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【金沢旅行記】加州清光の生まれ故郷へ

10月第一週の週末、ミュージカル刀剣乱舞 祝玖寿 乱舞音曲祭 福井公演のため北陸に行くことになり、せっかくならばと金沢を旅行した。

刀工加州清光は金沢で作刀をしたと伝わっており、金沢は刀剣男士・加州清光にとっては生まれ故郷のような場所。
福井に行くのも加州清光のためなので、なんともちょうど良い。それがあっての福井だったのか、たまたまだったのか。
どちらにせよ審神者に優しいのは加州清光らしいなぁと思う。

※以下、書いている人間は加州清光の夢女です。

金沢駅へ到着

金沢駅へ到着、あいにくの雨。北陸らしさ全開だ。

金沢駅兼六園口には「おもてなしドーム」という屋根があり、雨の多い北陸でも「到着してすぐ雨かい!」とテンション落とさずに観光してほしい、という観光都市金沢の気合が感じられて良いなぁと思う。

微妙にカメラを見てくれない清光さん。そういうキメ顔?

本日の加州清光さん(ねんどろいどどーる)は、金沢旅行のために新しく作った派手めな置物。羽織は以前作った赤い羽織、足元はドールショウで購入した雪下駄っぽい履物。

雪下駄といえば、小学生の国語の教科書に載っていた「わらぐつの神様」という話を思い出す。
おばあちゃんが若いころ、かわいい雪下駄がほしかったのでわらぐつを作って売っていたらある男性がそれをずっと買ってくれて、それが今の旦那さんなのよ…みたいな話。
私はこの話が好きで。話が好きというか、「かわいい雪下駄が欲しい」と思っているお嬢さん(おばあちゃんの若いころ)がすごく可愛いし、その子が「かわいい!」と思った雪下駄が凄く可愛いものに見えて、かわいいなぁと。
今これを書いていてそんなことを思い出したけど、その頃から私は「かわいいに憧れる子」をかわいいなぁと思う性格だったんだなと思う。

まずは近江町市場へ

せっかく金沢に来たし美味しい魚食べよう!ということで近江町市場へ。
定番っぽい海鮮丼を注文。ネギトロが美味しすぎて幸せ~

「エビでか!すご~」
海鮮丼を狙う清光さん。
お店は「廻る近江町市場寿し」でした。
海鮮丼はさることながら、セットでついてきたのどぐろのあら汁が美味しすぎた。

県の主要駅のすぐ近くに市場があって観光地にもなっている、というのは京都に近いなと思う。
他にもあるかもしれないが、やっぱり京都の錦市場のイメージが強い。

「こっちこっち!」

小京都とも言われる金沢が京都にならってその作りにしたのか、たまたまなのか。
分からないが、やっぱり金沢には京都に近い香りを感じて、金沢生まれの加州清光さんにとって京都は居心地のよい街だったんじゃないかなぁと思う。

「けっこう混んでたね」

金沢城を散策

近江町市場からぶらぶらと歩いて金沢城へ向かう。

歩いていると「尾崎神社」という神社があったのでこちらを参拝。
外国人観光客の方が多く、観光客が戻って良かったなぁ~と思う。

「神社だって~」
「ちょっと雨降ってんね」
「お参りしよ」
かわいい~!!!

そこから少し歩くと、「尾山神社」があるので参拝。

「金沢って言ったらここ、だよね」
「利家公!」
カエルの像がかわいい。

尾山神社、池のまわりのお庭が美しくてびっくりした。
ちょうど雨の切れ間で、池の光がキラキラ反射してて美しい。小さいアーチ橋もかかっていて、日本庭園というわけでもないバランスが素敵だ。

「きれ~だね」

尾山神社を経由し、いざ金沢城へ!

「ほら、行くよ」

このあとの予定があったのですみずみまでじっくり、という時間はなかったが、駆け足で見ても綺麗な石垣に美しいお庭、見事なお城。

「すごいね~」
石垣が見事。この間の地震でところどころ崩れてしまっているものの、そこまで甚大な被害ではなさそうでほっとした。
「あんたほんと石垣好きだよね。なんで?」 なんでだろう?
「雨やんできたね」
「似合う~?」 似合う似合う!
「どっちがかわいい?」 清光ー!!
「石川門だよ~」
石川門、石垣の積み方で歴史のグラデーションが見えて良い…!

