刀ミュ感想考察ツイート(等)まとめ
Twitter(@asuka_chicken)・ふせったー(https://fusetter.com/u/asuka_chicken)等で流した刀ミュの感想・考察をまとめました。自分用。
当然のことながらガンガンにネタバレを含みます。
※新しい順。2022年5月9日時点。
|乱舞祭2022
●乱舞祭2022の意味と将門公、榎本武明の役割について
今回のお祭りは間違いなく心覚のために現世にお呼びした将門公を鎮めるため、将門公という神を「神おくり」するための儀式だったと思う。数ヶ月かけてしっかりと将門公を送る儀式。メタ的な見方をすれば、それをすることでいかに将門公の力が強いかを演出すると言う面もあるかなと。#真剣乱舞祭2022
— 飛鳥 (@asuka_chicken) May 8, 2022
将門公を送るために、そのための一曲のために榎本武揚演じる藤田怜さんのスケジュールを数ヶ月抑えるというこの本気。本気で平将門と向き合っている、刀ミュは……
— 飛鳥 (@asuka_chicken) May 8, 2022
どうして榎本武揚さんが急に「to the North 北へ」と歌い出すの?という疑問については、以前の乱舞祭の時にある方がツイートしてらした「仏教において北は死者が帰るべき方角なので、迷ってしまった魂を北へ連れて行っている」という解釈で納得かなぁと(該当ツイ見つからず失礼!)#真剣乱舞祭2022
— 飛鳥 (@asuka_chicken) May 8, 2022
何度も刀剣男士に会ってしまい歴史改変の影響を受けた義経公や新撰組たちが帰る場所を見失ってしまっている(実際、以前の乱舞祭で義経公がここはどこだ?と迷っている)のを、刀剣男士との接触がなく正しい歴史で生きた榎本武揚が還るべき場所=「北」へ連れて行ってくれるのでは?という内容でした。
— 飛鳥 (@asuka_chicken) May 8, 2022
●舟の意味と鶴丸国永について
あの船、間違いなく棺(としての役割)だろうなと思って調べたらそういうことか…だから鶴丸が乗っていたし、最後は鶴丸が先導していたんですね。#真剣乱舞祭2022 pic.twitter.com/AxMATqEu2C
— 飛鳥 (@asuka_chicken) May 8, 2022
じゃあ誰を埋葬していたの?という話ですが、やっぱり将門公かなぁと。最初船に乗っていたのは心覚の「あの子」ですが、「あの子」には我々審神者の集合体のような役割もあったので(心覚にて)どちらかというと「うつつ(この世)」を象徴するあの子がまたうつつにいる将門公を船に乗せて連れてきて→
— 飛鳥 (@asuka_chicken) May 8, 2022
船に一緒に鶴丸(鳥)が乗り、そして鶴丸が最後先導して「神おくり」した……という解釈かなぁ。初見のバタバタ脳での解釈なので色々アレ&個人的な解釈ですが。
— 飛鳥 (@asuka_chicken) May 8, 2022
将門公はこれでやっと「もう迷わない」でお帰りになれるんだろうなぁ…
補足:
— 飛鳥 (@asuka_chicken) May 8, 2022
そもそも棺のことを「フネ」と呼ぶ文化が日本にはあるんですって!言われてみれば確かに聞いたことあるかも…
(日本大百科全書(ニッポニカ)「水葬」の解説より) pic.twitter.com/yjElp8IEr8
補足:出典元ありましたので貼っておきます。127ページあたりが該当部分。天鳥舟との同一視についても記載アリ。
— 飛鳥 (@asuka_chicken) May 8, 2022
『舟・船棺起源と舟・船棺葬送に見る刳舟』https://t.co/pWasTcJawR
そして、そうか…刀ミュの鶴丸はついに、一瞬とはいえ棺、「墓」に入ったのか……
— 飛鳥 (@asuka_chicken) May 8, 2022
確実に「なにか」ある鶴丸大倶利伽羅双騎の前に、鶴丸国永を「墓」に入れたのか刀ミュは……。そう、か……#真剣乱舞祭2022 https://t.co/oL8xDHUCiX
わぁ〜楽しいお祭りだったな!!のふわふわした感情を最後の最後に「これもミュージカル刀剣乱舞の物語の1ピースである」とまざまざと表現する鶴丸国永、えげつない…問わず語りのイントロ流れてんのに鶴丸が一人で出てきた瞬間、家で1人で「なんなんだよおまえ!!!!」って叫んだ。ほんとになに…
— 飛鳥 (@asuka_chicken) May 8, 2022
※大包平は最高
乱舞祭2022、めちゃくちゃ楽しかったし最高なんだけど一番爆笑したのは某曲の『大包平は、天下五剣の称号を気にしすぎだ』でしたね。声が裏返るところまで天才的で最高だった。最高の大包平。#真剣乱舞祭2022
— 飛鳥 (@asuka_chicken) May 8, 2022
|ミュ本丸の初期刀は誰?(江水&パライソ)
●パライソ時点での考察:初期刀は2振目の蜂須賀説
パライソにて浦島くんの口から、
「この本丸の最初期からいるのが三日月と鶴丸だから、この二振を信頼していれば間違いない、と"長曽祢兄ちゃん"から聞いた」
というドでかい情報が出てきた。
そこで「?」となる。
ん?初期刀は??
