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【連載小説】 ふたり。(4) - side K

前話

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

5月5日 14:11

「かーおちゃーーん!」

透き通ったメゾソプラノ・ボイスで、じゅんちゃんが私の名を呼び、我に返る。
カメラを持つとつい、画角探しに熱中してしまう。悪い癖だ。

今日は自宅近くの裏山で、初めて二人きりで、デートというか逢瀬というか、いやそうじゃなくて、写真撮影会だ。
私は今、じゅんちゃんの、写真の先生役。落ち着いて、呼吸を整え、振り向きざまに手を振る。不自然じゃなかったかな…?

「おやつ食べよーーーー!」

ああ…
やっぱり彼女は愛おしい。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

4月19日 19:16

酷いめまいの中、やっとの思いでLINEを送ったあと、しばらく横になっていたおかげでなんとか発作が治まった。一番の関心事は、そのメッセージの返事だった。
スマホを手に取る。死に物狂いで打った「またきてね」の5文字を確認する。

まだ、既読にはなっていない。大きくため息をつく。

冷や汗で濡れた服を着替えようとして上体を起こし、ベッドから降りる。薄暗い部屋の中、クローゼットに向かい数歩進んだところで、スマホの振動音が鳴り響いた。

うそ、こんなタイミングで?
私は急いでベッドに舞い戻り、四角い光を覗き込んだ。

 じゅん:またくるよ

じゅんちゃんから、私が送ったのと同じ5文字の返信が来ていた。
鼓動が高鳴る。発作の時の息苦しさとは違う、全身を縛る鎖がほどけていくような、体の奥が温まってむずがゆいような、久しく忘れていた感覚だった。

薄明かりに照らされながら、彼女への想いだけが募る。
私は一文字ずつゆっくりと、じゅんちゃんに向けて言葉を紡ぎはじめた。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

4月23日 17:00

もうすぐ、じゅんちゃんがうちに来てくれる時間だ。

じゅんちゃんとのトークルームは、この数日で互いのメッセージでいっぱいになっていた。写真部に誘われているというじゅんちゃんからアドバイスを求められ、その一つ一つに、真剣に、そして(自分の中に秘めた想いを悟られないように)努めて冷静に答えるようにした。

そうするあまり、かえって素っ気ない印象を与えてしまっている気がした。「大空さん」「澤井さん」と呼び合う関係から、少しだけ前に進むべく、あるとき思い切って聞いてみた。

 じゅんちゃんって呼んでもいい?

返事はすぐにやってきた。

 いいよ!わたしも、かおちゃんって呼んでいい?

かおちゃん。母が私に使う呼び名だった。
胸がいっぱい、とは今のような状態のことを言うのだろうか。この気持ちを伝えるとしたら、ハートの絵文字や嬉しい表情のスタンプがいくつ必要だろう。スマホをひとしきり抱きしめて胸の奥に想いをしまい込み、大きく深呼吸をしてから返信する。

 いいよ。ありがとう。

送信してから、自分の文面が淡々としすぎていて、慌ててスタンプを探す。そもそも今の今までLINEの使用頻度が低かったこともあって、なかなかいいスタンプが見当たらず焦っていると、じゅんちゃんから某キャラクターがガッツポーズをしているスタンプで返事が来た。

それからは、晴れて「じゅんちゃん」「かおちゃん」の仲となり、画面越しであっても急速に距離が縮まったように感じた。

じゅんちゃんがやって来る、約束の時間まであと30分弱。

今日なら、きっと大丈夫だ。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

同日 17:24

玄関のチャイムが鳴ったと同時に、私はベッドから降り、部屋のドアを開けた。

じゅんちゃんと母の話し声が聞こえてくる。

階段をゆっくり降りる。薬の副作用で足元が少しだけおぼつかないが、これくらい平気だ。

父から教わったことがある。シャッターチャンスとは、自分が撮りたいと思った瞬間のことだと。

それと同じで、会うチャンスは、会いたいと思った瞬間にしか訪れない。

ほら、目の前に。
彼女はいた。

かすれた声で彼女の名を呼ぶ。

すると、驚いたように私の名前を呼んで応えてくれた。

ああ、今日はなんて素敵な日だろう。

私は感謝を伝える、また来てくれて、ありがとう。
そこまで言うと、熱いものがこみ上げてくる。
ところが、先に泣いたのは彼女の方だった。流石に慌ててしまった。
彼女はぽろぽろと涙を流しながら、こうして顔を合わせられたことを喜んでくれている。