石川門からお城を抜けて、次の目的地へ。

加賀象嵌のアクセサリー作り体験!

せっかく金沢に来たし、なにか思い出が形に残ることをしよう!と前日の夜に思い立ち、調べて予約した加賀象嵌のアクセリー作り。

金沢にはほかにもアクセサリー作り体験ができるところは色々あるんだけど、水引のアクセサリー作りが多めで。
それもいいんだけど、う~ん、かわいいけどあんまり私は使わないデザインだな…みたいなものが多かったなか色々見ていて、この象嵌アクセサリー作りに行きついた。

象嵌というのは金属に別の種類の金属をはめ込む技術のこと。
加賀象嵌は金沢市希少伝統工芸にも指定されているらしい。つまり伝統ある技術、ということだ。

加州清光のイメージ的にも水引よりは金属のアクセサリーのほうが合うし、それっぽいなぁと。金色のアクセサリーはあの子にきっと映える。

それに軽く調べたところ加賀象嵌は日本刀の装飾に使用されてきた歴史を持つ技術らしく、なんだそれぴったりすぎる。
加州清光のために金沢に来た人のためにある体験???

ということで、金沢城近くにある「ギャラリーセーブル」へ。

「なに作んの?」 なににしよ~?

定員8名というコースだったので他にも誰かいるかな?と思っていたが予約は私一人だったようで、貸し切りマンツーマンで職人さんに教えていただきました。

工具が並んでるとワクワクする。

制作の流れとしては、土台となる金属(真鍮とのこと)のパーツを選び、模様をつける場所を選ぶ。選んだ場所にドリルで凹みをつけ、そこに銀の棒を刺し短く切る。それを金具で叩いて押し込み完成、という感じ。

このドリルで凹みをつける工程がなかなか根気と力のいる作業で、静かなギャラリーの一角で親指の皮膚を傷めながらもくもくと金属を削った。
もしかしたら昔、刀剣加州清光の拵えにもこうやって金属を削った職人がいたかもしれないなぁ、などと考えながら。

「がんばれ~」

なにせお客さんが私ひとりなので先生であり職人の方が色々と話してくださり、刀剣乱舞のことも刀工加州清光のゆかりの地を訪ねにきたことも洗いざらい喋る。
すると、加賀象嵌が刀の装飾を作っていたという伝統もあってか職人さんも日本刀のことには詳しく、以前の加州展にも行かれたとのこと(私は行ってないんだな~~)。

そして「父が作ったんですよ、これはまだ象嵌してないんですけどね」と棚からなにか出してくれたかと思えば、なんと刀の鍔とハバキ。ええ~すご~!

金沢という土地で、刀にまつわる技術がこうして伝わっていて、その一端を体験できているというのはなんか、嬉しいことだなぁと思った。
刀の歴史という大きなものの中に加州清光はいて、私もその歴史のほんの一部にだけどなれたような気がして。

ハバキが意外と小さくてかわいい。

職人さんとそんな話をしつつ、アクセサリーは完成。
途中ギリギリ失敗未満みたいなことになり「やりなおします?」と聞いていただいたけど、せっかく初めて体験したしこれも味ということで…と言い、ちょっと不格好だけど可愛いピアスができました。

このあと早速つけて歩いてたらどっかで片っぽ落としたらしくて紛失しました。
イヤ~~~ッ!!!!!バカッ!!!!!!!!!

終わったあとも少し話していると「うちにも刀があるんですよね~」とまた棚をごそごそしてくれる職人さん。
待っているとギャラリーの棚からごろんごろんと刀が出てきてギョッとする。わざわざ抜いて見せていただいた。ありがたい。

刀、日常生活の中で見るとギョッとする。

刀剣男士の加州清光が好きだとなにせ彼の本体は実存しないので日本刀本体の魅力にはそこまで興味を持たなくなるんだけど、たまにこうして生身で見せていただくと色々と思うところはある。
いや色々と思うところがあるというか、普通に怖い。こんなデカい刃物、普通に暮らしてたら見ないので。
こんなもの振り回していた沖田さんたちは本当に正気じゃねぇと思う。

伺ったところ、加賀象嵌は馬の鐙(あぶみ)などを作っていたことがルーツらしい。

アクセサリー作りは約1時間で3,000円。
とてもいい体験をさせていただきました。金沢にお越しの審神者にはおすすめです、ぜひ。

加州清光の生まれた町へ

「川の下の子 河原の子ってね」
さて、そんな君の生まれた町はどこなんだい?