ついミュ1作目の阿津賀山に加州清光が出ていたので「ミュ本丸の初期刀は加州」と思いがちだが、そんなことは一度も明言されてなかった(はず)。加州のことはキャストも「総隊長」と呼ぶけれど、初期刀とは呼ばない。
先日の音曲祭で加州、蜂須賀、陸奥の初期刀3振組のMCがあったけど、その中で「誰が初期刀」という表現がなかったことからも、清光が初期刀で確定、というわけではないことが分かる。
「どうして鶴丸と三日月が最初期にいたのか」というのは置いといたとしても「どうしてそこに初期刀であるもう一振の名前が上がらないのか」が気になる。
話の流れ的に出てこなかっただけ、という線も考えられなくはないけど、だとしたらあえて「三日月と鶴丸の二振が本丸の最初期からいた」と言わなくない?という。
では初期刀は?初期刀は長曽祢さんから見て「信頼できる刀」ではなかったのだろうか?
そんなことはないだろう。初期刀は審神者にとっての一振り目の刀だ。特別でないはずがない。
初期刀がいるのであれば、どんなに三日月と鶴丸が最初期からいて活躍してようと初期刀の名前も上がるはずだ。
現在ミュ本丸に顕現している、初期刀の可能性がある刀は加州清光、蜂須賀虎徹、陸奥守吉行の3振。
この3振のうち誰かが初期刀だったならば、長曽祢さんが「信頼できる刀」として名前をあげないはずがない。だって、史実ベースでもゲームベースでもミュ本丸の話としても、長曽祢さんはこの3振全員と浅くない関係があるからだ。
では、どうして初期刀の名前があがらないのか?
いくつか可能性が考えられる。
①まだ出てきていない歌仙兼定or山姥切国広が初期刀の可能性
②初期刀がそもそもいない本丸の可能性
③初期刀がいたが、今はいない=どこかで折れている可能性
①についてだが、これは正直わからない。そうだったとしても言及がありそう、という気もするけど、「この本丸の初期刀は誰か」というなかなかセンシティブな話題を軽々しく出すわけにはいかず、あえて話に出さなかったという可能性もある。
なので、①である可能性は低そうだとは思うが否定できる要素はない。
(※一瞬、歌仙と山姥切国広がいるステ本丸と繋がっている可能性…を少し考えたけど、大演練が組まれた時点でこの2つの本丸は完全に別の本丸であると明言されたようなものなので、この可能性は除外)
②についても、可能性は否定できないけどかなり低いと思う。
ゲームを原案としている以上ゲームの設定は無視できないわけで、もちろん色々なイレギュラーはあるだろうけど「はじめに刀を一振り選ぶ」というけっこう重要そうな設定をぶっとばすとは思えない。
まあそのくらいミュ本丸が「イレギュラー中のイレギュラー」という可能性も否めないけど…否めないけども。
で、本命の③
初期刀はいたが、今はいない。つまりどこかで初期刀が折れている可能性。
そうだったとして、ではその「折れた初期刀」は誰だったのか。
まず、ミュ本丸にまだ登場していない歌仙兼定&山姥切国広のことは置いておく。情報がないので考えようがない。
関係者は出てきてはいるものの、歌仙や山姥切国広についての言及は特になかった(はず)なので、まったくの未知数。もちろんこの2振の可能性もあるとは思う。
次に、加州or蜂須賀or陸奥守の3振のうち、誰かが初期刀だった可能性(つまり今顕現しているのは2振目、という可能性)
そうだった場合、いちばん可能性が高そうなのは誰か?
というのを考えた結果、わたしは「蜂須賀じゃね?」となったのだ。
根拠を申し上げよう!
まず、消去法では絞れない。3振のうちどれも「2振目である可能性」を拭いきれない。
そこで加点式で考えてみたところ、蜂須賀に加点(根拠)がめちゃくちゃ多かったのだ。
根拠①今回のパライソ隊の編成で浦島くんだけ浮いている
今回のパライソ出陣の6振は、審神者が鶴丸を選んだ以外、すべて鶴丸国永が選出している。
そこで鶴丸国永がこの5振を選んだ理由を考えてみると、
・松井→本編中も語られる通り、天草島原の乱の関係者
・豊前→松井のサポート(および豊前もあの辺はちょっと関係ある)
・大倶利伽羅→鶴丸と刀時代からの旧知の中、および「みほとせ」での「死んだ人物に成り代わる」経験から(鶴丸はある程度、今回の「本物の天草四郎が殺される」状況を想定したようにも見えるので)
・日向→本編中も利用されるとおり、豊臣関係者
・浦島くん→…?海??
