフェは好きだ。ただ、こう、数十メートルおきに出現すると、食傷気味と言わざるを得ない。
セレクトショップやクラフトの店も多い。都心に近く環境のいい場所で、こういったクラフトマンシップの根付いた街は、作家の人にはいい街だと思う。

シーサー
いいよね
ナワテ通りでコンニチワ


手ぬぐいは9枚買っていた。ただ、オリジナルの手ぬぐいがある場所に目星をつけて旅程を作っていたので、それは、ちょっとやりすぎたかもしれない。想定の範囲を超えない出会いになってしまった感もある。

碌山美術館の魔除けの鈴。おみくじの結果が悪かったので、魔除けます
手ぬぐい9枚(+民芸館のふろしき)。これでも買い控えたほう

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