加州清光を打ったのは何代目の加州清光?

刀工加州清光は襲名性の名前であり、そのうちの6・7代目の加州清光が貧民救済所であった「非人小屋」で暮らし作刀を行った、とされる。
特に6代目が有名で、非人小屋で作刀をしたことから「非人清光」とも呼ばれるとか。

沖田総司の持っていた刀剣加州清光を実際に打ったのが何代目の加州清光なのか、確かめる術はおそらくもうないだろう。
シビアな話をすれば、本当に刀工加州清光が打った刀かどうかも正直分からないし、現物が残ってない以上確かめようもない。

ただ少なくとも刀剣男士・加州清光の中には、自分は「川の下=貧しい地域の生まれだ」という認識があるようだ。
初の頃の清光は「川の下の子だからさ~」とよく言う。

そうなると、少なくとも刀剣男士・加州清光にとって自分を作った刀工は、6代目または7代目の加州清光という認識なんだろうと思う。
清光からすれば、え~あの人が何代目だったかなんて知らないし~という感じだろうけど。

ということで、刀剣男士の加州清光にとっての生まれ故郷は、6代目・7代目加州清光が暮らした非人小屋のあたり、ということになる。

非人小屋の跡地はどこだ!

じゃあその非人小屋がどこだったとか分かってんの??と思って調べたら、ちゃんと分かってた。すごい。助かる。

Googleマップにも「加賀藩 非人小屋(御救小屋)跡」というスポットがあるほか、こちらの記事にも詳しくまとめられていた。

まあ正直このどこに刀工加州清光が住んでたのかは分からないが、このへんだろう!なあ!ということで、このあたりを目指す。

Googleマップにスポットがある「亀坂」という坂があり、そこから降りる坂が「御小屋坂」と呼ばれたようで、まあつまり亀坂からさらに下っていった先あたりに小屋があったんだろう、たぶん。
そうなるとGoogleマップの「加賀藩 非人小屋(御救小屋)跡」というスポットもおおむね合っていそうだな、と思う。

亀坂は石碑も建っているくらい有名な場所のよう。

亀坂は地名として残るくらい地元の方にとっては名のある坂のようで、行ってみると細くてまあまあの坂。
徒歩だとしんどいということもないが、「自転車スピード落とせ!」の看板がいくつか建ってて、ここ自転車で行くのつらくない!?と思っていたら本当に前から自転車で登ってくる人がいた。すごい。

たしかに亀坂を上るとバスも通る大きめの通りに出るので、このあたりに住んでいる人にとってはふつうに通る道なんだろうな、と思う。

「ここが亀坂ね」

「加賀藩 非人小屋(御救小屋)跡」へ

Googleマップで「加賀藩 非人小屋(御救小屋)跡」とスポットが立っている場所は「笠舞第2児童公園」という公園だった。

「だれもいな~い」 貸し切りだ~!

なーんの変哲もない、昼間に行くとぜんぜん人がいない、ふつ~の住宅地の公園。ブランコが生き残っているのは良いな、と思った。

「土管に猫いそうじゃね?」 たしかに。

公園の角になにやら石碑っぽいものがあったので「ここにはかつて非人小屋がありました」みたいな石碑でもあるかな?と見に行ったら、雲に乗ったマッチョの天使の銅像があった。マッチョな天使って何???

雲に乗ったマッチョな天使。生い茂った木々の中にある。

「刀工加州清光の碑」へ

旅行の前日、上記の非人小屋跡地をGoogleマップで見つけ、へ~と思ってその周辺を見てみると、地図上に「刀工加州清光の碑」というスポットがあり、マジ?!そういうのちゃんとあんの!?と正直びっくりした。
それなら行かねば。

跡地の公園から歩いてすぐのところにあるらしいとマップ上にピンを刺しておき、その場所へ。

この辺のはずだけどな~となんの変哲もない住宅街で犬の散歩をしている人に若干怪訝な顔をされつつもうろうろしていると、あっっった!