となる。
鶴丸が「本物の天草四郎が殺されるので、それに成り代わる必要がある」状況をある程度想定していたとして、天草四郎のフリができる容姿が子供っぽい刀を選出して、その中に浦島くんがいた可能性…くらいしか思いつかない。
もちろん浦島くんには「海」というメインモチーフがあり今回の舞台の島原と親和性が高いが、任務の遂行を考えた時に必要なピースだったか、と言われると微妙かなと思う。本編中でも言っている通り、浦島くんが打たれたのは天草島原の乱のあとのことなのでこの戦のことをほぼなにも知らないし。
(メタい視点で言えば、何も知らない浦島くんがみんなに聞くことで観客にも天草島原の乱のことを説明する、という重要な役割があるけど、それはまあメタい視点だしね…あと心覚とかいう事前にある程度史実を調べておかないとサッパリ分からん話をやったミュが、ストーリー進行の都合だけで編成を組むとは思えない)
もちろんストーリー的なことでいえば一揆参加の兄弟と浦島くんのところは重要だが、それはあくまで「ストーリー上で重要」であって、「任務に必要」とは違うだろう、と思う。
そこで仮説が立つわけだ。
鶴丸国永には、浦島くんを連れて行く「理由」があったのではないか?と。
最後一揆軍が全滅する前、鶴丸は浦島くんと日向くんが釣りに行くのを止めない。止めないどころか、釣りに行くように仕向ける。
それを大倶利伽羅に言われた時「浦島には見せたくない」という。見た目が子供っぽいから、という理由だけなら「浦島と日向には」と言いそうなところだが、そこに日向くんは入っていない。
松井に対しては「目を逸らすな」と言った一揆軍の最後を、(浦島くんは刀時代に経験していないから松井とは立場が違うとは言え)「浦島には見せたくない」という。
これは、あの超リアリストかつ冷静な鶴丸にしては珍しいところだと思った。なんていうか、ものすごく「過保護」。
じゃあどうして鶴丸は浦島くんには対してそんなに過保護なんだろう?と考えた時に出てくる可能性が「誰かに、浦島をよろしくと言われていたから」。では、誰に?それは蜂須賀か長曽祢さんのどちらか以外には考えられないだろう。
もしも鶴丸が「浦島をよろしく」されていたとして、それで浦島くんをあの島原に連れて行ってたとしたらどんな「よろしく」の仕方だよ…と思わなくもないけど、それはそれで鶴丸なりの面倒の見方だったのかもしれない。
実際それで浦島くんとしては成長する部分はあったんだろうとも思うし、鶴丸は(隊全体を良く見ていたという前提はあるが)浦島くんのことをよく気にかけていたように思う。
②長曽祢さんと「今の蜂須賀」の関係
天狼の大きな要素のひとつである、蜂須賀と長曽祢さんの関係。
これはもちろんゲーム時点でも虎徹兄弟にとって大きな要素で、天狼でああいうふうに語られることに違和感はない。
ない、が。ないが、若干「蜂須賀に対して長曽祢さんが大人すぎるのでは?」という視点を入れられないわけでもない、と思う。
もちろん長曽祢さんが兄であり、贋作の虎徹を背負っている覚悟や強さ…というのはあるので、そのぶん大人っぽいとは言えるけど、でも長曽祢さんと並ぶと天狼の蜂須賀は非常に子供っぽいなと思う(※そこがかわいいんだけど)。
そこで、「実はあの本丸には今の蜂須賀(高橋健介くん蜂須賀)の前にもう一振蜂須賀がいた」という可能性を提唱したい。
そうすると長曽祢さんが高橋蜂須賀より大人っぽい理由にもなるような気がする。長曽祢さんは、すでに蜂須賀との邂逅を一度経験したわけだから。
天狼で長曽祢さんと蜂須賀の関係について和泉守と堀川くんが話す会話も、前にもう一振蜂須賀がいたとして、その時よりさらに今の蜂須賀はうまくやっていけてないよね、と言っているように聞くことができなくもない、ような気がする。(ごめんここちょっと曖昧なので帰ったら天狼見返します)
そもそも、「鶴丸と三日月がこの本丸の最初期からいて、だからこの2振は信頼できる」と語ったのが長曽祢さん、というのも引っかかる。いや、そりゃ浦島くん経由だから長曽祢さん、という理由もわかるんだけど、今のところとくに鶴丸や三日月と深い接点があるわけではない長曽祢さんがそこまで2振を信頼するにはなにか理由がありそうな気がする。
その理由を考えた時に、「弟である蜂須賀が初期刀で、その蜂須賀とともに最初期に戦っていたのが三日月と鶴丸だったから」という可能性が浮かんだ。
だとしたら、この本丸の初期刀が蜂須賀だったと仮定した時に、長曽祢さんがあえて「信頼がおける」のメンツの中に(今いる)蜂須賀を入れないことにも納得ができる。
一振目の蜂須賀虎徹のことを蔑ろにできないから。だから、その中に初期刀と同モデルだけど初期刀ではない蜂須賀を入れることはできなかった。
③清光「後任に異論なし!」
天狼で、清光が審神者から隊長の任をとくことと、次に隊長になるのが蜂須賀だと聞かされた時のセリフ。
この「後任に異論なし!」、今までは「やっぱりはじまりの5振として選ばれる可能性がある刀同士、信頼関係があるんだね、かわいいね〜」くらいにしか思っていなかったが、もしも「初期刀として蜂須賀がいて、それを知っている清光が2振目の蜂須賀に信頼と期待を寄せていたから」という理由で言っていたとしたら?