驚かせるつもりはなかったのだが、私の方がびっくりしてしまった。こんなにも、私は彼女から想われていたなんて。

幸せすぎて何かバチが当たるんじゃないかと思った。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

同日 17:29

じゅんちゃんが隣に座っている。じゅんちゃんが隣に座っている。じゅんちゃんが隣に座っている。

ごめんなさい。私は今、あなたのことで頭がいっぱいになっているのを悟られないようにするので必死です。ああ、変に緊張してめまいがしてきた。

下を向いていると、じゅんちゃんが私に声をかけた。その声は、私の緊張を心地よくほどいてくれた。

「かおちゃん、はさ」

「うん…」

「写真、どんな写真を撮るの?」

そうだ、写真。じゅんちゃんは私の写真の話が聞きたいんだ。

「自然の景色とか… うち、山の近くだから、撮りに行ったりとか」

「わ、いいね。わたしも、LINEで言ったけど、木とか空とか撮りたくて」

自然物を撮りたいというメッセージを読んだ時はだいぶ親近感を覚えたものだが、改めて肉声で聞くと更に感慨深い。

「そうだったよね、じゃあ…その…。今度… 一緒に…」

急に何言い出すんだ私は。頭で考える前に気持ちが先走り、言葉になって溢れ出してしまう。

「写真撮りに行く?」

じゅんちゃんが、私の心の中を言い当てた。まさか、エスパーじゃないよね?
その通りだよ!という思いで首を何度も縦に振った。

「かおちゃんが教えてくれたカメラ、もうすぐ届くんだ。」

ほんとに?良かったね。

「かおちゃんのカメラも見てみたいよ。」

あっ、それなら私の部屋の、

「どんなすごいカメラなの?」

お父さんからもらった古いやつでね、

「中学生の時から使ってるの?」

中学生、そう、あの時もあのカメラで、だけど、そのおかげで私は…

いっぱい話したいのに、声にならない。
長い療養生活で、こうして誰かと会うのは久々だ。気力も体力が落ちすぎている。はがゆさと申し訳なさでいっぱいだ。

頭の中を整理しながら、ゆっくり答える。

「カメラは…お父さんのお下がりで」

「そうなんだね」

うん、そのカメラで撮った写真が、中3の時…

「…」

「…」

だめだ、あの時のことは、まだうまく話せない。出来るだけ考えないようにしてきたけど、そのツケがこんな時に回ってくるなんて…

「どう、薫子。体調は」

母が沈黙を破る。体調は、そう悪くない。ただ、頭がうまく回らないだけだ。

「うん…平気だよ」

この状況を見かねたのか、母が会話の口火を切った。

「大空さんにも伝えておいた方がいいかな」

ああ、私の代わりに、全部じゅんちゃんに話してくれるんだね。
ありがとう、お母さん。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

物心ついた時から、目立つのは好きじゃなかった。
ただ自分の世界に没頭したいだけ。人と関わることでその時間を減らすくらいなら、一人で遊びたい。そんな子どもだった。

そんな私に、スタジオカメラマンの父が使わなくなったデジタル一眼レフを与えてくれた。
いつも見る山や草木。空や雲。なんでもない当たり前の光景が見せる、一瞬の美しさををカメラに収める。
私はすぐに熱中した。

父はよく私のことを褒めてくれた。お前には才能がある、一人で撮ってるだけではもったいない、と。
だとしても、やっぱり私は一人が好きだった。

学校の勉強は嫌いではなかった。おかげでペーパーテストの成績だけは良かったが、運動もコミュニケーションも苦手だし、誰かに迷惑をかけたくないという思いもあった。
だから、最低限の人間関係以外、誰とも関わらないようにした。そうすれば誰も傷つかないし、傷つけられることもない。

どうやら普通と違うらしい自分の恋心だって、胸に秘めておけば十分だ。

そんな風に思うようになっていた中3の秋だった。唐突に、父が私に告げた。

「おめでとう、お前の写真が一番になったぞ」

何の話かさっぱり分からなかった。聞けば、私が撮りためた写真の中から、父が地元のフォトコンテストに応募し、それが中学の部で最優秀賞を獲ったのだという。勝手だとは思ったが、内緒で私の名前で応募させてもらった、と父が言った。そういえば少し前、私は珍しく父からいろいろと質問攻めにあっていた。