「非人清光碑」と彫ってある。

けどこれめっちゃ私有地じゃない!??!

これ写真撮っていいの?!と思いながら撮る。

完全にアパートの敷地に一角にある。どうみてもアパートの敷地内でしょ。私有地すぎる。
そして思ったよりちいちゃい。こじんまりしている。

なんとなくもうちょっとオフィシャルというか自治体が作りました感があるものを想像していたので、あまりにも私有地にあってびっくりする。
いや、聞いたりしてないからわかんないけど、たぶんこのアパートの大家さんが作ってくれたんじゃない?これ。

良く見ると碑文にはちゃんと刀工加州清光のことが書いてあり、上に乗ってるのは日本刀の切っ先?ちいちゃい日本刀?みたいな像だ。
サイズ的には非常にかわいい。

なんかあまりにも「個人が建てました」感が強くて(本当にそうかは分からないけれど)ちょっと笑ってしまったけど、それも含めてなんかいいなぁと思う。
この碑がいつからあるのか分からないが、みた感じそんなに古いものではなさそうだった。少なくとも昭和とかではない、と思う。

もしかしたら刀剣乱舞ブームで加州清光がにわかに注目され、それなら!とこのアパートの大家さんが建ててくれたのかもしれないなぁと思うと、なんかちょっと、泣いてしまった。

「ちゃんとある!ウケる~」

軽く調べてみたが、刀工加州清光に関する石碑などは、金沢にはこれのみのようだった。

刀剣男士・加州清光は、石碑のひとつもなかった自分の生みの親である刀工を自分のそのかわいさ愛されパワーで石碑が建つような人物にしたのだとしたら、彼はなんて親孝行な良い子だろう、と。

一見そんな感じしないし、親孝行だねと褒めたところでちょっとムッとしてそうだなぁと思って、ふふっと笑ってしまった。

「川の下の子、河原の子ってね」

かつて非人小屋があったあたりは今は普通の住宅街になっているが、行ってみるとやはり、土地としては低い場所だなと思う。

亀坂からさらに坂を下っていくので「低い土地だな~」と思うし、非人小屋から刀工加州清光の碑まで歩きそこから犀川大通りという通りに出るまで歩いたが、このあたりだけすっぽり土地が低く、ちょっと離れたところの家は一段高い崖の上に立っているような印象を受けた。

昔からどうしても身分の低い人が済む場所は低い土地(水害などの被害を受けやすいので)と言われているし、実際に行ってみると確かに昔このあたりに非人小屋があった、というのも納得する。

とはいえ今は綺麗な住宅街で、戸建てもアパートもあるからファミリー世帯も単身者も幅広く住んでいるんだろうなぁと。
近くにはスーパーもあって、バス停も近いし金沢駅にも行きやすくて、いいエリアだなぁと思った。8番らーめんもあったし。美味しいよね、8番らーめん。

近くには犀川(さいがわ)という川はあるものの、そこまで川の下で河原という感じは今はしないが、昔はどうだったんだろうね。
河川の工事はされているだろうし、清光が生まれたころはもう少し川が近かった可能性はあるなと思う。

清光と出会わなければおそらく一生来ることもなかったなんの変哲もない住宅地で、こんなに嬉しくなれるということが幸せだなぁと思った。

「ここが俺の生まれた町。どぉ?」 うん、いい町だね。

近くにある珠姫さまのお寺「天徳院」が最高スポットすぎる

前日に地図を見ていると、近くに「天徳院」という大きめのお寺があるようだったので行ってみよう、と思っていた。
どういうお寺かは分からないが、清光の生まれ故郷の近くにある大きなお寺なので、ご挨拶しておこう~くらいの気持ち。

ろくに調べずにマップだけを頼りに行ってみると全然入り口が分からず、うろうろしていると下校中の小学生を誘導していた緑のおじさんが「どこに行かれるんですか?」と聞いてくれた。明らかに道に迷っている観光客だったらしい。