もちろん加州清光はいい子なので誰が後任だったとしても信頼して期待しただろうけど、でもこの蜂須賀に隊長の任を譲るときは、何か少し嬉しそうな気配があった。
もし、もしもの話。
この本丸に初期刀として蜂須賀がいたとして、その蜂須賀が折れる時に、加州清光が「同じ、初期刀に選ばれる可能性がある刀として、初期刀である俺がいなくなったあとはかわりに主と本丸を支えてやってくれ」と頼まれていたとしたら。
だとしたら、清光があんなに嬉しそうに「後任に異論なし!」というのにも納得がいくのだ。
ここからは根拠ではなくほんとに肌感というか、「なんとなく」の話。
加州、陸奥守、蜂須賀のうち誰かが2振目だった可能性、を考えた時に、清光はないなと思った。
それは、加州清光を演じる佐藤流司くんの「唯我独尊」性。もちろん加州清光=佐藤流司くんではないし、佐藤流司くんにはそういうものを見せないだけの演技力もあるとは思う、あるとは思うが、あの稀有なほどの「唯我独尊」性がある役者さんをあえて「2振目」にするだろうか?と。もったいなくないか?と。
加州清光=ミュ本丸の初期刀、と決まったわけではないとはいえ、あの本丸において加州清光はやっぱり特別だ。ひとりで3回も出陣しているあの刀が、2振目だとは到底思えない。なんというか、2振目であればやっぱりそこには「憂い」とか「ゆらぎ」があるんじゃないか?と思うわけだ。それがミュの清光にはないというか、それを持たせるのが勿体無いほどの唯我独尊だなぁと思った。なので清光が2振目はなさそうだなぁ、と。
正直、陸奥守である可能性はあると思う。長曽祢さんと関わりがあると言う意味ではかなり深く関わりがあるし、むすはじで見せた冷静さや合理性は、陸奥守特有のものでもありつつ、2振目としての「影」という可能性もあるなぁと思う。
ただ、蜂須賀と違って陸奥守には2振目である加点がなかった(わたしには見つけられなかった)。
以上。
もしも万が一、あの蜂須賀が2振目だったりしたらなんかもうあの蜂須賀がめちゃくちゃかわいいな…と思います。
これを念頭におきつつ天狼初演から音曲祭を見返してるんだけど、楽日の手合わせが三日月と蜂須賀なのもなんかそういうことな気がしてしまって………
— 飛鳥 (@asuka_chicken) October 1, 2021
そして音曲祭の「美しい悲劇」が、蜂須賀の出番2回の相手が三日月と鶴丸なのもなんか……なんかそういうことなのかなとか思ってしまうんだよな…
— 飛鳥 (@asuka_chicken) October 1, 2021
そして蜂須賀は天狼初演の「選ばれぬ者 リプライズ」で、「あなた(主)に選ばれた」と歌っているんですよね…「あなたに選ばれた」から「俺にしか見えないものがきっとある」と………
— 飛鳥 (@asuka_chicken) October 1, 2021
とうらぶにおいて「主に選ばれる」ってやっぱりそれしかない気がするんだよなぁ
— 飛鳥 (@asuka_chicken) October 1, 2021
●江水時点での考察
▼やっぱり2振目の蜂須賀だと思う…
これはパライソを見た時の「ミュ本丸の初期刀は誰?」という考察の拙作なのですが、こうなってみて、パライソのときに考えておいて良かったなとマジで思った。今回、まんばちゃんではないことが確定し、もう実質二択なんじゃないかなと……#刀ミュ #刀ミュ考察 https://t.co/FTcj7N42mh
— 飛鳥 (@asuka_chicken) January 30, 2022
まず確定したのが、「新入りたちは始まりの一振が誰なのか知らない」=「あの本丸の始まりの一振が誰なのか公表していない」=「初期刀はなんかあった」で、まんばちゃんの発言とつなげるにまあ間違いなく初期刀は折れてんだよなぁ
それもまんばちゃんが隊長のときに、な…
▼歌仙ではない気がするんだよなぁ
ミュの本丸の初期刀だれだろって(まだ)考えてるんだけどなんか歌仙ではない気がするんだよな…だって歌仙って自分が2振目だったところでそんな苦悩しなさそうじゃん…僕を選ぶなんて見る目があるね主で終わりそうなのよ…
いやめっちゃメタ視点になっちゃうんだけど、自分が2振目であるということに苦悩するのが蜂須賀か歌仙かで言ったら蜂須賀だよなって言う。
歌仙はなぁ、なんか自分が2振目だと分かったところで「おや、主は僕ではない僕を始まりに選んだのか。さすが見る目があるねぇ。僕は君が選んだ僕ではないが同じくらい雅で強いから頼りにしてくれ」〜完〜
ってなりそうというか。
その点蜂須賀は「本物と贋作」という大きなテーマを背負っている以上、本物であるはずの自分が「初期刀」としてはある種「偽物」、という板挟みになってシナリオ的に面白いだろうな、というメタ視点なんですが。
▼でも初期刀が実は山姥切国広、という可能性もあるよね…
折れた刀=初期刀ではなく、初期刀まんばが初出陣のときに隊員の誰かが折れていて、それに負い目を感じているまんばが「俺なんかを始まりの刀と呼ぶな」と言っている可能性。
今回、新入りたちが「始まりの一振りが誰かを知らない」というのが割と大きなポイントだと思ってて。
まず「本丸の刀剣男士たちってやっぱ初期刀誰なの?」って気にしてるという点。そしてそれを話題にしているという点。