母は父の行為を咎めた。しかし父は、薫子の名前に箔を付けるためだ、結果オーライじゃないか。それに、写真には手を加えてはいないし、誰かに口利きもしてない。これは薫子の手柄だ。そうと言い張っていた。

私は状況がよく飲み込めないでいた。
気がついたら表彰され、気がついたら人から少しチヤホヤされるようになっていた。

この時は分かっていなかった。自ら望んで獲ったわけではない名誉が、想像以上に強固な足枷になることを。

好きな写真に集中できそうだと思い、ちょっと遠いが、芸術コースのある高校に進んだ。
教室では、相変わらず周りに溶け込めなかった。さすがにいつまでもそれではよくないと思い立ち、中学には無かった写真部に入部した。
そこまでは良かった。

過去の栄光は、私の意思に関わらず、周囲からの期待や偏見、好奇心を引き寄せた。私はそれに応えていかねばならないのだと思った。

期待に応えようとするほど、シャッターチャンスは逃げていくようになり、私はだんだん写真を撮る面白さを忘れていった。

さらに運の悪いことに、とある写真部の男の先輩が私(の実績)を目の敵にしたらしく、上級生という立場を盾にした執拗な「口撃」を受けた。中学MVPとしての自覚がどうという話から、消極的な態度、果ては容姿のことまで。私が悪かったです、すみませんでした。そう何度謝ったか分からない。今思えば、彼の性癖のターゲットにされてしまったということかもしれない。
私の心身は急激に消耗していき、眠れない夜が続くようになった。

高1のゴールデンウィークを前に、私の心は折れた。
朝起きた後に襲って来る、激しい吐き気とめまい。死ぬのではないかと思うほどの呼吸困難。誰が見ても明らかに異常だったと思う。

両親に連れられて向かったのは、家から少し離れた場所にあるメンタルクリニックだった。
いろんなことを聞かれた。答えられることだけに答えた。ときどき、それは辛かったですね、頑張りましたね、などと言わた。
そうだ、私は辛かったんだ。頑張ったんだ。どうして言われるまで気づかなかったのかな。

聞き覚えのある病名の診断が下った。
父が涙ながらに私に謝罪したが、その真意を理解するのにはしばらく時間が必要かかった。

こうして私は、高校生活の最初の1ヶ月で半ばドロップアウトした形になった。
学校側の厚意で、不登校のままで単位取得のための措置を取ってもらってはいるが、どうしてそこまでして私を学校にいさせたいのだろうと思うこともある。
(ただ、そのおかげで、じゅんちゃんに会うことができたのだけど。)

父にも、カメラにも、写真にも、罪はないと思っている。ただ、私が学校に行けなくなった日から、受賞作品や副賞の類はどこか私の目につかないところに隠されている。

つまりは、身に余る実績だったのだ。
もう中学MVPとは呼ばれたくない。それは確かだ。

そもそも私は自分の世界に閉じこもりがちで、周りの人と足並みを揃えられないのだから、下手に表舞台に立たないほうがよかったのだろうし、むやみに人の期待に応えようとしないほうが良かったのだと思う。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

母の話を追いかけながら、頭の中を整理していた。

隣で聞いていたじゅんちゃんは、どう思っただろう。

聞かれたくなかったわけではない。母が語ったのは、ほぼ真実だ。
(ただし、私の性的指向については、まだ両親にも病院の先生にも伝えておらず、いまだ私一人の秘密だ)

これでじゅんちゃんが私から身を引いたとしても、後悔はない。

そう覚悟したとき、膝の上に乗せていた手を、彼女の手が優しく包んだ。

「大丈夫だよ」

…貴女は天使ですか。それとも地上に降臨した女神ですか。
私のような者をお救いになるというのですか。

尊さのあまり昇天しそうになるのを堪えながら、あくまでも友人として、努めて普通に返事をした。

「じゃあ、ゴールデンウィークにでも、写真撮影会しよっか」

女神よ、それは過去を清算し、私が真の姿を取り戻すための儀式を執り行ってくださるということですか。こんな私のために。

尊さのあまり昇天(中略)、私は思わず、女神にお辞儀を返したのだった。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