天徳院に行きたくて…というと親切に入り口の場所を教えていただき、ありがたく言われたとおりに向かう。

これは帰りに撮った写真。ちゃんとした道で行けばちゃんとした入り口がある。
「また雨降ってる、転ばねぇようにな」

時間も夕方でお寺の参拝時間もそろそろ終わるし軽く手だけ合わせよ~と思ってうろうろしているが本堂らしき場所がなく、回廊?のような場所へ来てしまう。
と、廊下には「拝観料500円」の文字があり、一瞬マジかよ、となる。

いやいいんだけどそんなつもりじゃなかったし、軽く手だけ合わせて帰ろうと思ってたし、時間もあんまりないし、靴脱ぐのめんどくさいし、一応来たってことで帰るかな…とは思ったものの、せっかく来たし行くか!の気持ちが勝ち、靴を脱いで中に入る。

思ったよりちゃんとしたお寺でビビる。覚悟してなかった。

中は完全室内のお堂になっていて、受付で拝観料500円を支払ってパンフレットをいただいた。
サラッと見て手を合わせて帰ろう~と思っていると、受付にいたおばあちゃまに「では案内しますので、まずはお参りしてくださいね」と手を合わせるように促される。
はあ、と思いつつ手を合わせてご挨拶すると、おばあちゃまが「ではそちらに座ってください」とソファを手で示す。えっ?

困惑しつつソファに座ると、目の前におばあちゃまが正座でお座りになり、このお寺の歴史と境内の説明をしてくれ始めた。

え~~!お客さん私ひとりで!いいんですかそんなマンツーマンで!!ええ!と思いつつ、おばあちゃまのお話を聞く。

愛されプリンセス「珠姫さま」のお話

おばあちゃまのお話曰く、このお城は加賀藩に嫁いだお姫様「珠姫様」という姫様を祀ったお寺ということ。

いたるところに加賀梅鉢の家紋があり、前田家~!!!となる。

珠姫さまは江戸幕府2代将軍徳川秀忠の娘で、つまり家康の孫にあたる。

前田利家死後、前田家に謀反の疑いあり!という騒動が起き、前田家は「そんなことないよ~」の証拠として前田利家の奥さん(かの有名な「利家とまつ」のまつ様)を江戸に人質に送る。
その交換人質として徳川から差し出されたのが、当時3歳だった秀忠の娘の珠姫さま、というわけらしい。珠姫さまは前田利常(加賀藩の2代目藩主)と結婚するために江戸から加賀へ行った、というわけらしい。

3歳!!3歳て!!!!
秀忠、よく出したな!!!!

珠姫さまのお母さんはお江さま(かの有名な浅井三姉妹の長女)なので、まあお江さまなら出すって言いそう…と思う。秀忠はめっちゃ泣いただろうなぁと思っちゃった。

まだ3歳でしかも徳川家康の孫娘、かつお母さんが浅井三姉妹の一人ということはお市の方の血も引いてて、つまり織田信長とも血縁で…という世界で一番お姫様レベルのちいちゃいちいちゃいお姫様を迎えるために、加賀藩では大騒ぎだったらしい、という話が色々伝わっていた。

まず3ちゃいの珠姫さまは、江戸から90日かけてあたりの観光をしながらえっちらおっちら加賀までやってきたらしい。すごい。
珠姫さまが加賀に向かう道では、通る予定の道を前日から掃き清めて小石ひとつ落ちてない状態にして、もちろん橋も直して街も綺麗にして…と大騒ぎ。

一行にとっては3歳の珠姫さまがご機嫌を損ねず体調を崩さず加賀までたどり着くのが一番大事。
ということで、当時の藩主・前田利長(利家の長男)が、国境を越えて加賀に入ったと知るやいなやわざわざ正装でお迎えに行ったとか。

珠姫さまの道中の道すがらでは、小唄を歌う人とかいろいろな芸をする人とかがついていき、なんとか珠姫さまが退屈しないように!珠姫さまがご機嫌でいらっしゃるように!!!と大人たちがめちゃくちゃ頑張ったという記録が色々と残っている。

大人がめっちゃ頑張ってお出迎えした記録。

もちろん珠姫さまが住む場所として、金沢城内の眺めのいい場所に新しい御殿を建造して、まわりには可愛くて綺麗なお庭を作って池には鯉を泳がせて…という気合の入り用。すごい。