話題にしてたら誰かしらの耳に入るはず。そこで何の問題もなければ古参の刀が「始まりの一振は◯◯だよ」と教えるか、本人自ら「この本丸の始まりの一振は自分だ」と言うはず。
それをしないということはなにかしら理由がある…ということで私は「初期刀は折れていて、今いるのは2振り目」と考えていたんだが、でも。
もしかしたらまんばが初期刀で、初出陣のときに隊員のだれかを折っていて、そのときの負い目で「俺なんかを始まりの一振りと呼ぶな」と言っていて、そのせいで古参たちもだれも「山姥切が始まりの一振りだ」と言えない可能性は、あるよなぁって…
そしてまんばの性格上、そういう言動もあり得そうだなぁって…
初期刀が死にたがりの本丸ってしんどいな…あんなに歌って踊ってるのにな…
— 飛鳥 (@asuka_chicken) January 30, 2022
|江水散花雪
いやめっっっちゃシナリオとしてほんとにほんとに面白かったし、刀ミュ史上もしかしたらいちばん「刀剣男士」の話だったかもしれない。
— 飛鳥 (@asuka_chicken) January 30, 2022
●肥前くんと以蔵さんと龍馬について
肥前くんと岡田以蔵のシーン、何が良かったかって、正気を保っていたときは「人を斬って何になる」と刀を捨てていた人が、時間が澱んで正気を失って「本能」が見えたその瞬間に「刀」を求めたという、その最期なんだよな…
和泉守の歌うようにあの歴史の岡田以蔵は肥前くんの知っている「花」ではなく、それによって肥前くんが戦って働いた存在意義が消えてしまうのがめちゃくちゃめちゃくちゃ見ているこっちもつらかった。
でも理性を無くし本能だけになった瞬間、命が尽きるその寸前に岡田以蔵は肥前くんに奪われた「刀」に手を伸ばすんだよ…肥前くんに手を伸ばす。最後の最後に本能だけになった瞬間、「人斬り以蔵」に戻る。
それが、ほんの少しだけでも肥前くんの救いになったのかなって思ったらもうなんかめちゃくちゃ泣いた……
肥前くんが勝海舟を襲うシーン、あの時期に勝海舟は死んでいないのでなんで?だったんだけど、もしや勝海舟の付き人をしている龍馬を殺しにきた…?うわ龍馬だと思って近づいたら岡田以蔵の変わり果てた姿だったとか地獄かよ…
●江水の歴史の「間違い」
パライソが歴史の上で人間が間違いを犯したのならそれは正しく認めねばならない」というテーマだったので、江水もたとえ間違えなかった歴史がどんなに幸せでも、間違いは間違いとして遂行しなければならないという話なんよな。
あの江水の幕末は、歴史上の人間の間違いがかなり少なかった。後継者争いもなく、言論の弾圧もなく、内乱で人が死ぬこともなかった。つまりそれは、その間違いから学ぶこともなかったということ。
後継者争いが火種になることも、言論の弾圧が政権の崩壊を生むことも、内乱の不毛さも、あの時代の人間は学べなかった。その先に待つのは、幕末明治維新とは比べ物にならないほどの惨状だったのかもしれない。
だから、どんなにあのときは幸せに平和に見えても、間違えたことは間違えたと自覚させるために、死ぬべき人間は死ななくてはならないんだよなぁ。パライソも、江水もそういう話だった。
そういう話なのにつはもので義経を逃しちゃう三日月おじいちゃんはほんと…ほんとさぁ。ほんとさぁ…
今回何をもってして政府はあの歴史を切り離すと判断したのかを考えると正史とズレたというのはもちろんなんだがでもあの歴史があのまま進んだ未来を演算した時に正史よりはるかに死者が多かったという可能性もあるなと…
あの時間が止まった瞬間=歴史から切り離された瞬間、多分間違いなく安政の地震なんだよね。地震の描写は何度もあったし、時間が止まる直前、刀剣男士たちは「地震!?」と言っていた。
で、安政の地震が1855年。史実の大政奉還は1867年。つまり正史より12年早く明治維新が起こってる。
それって、正史の明治維新を成す人たちが12年若い。
ここからは仮説だけど、12年早くあの革命が起こったら、結局数年で元に戻ってる気がする。正史の明治維新だって結構ギリッギリでなんとか成功している(去年の大河ドラを見ているとよく分かる)。なので、12年も早く(若く)あの革命が起こっていたら、結局それは失敗している気がする。
その結果どうなるのか?仮説にしかならないけど、もしかしたらもっと酷い内乱が起きていたかもしれない。その隙に異国に攻め入られていたかもしれない。
だから、もちろん和泉守の言う通り政府の判断が正しかったか正しくなかったかは分からないが、今はこの正史が「いちばん良い選択だった」とするしかないんだと思う、政府としても。そういう「今の歴史が一番良い選択だったと信じる」ということが、未来を信じると言うことにもつながるのかもしれない。
●江水の歴史遡行軍の一手、やはりめちゃくちゃ致命的だよなという話
今回の時間遡行軍の井伊直弼と吉田松陰を出合わせたというのが会心の一撃ともいえる一手だったなと思うのは、あそこで吉田松陰を殺しても井伊直弼を殺しても正史はねじ曲がるからなんだよな…本当に出会ったら終わり。
続き↓
ほんで2人とも(とくに吉田松陰は)手紙を届けるの妨害されたくらいで挫けるやつじゃないのよ…頑固オブ頑固なのよ……
