2月11日。「の」が必要だったのね
2024年はnoteで学びのアウトプットをするぞ!と決意して元旦に初投稿したものの、早やひと月半ほど放置してしまいました。
昨日は祭日、建国記念の日。
これ、私は5月3日の「憲法記念日」と同様、「建国記念日」と認識していたのです。
でも昨日学びました。この「の」のある・なしは大きな違いだったのですね。
ご存じの方には、何をいまさら…という話ですが、
2月11日が何の日か。
日本人の認知度は20%以下だそうです。
これに対し、アメリカの独立記念日・フランスのパリ祭・中国の国慶節のそれぞれの国での認知度は90%を超えるとか。
この違いは何でしょう。
日本で2月11日に、何か国民全員が認識できるような「お祭り」があるでしょうか?
アメリカで独立記念日を花火やパレードなど盛大に祝うニュース映像は、毎年テレビで目にします。この違いが認知度の差になっていると思われます。
日本では戦前、2月11日は初代天皇の神武天皇が即位した「紀元節」に、奉祝記念行事が行われていました。
昭和15年は紀元2600年を祝い、盛大に祭事がなされたようです。
私の母はその年の生まれですが、その年の女の子の名付けに「紀子さん」が多かったと聞いています。
戦後GHQによって紀元節が廃止されたのですが、国民の要望によって昭和41年に復活しました。
それだけ当時の人々には大切な1日だったのです。私の生まれる前なのですが、「建国記念の日」がなかった時期があったんですね。
さて表題の「の」のある・なしの話です。
「記念日」ではないのは、「何か歴史上の出来事があった日ではないから」なのです。日本書紀に記された初代天皇即位の日、つまり神話に記された日付なので「記念の日」なのです。
アメリカにとっては植民地が独立を宣言した記念日、アメリカの誕生日。
国の誕生日は、個人の誕生日と同じくらい、いやそれ以上に大事でおめでたい日のはず。
それを祝わなかったり、何の日か知らないというのは、自分の国を知らないことにつながり悲しいことです。かく言う私も、ぼんやりとしか認識してなかったのを学びなおしたわけですが。
やはり日本神話や古事記などの「ものがたり」が、こどもたちに親しまれるところにないのが大きいと思われます。
GHQの思惑や政治的な考えから、神話はアブナイとする意見もあるようですし、また、こどもの本も昔とは比較にならないほどたくさん出版されてますから、こどもに与える本として目につかなくなってしまったのでしょうか。
私は幼少期に「松谷みよ子の日本むかしむかし」という、神話を現代語、こどもが読める言葉に直された本を読んでいました。
その時は、いろいろある本の中の1つ、くらいの認識でしたが(イザナミが黄泉の国に行ってからのことは恐ろしくて、トイレに行くのが怖かった記憶があります)、最近ご縁があって古事記の学びの会に参加し、いかに神話の神様たちが「人間臭く」「いろいろやらかして」「失敗している」ことに驚き、神様に親近感さえ感じています。
この感覚は、学校や社会、家庭などで頭を打ち、年を重ねさまざまな体験をしてきた今だからこそわかる面白さだと思います。ぜひ、皆さんも現代語訳の古事記を読んでみてください。
そして、やはり「自分の国を知らないのは自分を知らないのと同じ」
自分探し・・・などと言ってふらふらと彷徨う前にまずは自分の足元、国の成り立ちの「楽しい物語」をもっと身近に ── 特にこどもたちが楽しめる環境を作っていきたいな と妄想しています^_^
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