文字だけでお庭のきらびやかさが伝わってくる。すごい。

この記録を読んでいて、なんというか、江戸から3歳のお姫様がくる!というのはこのあたりに住んでいた人にとってテンションの上がるウキウキイベントだったんだろうなぁと思った。
もちろん発端は前田家の謀反の疑いを晴らすためだし、珠姫さまが利常さまと結婚するのも政略結婚ではあるし、加賀藩にとっては珠姫さまの機嫌を取ることが江戸幕府から刃を向けられないために必要なことだった、とは思う。

それはもちろんそうなんだが、でもそれと同じくらい、江戸からわざわざ90日かけて3歳の女の子がやってくるというのは、もうなんか、カワイイ~~!!!おもてなししなきゃ~~~!!!!だったんじゃないだろうか。

少なくとも私だったらそうなる。
私がその頃の加賀藩の平民だったとして、「江戸からくる人質のお姫様の機嫌を損ねると幕府に攻められてしぬかもだから頑張らないと」というより、「3歳のお姫様がくる!かわいい~!!!ご機嫌に過ごしてもらいたい~~!!!」という気持ちになっちゃうだろ。どうしても。

そして3歳の珠姫さまの結婚相手である利常さまは当時9歳。
3歳のお姫様と9歳のお殿様の結婚とか、そんなん、はぁ??可愛すぎるが???てなるだろ、どうしても。

そしてその珠姫さまと利常さまは政略結婚でありながら非常に仲良しで、2人の間には7人の子どもがいて、しかも利常さまは側室をとらなかった、とかなったら、もう、加賀藩の推しカプだろそんなん。理想のお姫様とお殿様すぎる。

しかも珠姫さまは24歳という若さでこの世を去り、それに利常さまは大声で泣くほど嘆き悲しんだとか言われたらもう…泣いちゃうじゃん…大きなお寺も建てちゃうじゃん…後世まで語り継いじゃうじゃん…私も語り継いじゃうじゃん…

ん~かわいい!加賀梅鉢が良く似合う!

金沢は昔から観光都市であったし、観光に振り切った街づくりをしたのはもちろん自治体としての戦略はあるだろう。

ただこの珠姫さまのお迎えで藩全体が超お出迎えムードになった過去の話を聞くと、なんとなく国民性として「外から加賀に来た人をめいいっぱいおもてなししたい!」という気持ちがあるのかもなぁと思った。昔から今まで変わらず、たぶん金沢の人は金沢を訪れる人を歓迎したいのだ。

金沢自体は今までも何度か行ったことがあったけどそんなことを思ったのは今回が初めてで、天徳院、来て良かったなぁ~と思った。

ということで、おばあちゃまにお寺と珠姫さまの解説をしていただいた時点で「はぁ~500円の拝観料払って入って良かったわ~!」という感じなのだが、このお寺、見どころがありすぎる。

珠姫さまご持参のお人形セットとエピソードが可愛すぎ

まず珠姫さまゆかりのお寺ということもあり、珠姫さまゆかりの品々は色々と収められている。
特にかわいかったのが、このちいちゃいお膳セット。

これ!!
これこの…ちいちゃい!!ちいちゃい!!!やつ!!!

おばあちゃまの話では、これは珠姫さまがお輿入れのときに江戸から持ってきて、おそらくお人形遊びに使ったんじゃない?というものらしい。
お雛様の前に置くようなちっちゃ~いお膳セット、可愛すぎるし、これで遊んでた3歳の珠姫さまを想像すると、可愛い…どうしよう…

しかも「珠姫さまが使っていたお膳」というのも展示してあったんだが、このちっちゃいお膳セットと完全に同じデザイン!
つまり珠姫さまが自分で使う用とお人形遊びする用とセットで作ったお揃いの特注お膳セットというわけだ。お姫様すぎるし可愛すぎる。

珠姫さまはお輿入れの時に、お母さんであるお江さまが作られたひな人形一式を持ってきたいた、とのこと。
まだちいさい珠姫さま、加賀に来てからお母さんが恋しくなってしまって(無理もなさすぎる、まだ4歳とかでしょ)、そのお母さんとの思い出のお姫様を飾りたい~とワガママを言ったらしい。
こんな可愛いワガママがあるかよ。