— 飛鳥 (@asuka_chicken) January 30, 2022
あそこからやり直すの、「吉田松陰をぶっ殺して誰かが吉田松陰の代わりをして井伊直弼に会っていなかったことにする」(もしくはその井伊直弼パターン)くらいしか思いつかないけど、吉田松陰の影響力や思想を考えるとちょっとやそっとで成り代われないんよな…地元ではもう顔も知られてるしな…
— 飛鳥 (@asuka_chicken) January 30, 2022
|静かの海のパライソ(2021)
パライソ見てきたんですけど、諸々ひっくるめた感想は「致死量の鶴丸国永」でした。
— 飛鳥 (@asuka_chicken) September 30, 2021
鶴丸はどうしてあそこまで非情に歴史を守ることに徹するのか
それは「血を流すことでしか人間は学べない」=「人間に血を流させる刀剣だけが人間に過ちを認めさせられる」という自認と誇りゆえなんじゃないかなぁと。
鶴丸から松井へのセリフ「人間は血を流すことでしか学べない」。
それは裏を返せば「血を流すことで人間は自らの過ちを認められる」ということ。そしてそれは武器であり、銃や大砲ではなく直接手を下してその血を見ざるを得ない性質を持つ「刀剣」という武器だから成せる役割なんだと思う。
つまり刀剣の役割は「人間に、自らの過ちを認めさせること」「そしてそれによって、未来への学びを得させること」。それは刀剣男士の「歴史を守る」という役割と一致する。
歴史を変えてはなぜいけないの?それは、どんなに悲しく間違った歴史であっても、その歴史から必ず人間は「学び」を得て、そしてその先を良くしていったはずだから。歴史を変えては間違いをなくせば、その学びも無くなってしまう。歴史を守ると言うことは、人間の「学び」を守ること。そしてそのための「人間に血を流させる過ちを自覚させる」という役割こそが、刀剣の役割だ、と。
鶴丸国永はそのことを誰よりも自覚しているから、あそこまで非情になれるのではないか。
だって、非情に徹して守った歴史から人間が学んだことがあると信じているから。
パライソでは、その「学ぶ」役割が松平信綱だった。松平信綱はあの天草の乱という大いなる人間の過ちから「学び」、そして太平の世を作った。
鶴丸にとってはあそこで、知恵伊豆こと松平信綱が「学んで」くれたことだけが救いであり希望だったのだと思う。それを1人で確かめに行くくらいには。
どうして鶴丸にそこまでの刀剣としての自覚があるのかは分からないけど、でも、きっとあの鶴丸は人間が過ちから学べることと、刀剣である自分自身がその過ちとそこからの学びを守れることを知っているんだと思う。
私は鶴丸国永の合理的なところが好きなので、あれが歴史を守る理由も合理的であればいいなぁと思っている。
— 飛鳥 (@asuka_chicken) January 30, 2022
余談:鶴丸とココ・ヘクマティアル(ヨルムンガンド)って似てるよね
パライソ見てたら鶴丸国永とココ・ヘクマティアル(ヨルムンガンド)がすごい重なったんだよな…いや白いからという理由だけではなく……まあ白いんですが…
— 飛鳥 (@asuka_chicken) September 30, 2021
自分自身が「暴力」であることを理解したうえで、そしてそのことを最大限に利用したうえで「暴力」を憎むその姿勢……
— 飛鳥 (@asuka_chicken) September 30, 2021
|東京心覚
心覚、今までの刀ミュの本公演が定食+デザート(2部)、乱舞祭系がコース料理だとしたら心覚はコース料理×4のビュッフェって感じだなぁ〜お好きなところをお食べ〜!コースのメインばっかり食べてもイイしコースのデザートばっかり食べてもいいし、もちろん全部食べてもいいんだよ、みたいな。
— 飛鳥 (@asuka_chicken) March 11, 2021
難しいっていうか食べ方が違うって感じだし今までの定食だと思って全部食べてるとギブギブ!腹いっぱい!えっまだメイン2品もあるの馬鹿???ってなるから好きなところを好きな時に食べればいいんだよ、きっと。
— 飛鳥 (@asuka_chicken) March 11, 2021
●桑名くんの「ぐるぐる」のこと。
あれってつまり、質量保存の法則だよね…?姿形が変わっても、そこにあることに変わりはない、という。
今日しか観れないものだよ!ってところを売りにしている(はずの)水物の舞台で、「今は会えなくてもいつか会える、だって同じ循環の中にいるから」って言うの、強い……って思った。舞台中でいう「めぐる水」だけじゃなく、それ以外のものも流動的で形が変わるけどそれそのものは変わらない。それは今日、今年の舞台をたとえ生で見れなくても、本質は変わらないから、いつか巡り会えるから、というメッセージにも聞こえる。もちろん舞台に限らずだけど…
一期一会の尊さではなく、変わらずあるものの強さを舞台で語るの、すっげえよ…
今しかないものの価値じゃなくて、変わらずずっとぐるぐるしているもの。みんなその一部だから大丈夫だよっていうのすごいなんか、すごいよなぁ。孤独を救う言葉。
そういうあたりから、今回の心覚はすごく「みんなひとつの世界の中にいる」という叫びを感じた。