再び 5月5日 14:33

女神、もとい、じゅんちゃんはかわいい。
優しくて、無邪気で、隣にいるだけで幸せな気分にさせてくれる。
この気持ちをどう伝えたらいいか分からぬまま、今はただ、この幸せを噛み締める。

「クッキー、美味しかったね。舌触りなめらか〜」

「うん、山の上のケーキ屋さんのだから」

「さすがだよね」

おっしゃる通りですかわいい女神様。思わず顔がほころびます。

「でも流石にノド渇くね、今日ちょっと暑いし…」

ドポポポッ

なんということでしょう。水筒の中のお茶が、あろうことか女神のお召し物の上に降り注いでしまいました。

「おおう、やってしまった…」

大変だ。このままでは女神様がお風邪を召されてしまう。

「たったっ大変!じゅんちゃん着替えなきゃ」

「まあ、大丈夫だよ。日差しで乾かないかな」

さすがは女神様、その心大いなる山の如し。
しかし、それでは私の気が済みませぬ。

「ううん、風邪引くよ。そこ降りたらウチだから、私の…はサイズ合わないから、お母さんの着替え持ってくる」

私は急いで家に戻ると、女神・じゅんちゃんが履けそうなジーンズをあるだけ見繕い、脇目も振らず裏山に舞い戻った。待っててね女神ちゃん!!!

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

家から持ってきた着替えのジーンズをじゅんちゃんに渡したところで、彼女はなんと、おもむろに下を脱ぎ始めた。
さすがに二人きりでそれは刺激が強すぎるので私はテンパった。誰か人が通りかかったらまずいからということにして、陰になりそうな場所に誘導した。
私は女神のお召し替えを警護すべく、背を向けて見張ることにした。

…いったん落ち着こう、冷静になろう。最近たびたび理性が飛びそうになる。

友達を身の危険から守るのは、当然のことだよね?私別に間違ってないよね。
自分が撮りたいと思った時がシャッターチャンスなんだし、つまり思い立ったが吉日だよね。だから自分の心に従ったまでのこと。

女神と従者か、はたまたプリンセスとナイトか。傍目からちゃんと友達同士に見えていれば、私は従者でもナイトでも構わない。

…本音を言えば、もし叶うなら、ちゃんと「いい仲」になりたいという気持ちもある。
でもそれは、じゅんちゃんがそれを望まない限り、儚い夢だ。少なくとも今は、写真友達として、適度な距離感を保たなければ…

「かおちゃんありがと、サイズぴったりだったよ!お母さんにもお礼言わなきゃ」

…女神様、お許しください。是非その御姿を…

「あの、写真に撮ってもいい?」

「えっ?うん、もちろん。一緒に映ろうよ!」

「ふえっ!?」

「えっと…スマホの自撮りでいいよね。インカメにして…」

近い、近いよじゅんちゃん。あっ、そんなに顔を近づけるなんて、大胆な子…

「はいっ、1+1は〜?」

に…に〜っ。

ピロリン☆

「よおし、ちゃんと入った!後でLINEで送るね!」

呆然として声にならず、コクコクと頷いた。


ありがたく現像させていただきます。

一生大切にします。


(つづく)

次話

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第3話・第4話あとがき

同じシーンを、第3話では純の視点、第4話では薫子の視点で描く、というパターンです(全編がそうではないです)。

ちょっと不器用だけど総じて素直に物事を捉える純に対して、繊細かつ内心を悟られまいとして複雑な思いを抱えている薫子。薫子のキャラは、理性と感情の間を揺れ動くうちに、面白いほどほぐれて(崩れて)いきました。結果、シリアスさとユーモラスさの共存した二面性のあるキャラクターになった気がします。

お時間よろしければ3話と4話を読み比べていただき、ふたりのコントラストをお楽しみいただければ幸いです。

薫子の純への慕情をどのように表現すべきか?という問題について、頭をひねった結果、「ふたりモノローグ」という漫画を参考にすることに決めました。

ネタバレになるので詳しくは言及しませんが、女性同士の交流における心のゆらぎを「百合」とするなら、その百合における理性と感情のはざまを丁寧かつ過激に描いた作品だと思います。つまりヤバいくらい面白いです。
この漫画、AbemaTVで実写ドラマにもなっており、円盤も発売中です。私は買いました。

漫画・ドラマともに、百合というジャンルに抵抗がなければ、ご覧になって損はないかと思います。

次回は、純や薫子を知る第三者の視点による物語をやる予定です。


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