しかしひな祭りの時期じゃなかったためお付きの者が「3月ではないので飾れませんよ」とたしなめるも、泣き止まない姫様。
それを見た利常公が「余の奥を泣かすな」と言ってお付きの者たちにひな人形を飾らせた、とのこと。

なんっ……可愛すぎる………
3歳のお姫様が泣いてたら…9歳のお殿様が…「余の奥を泣かすな」って………か、か、かわいすぎる……泣いちゃう……

あまりにも可愛すぎるエピソード。

そんな可愛いエピソードを読んで可愛さのあまり涙ぐんでいたら、お寺のおじいちゃまが「からくり人形芝居をやりますがご覧になりますか?」と声をかけてくれた。
からくり人形芝居???

珠姫さまの超きらびやかからくり人形芝居が見れる

おじいちゃんのご案内のもと、お寺の奥のカーテンを開けて奥のほうの部屋に行くと、ちょっとびっくりするぐらいきらびやかなお人形とお人形のおうちとお庭セットがキラキラに建っていて、びっくりする。

そういえば拝観料を払うときに「16時からからくりが~」とかなんとか聞いた気がするが、ほえ~と聞き流していたし、時間が決まっていてからくりっていうから勝手にからくり時計?と思っていた。
が、急に現れるきらびやかなお人形たち。

からくり人形は撮影禁止だったので、公式HPから引用させていただく。
引用:公式HP→https://tentokuin.arunke.biz/

お客さんは私ひとりで「貸し切りですよ~」と言われたので、遠慮なく最前列ど真ん中に陣取り身を乗り出して人形芝居を見る。

からくり人形はどうやら全自動で動いているらしく、舞台奥のスクリーンに映像が流れナレーションも流れ、人形のセリフも流れ…という感じ。
お話は珠姫さまが亡くなる前の1年間くらいのお話で、夫と子供たちに愛された美しく賢い珠姫さまのエピソードだった。

からくり人形芝居としても面白くて、お庭に立っている男性のお人形の胸のあたりが急にガバッッ!と開いて、何?!とギョッとしていると中から新しい顔が現れたバッコンはまって別人になり、そしてまた胸がガバッと開いて元の顔に戻る…というギミックがあったりして面白かった。

終わったあとおじいちゃまに「男性のお人形の胸が開いて顔が変わるのが面白かったです」というバカみたいな感想を言ったら「あそこが見せ場なんですよ」と優しく微笑まれて嬉しかったです。

お話としても美しくて、映像で金沢城の景色が流れると「さっき行ったところだ~!」となれて嬉しかった。

私はからくり人形にまったく詳しくないので知らなかったが、全自動で動くし顔が変わるギミックがあってこんなにきらびやか、というのはなかなか珍しいらしく、さすが加賀百万石やでぇ…となりました。

馬鹿デカい狐と天狗のお面にギョッとする

お寺の奥のほうの部屋もあるということで進んだんだけど、入った瞬間「ひぇっ」て声出た。

デカさが写真だといまいち伝わらないのが惜しい。

びっっっくりするぐらいデッカイ狐と天狗と烏天狗のお面がある。
お面…?お面なのかは分からないけど、顔だけ。すごいデカい顔がある。

これがまあ、怖い。すごい怖い。

薄暗い中に完全に「異形」の形とサイズの者がぬうっと居て、本当にぎょっとする。

怖すぎ。

狐や天狗って割と身近(?)な怪異だし、天狗とかは体は人っぽいから、絵などを見てもあんまり怖いと思ってなかった。

でも実際にいたとして、もし顔がこのサイズでこれに見合う身体があったとしたら…?
実際の天狗や烏天狗、お稲荷さんの遣いとかが、ガンダムみたいなサイズでこのでっかい顔がついてたら…と思うとめちゃくちゃ怖いし、そりゃ神様だわ…となった。

サイズ感を少しでも伝えたいという自撮り。

このお部屋にはちょっとビビるくらい大きい提灯もあり、なんか「常軌を逸してデカいものに人は畏怖の気持ちを抱く」という思想がありそうで、すごい怖いけどすごい好き…となりました。