歴史における「記憶や記録に残らない人、出来事」って、人間ひとり単位での「記憶にない出来事」と同じじゃないかなって思う。
一週間前の夕飯に何を食べたかどんな味だったか覚えていなくても食べた事実は消えないし、たしかにその食べたものがその後のわたしのエネルギーになって、血となり肉となって仕事とか生活とかをささえて、それがまたその先につながっていく。歴史の記録に残らない人とか出来事も同じで、覚えてなくてもちゃんと「いる」んだよ、と思う。
わたしは、一生の思い出に残るディナーのような人ではないけど、でもたしかにいつかの夕食として世界の一部になってるんだよなぁ。一週間前の夕飯に違うものを食べてたもしてもたしかに大きな違いはないけど、でもたしかに今の私とは別の私が出来上がるもん。
なんかそういう、「ひとつのせかいのなか」っていうメッセージをすごく感じた。だからその中で線を引くことが不思議に見えるのかもしれない。
記憶や記録に残らないものでも、世界の一部だから絶対にどこかと繋がっていて。
たとえば「太田道灌」という歴史に名を残す武将がいて、その武将に影響を与えた山吹の少女がいて。ここまでは記録にも記憶にも残る。でも、蓑もないような暮らしなのに教養があり和歌を読める少女を、育てた人が必ずいる。歴史には残らないけれど。
貧しい暮らしの中でも少女に和歌を教えた人がいて、その人がそんな暮らしの中でも和歌を忘れずにいることになにか影響を与えた人がいて。その人にまた…ってどんどん世界は繋がっていて、どんなに小さな出来事や歴史の表舞台に出てこない人も、間違いなくこの世界の一部なんだよな。
大きな河の流れ(歴史、正史)と小さな川の流れ(歴史に残らない出来事)っていうよりは、ちいさな雨粒ひとつひとつ(歴史に残らない出来事や人)がいっぱいいっぱい集まって、大きな河の流れを作っている、というように聞こえた。だからみんな、小さな雨粒ひとつだってこぼしたくないんだろうなぁ、と。そんなふうに思ったよ。
●三日月宗近の機能と水心子くんについてとか、刀ミュってつくづく人間に優しいよなぁとかの感想
三日月がいう「歴史の中で悲しい役割を背負う人」って、いうたら人類の歴史が前へ進むための「燃料」なんじゃないかなぁと。勝った方は負けた側を燃やして次の時代を作っていくので。
人間は、「何かを犠牲にして新しい時代がきた」と思う(思い込む)ことで新しい時代に順応していけるようにも思えるし。その負けた側、燃料になる側に三日月が肩入れしてしまうのって、三日月が他ならぬ、その燃料に「火をつける」役目だからなのかもしれないな、と思う。
「三日月宗近の機能」って分かるようでよく分からないんだけど、三日月が敗者に肩入れすること自体が機能なのではなく、肩入れしてしまう理由が「機能」なのかなぁと。だったら三日月の機能はたぶん、敗者を燃料として燃やすその着火剤かもしれないなぁ…
水心子くんが覚えているのが記憶に残らない人たちのことで、三日月が拾いたいのは記憶には残るけど負けて燃やされていく人たちのことで。水心子と三日月は同じものを見ているようで違うものを見ているんだけど、その心の本質は同じ、なんだろうなぁ。
そこに生きる人々が花なら、その花を見てそれを「うつくしい」と定義するのはその後に生きている人、つまり勝者なんだよな…「花は花であるので美しい」ではなく「うつくしいと思う人の心が美しい」と言う刀ミュは、敗者の歴史に寄り添うように見えて勝者の歴史にもちゃんと愛があるなぁと思う。勝者のそれは驕りでもあるんだけど、でもなにかを美しいと思う心は確かに美しいものだからね。三日月がその花を愛でることをやめられないのは、彼が現在進行形の「未来」にしっっかりと残っているからなんだろうなぁ…
なんかあたりまえなんだけど、刀って人間が作ったんだよな…ってすごく思った。なんか、神様だけどさ、人間が作ったものに宿ってて、人間の営みの一部なんだよなぁって。なんで刀剣男子たちみんなこんなに人間に優しいかなって思うけど、人の営みの中で生まれたんだよな。それをなんか、たまに忘れそうになるから不思議。そのくらい刀って神懸かったようなものに思えるけど、でもそれを作る過程に人間の血の滲むような努力とか執念があるんだよなぁ。
なんか、わたしはべつに人間好きじゃないけど、刀たちが人の営みを肯定してくれると人間も悪くないというか、彼らが肯定してくれるなら頑張ろうって思えるというか。すごいなんか、人間を肯定してくれるよね刀ミュ…人間なんて愚かだけど、それでも人間を肯定してくれる。人間の善性を信じてくれる。その優しさは三日月の優しさに似ているなぁと思うよ。
●東京の概念についていろいろ。冒頭の演出がめちゃくちゃ怖かったこととか、東京の文化の集積地であることとか。
・現代の東京描かれるのめちゃくちゃ怖い
冒頭の鳥肌立ちすぎて肌痛くなった。あんなに鳥肌たったのはじめて。
そしてめちゃくちゃ怖かった。だって私が毎日いる「東京」なので…電車が動いていて、横断歩道の上を首都高が走っていて、横断歩道から童謡が流れている、毎日いる東京。その場所が次の瞬間に砂のこぼれ落ちる世界になる恐怖。