珠姫さまと清光

珠姫さまと加州清光(刀工も、刀剣も、刀剣男士も)に直接的な関係は、ない。

ただ刀剣男士・加州清光のことを考えたときに、彼の生まれ故郷のおそらく一番近くにあるお寺が祀っているのが猛々しい武将ではなく「可愛さでみんなに愛されたお姫様」というのはなんとも清光らしいなぁと思った。

24歳という若さで亡くなった珠姫さまは、早逝の剣士・沖田総司とも重なるし、その沖田さんよりも早く道半ばで折れた刀剣加州清光とも重なる。
早すぎる死を惜しまれて、そのこともあって後世の人々に愛されて語られてきた存在。

加賀藩にとっても江戸幕府にとっても武力での争いは避けたいところだっただろうし、その架け橋になった珠姫さまは知略や武力ではなく「可愛さで加賀藩と加賀藩の人々から愛されること」が使命だったんじゃないかなぁと思う。

そう思うと、可愛いを追い求める清光と珠姫さまは少し被る。
珠姫さまはきっと、自分が祀られたお寺の近くで生まれた刀がその数百年後に「可愛いって言って!俺のこと愛して!」ってずーっと言ってるのを頑張れ頑張れ!と応援してくれるだろうし、清光にとっても珠姫さまは尊敬する憧れの存在なんじゃないかなぁと思った。

そして珠姫さまを祀る天徳院は夫である利常公と非常に仲睦まじかった珠姫さまにあやかり、夫婦円満良縁祈願にご利益があるお寺、らしい。

私は加州清光の生まれ故郷に行き、近くにお寺がある~というだけで行ったのだが、なんかその流れで夫婦円満まで祈らされてしまった。

なんかこの感じ、すっごい清光……しれっと夫婦円満のご利益があるお寺に誘導してくるこの感じ、すごい清光…清光のやり方だ…と感動しました。

そりゃあもちろんわざわざ生まれ故郷を調べてそこまで行くくらいだから清光のことを世界一愛してるわけですし、清光との縁に感謝しているわけですが、夫婦円満のご利益があるという珠姫さまの像に向かって手を合わせながら「やられたな~~!!!」という気持ちでいっぱいでした。

そういうところが大好きだ。

こちらが珠姫さまの御尊像。御簾の下からのぞくとお顔も拝見できるが、それを写真で撮ったら旦那(利常公)にすげえ怒られそうで、自重しました。


君の生まれた町を知って。

そのあとは回転寿司を食べ温泉に入り…と金沢を満喫。

ちゃんとした寿司屋に入るのもいいが、北陸はチェーンの回転寿司が内陸と段違いで美味いのでチェーンも良さがある。いっぱい食えるし。
「がんばったね~」
閉店ギリギリで駆け足で入った金城温泉。

久しぶりに来た金沢は本当に街が綺麗で、美意識の高い街だなぁと思った。

街もそうだが、金沢城を散策していると落ちた木の枝などをこまめに拾ってくれている職員さんたちがいて、美意識が徹底している…とおののいた。

そりゃこんな美意識の街・金沢で生まれて京都で育った加州清光はあんな美意識の塊みたいな男の子になるよな…と納得。
そして金沢生まれ京都育ちは、やっぱりなかなかの都会っ子だよなぁと改めて思いました。

都会生まれ都会育ちの美意識めちゃ高ボーイ。
でも生まれた場所は川の近くの低い土地で、その近くには旦那さんにも街の人にもめいいっぱい愛されたお姫さまを祀っているお寺がある。

審神者になってから9年間で清光のことを良く知ったつもりだったけど、改めて生まれ故郷の金沢をゆっくり見てみると今まで知らなかった一面が見えたり、だからこういう子なんだなぁと分かることが色々あって、より一層清光のことが愛おしくなりました。こう書くとちょっと恥ずかしいな。

そして今回清光が唯一いる公演があった福井は、私が学生時代に数年だけ住んでいた街で。
清光の故郷と、私にとっても第二の故郷である福井に来れた今回の機会が本当に嬉しかったなぁと思います。

金沢、やっぱりいい街なのでまたゆっくり行きたいな。
もう少し落ち着いたら今度は能登のほうとか行って、ゆっくり旅館とか泊まるのもいいですね。

ね、清光!

金沢駅!
清光さんのパパの石碑と。


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