そのあと甲冑の人たちが出てきてめちゃめちゃほっとして、自分が今までのミュをのんびり見れてたのはそれが起こってるのが過去、自分とは直接関係ない世界だったからなんだなぁ…と。ああやって現在の、私が住んでいる街を描かれるとめちゃくちゃにこわい。ちょーーこわい。すごい怖かった。外に出るのが怖くなったよ一瞬…そういう怖さ。
コロナで自粛してた4〜5月あたり、テレビでは感染何人死者何人ってやってて、外に出ないしたまに外に出ても人いなくて、外から人の声もしなくて、朝起きて「私以外みんな死んでたりして」って怖くなったりしたことを思い出した。あれ怖かったなぁ。そういう世界…だったんだろうなぁ、桑名が耕してた土地は。
・文化の集積地である東京
刀ミュの歴史人物の顔がバァーって出てきた時に、そうだよな東京は(刀ミュ)全公演やってんだもんな、その記憶も「東京」は持ってるよなぁ、と思って。でもこれって刀ミュだけじゃなくて色んな歴史を題材にした舞台(とか映画とか色々)が東京で上演されててそれを見る人がいて、という、文化の集約地のなんだよなぁ、と。
諸説とかifの創作って文化だし、それを集めるのが東京なんだよな。そりゃそことつながったら水心子くん、記憶ごっちゃになるよ…
・富士山の映像
水心子くんの記憶が映画のようにフラッシュする場面での富士山、すごく大阪東京間の新幹線から見える景色を思い出した。「日本の象徴の山」というより、首都とそれ以外の都市を結ぶ境界線の象徴でもあるのかなぁ、みたいな。
・東京も東京になって150年ってなると、べつにそろそろ首都って変わる可能性もあるんだなって思うと歴史の中に生きてんなぁと思う。
●あの子のこと、審神者のこと。
いつか会える「あの子」は未来の審神者なんだろう
けど、そうなると、2015年から審神者やってる我らis何?ってやっぱりなっちゃうのよな。なに?我ら実は2205年からきてたの?それとも2205年って実は過去にあるの?今が未来なの???
あの少女は=審神者(我ら)である部分もあるし、「そこで頑張っている子」は明らかにこのコロナ禍で頑張って生きてる我らのことなんだろうけど…未来で出会うの?もうすでに出会っているのだが?来世でも出会えるの?まじか〜〜サンキューな!
2205年で使って刀剣男子が強くなるように、200年前くらいから霊力という名の人気集めておけー!は分かるのよ…我ら霊力?まあでも人の思いに限りはないって言ってたしな…我らの「人の思い」は限りのない霊力になっていると信じたい。
●豊前江と「名もなき草」
心覚の豊前が「名もなき草」って呼ばれて出てくるの、アレって今豊前江を所持している人or場所が、その刀の名が「豊前江」だと知らないために行方不明である(可能性が高い)から?
私は豊前の有識者ではないので、豊前の有識者の方の間では「豊前=名もなき草」ってすぐ分かるアレかと思って調べたら意外とそれらしい答えが見つからず。
なんで名も無き草で出てくるんだ?名前あるし、「名も無き」というのが「有名ではない、広く知られてない」の比喩表現だとしても豊前江ってじゅうぶん有名じゃん、と思ったのだけど。
桑名江の「名前はあるのに、なぜか名も無き草って呼ばれてる」は、豊前江という名前があるのに、今の持ち主or保管場所の人がその名前を知らず「名前がよう分からん一振の刀」としか認識していないから居場所が分からない(可能性がある)からなのでは??
現代の豊前江は今、どこかで名前はあるのに「名も無き刀」と呼ばれているのでは…?
↓続き
そこから続けると、つまりこういうことでは…?
— 飛鳥 (@asuka_chicken) March 23, 2021
※思いっきりネタバレ注意 pic.twitter.com/Jc3wa2OFlU
●お城と大地
最近お城のことをよく調べるのだけど(城プロの影響)、城がそこに建っている理由ってかなり地形の影響が大きく、そういう意味ではお城って「大地の声」に呼ばれたものなんだなぁ〜と思った。東京心覚で問われる「なぜそこに江戸城を?」の答えのひとつは「大地が呼んだから」なんだろうなぁ。
— 飛鳥 (@asuka_chicken) April 17, 2021
強い(硬い)城ほど地形と噛み合ってる=大地としっかり会話できてる、ってことなんだろうなぁと思う…地形だけじゃなく街道との兼ね合いもあるけど、街道だって地形由来で発達していくことが多いわけだし。お城ってその土地に呼ばれたんだなぁと思うよ。
— 飛鳥 (@asuka_chicken) April 17, 2021
●心覚考察まとめ
●千秋楽の特典映像の雲さん(の中の人のコメント)に情緒をめちゃくちゃにされた記録
ヘェェッ!?雲さんにとっての「美しいもの」って、一面の山吹畑じゃなくて「一面の山吹畑を見て喜んでる雨さん」なの???「そうだったらいいな」は、山吹が咲いてたらいいな、じゃなくて「雨さん山吹を見て喜んだらいいな」なの????ヒェッ………
— 飛鳥 (@asuka_chicken) May 23, 2021
そうか、そうだよな、たしかに山吹を植えたいと言い出したのは「雨さんが…」だもんな。あれは「雨さんが見たそうにしていた」「きっと見たら雨さんが喜ぶから」なんだな…考えてみたら畑でとれた季語を雨さんに届けるくらいだからそりゃそうなんだよな…ハァ、すごいな……#東京心覚 https://t.co/phBW9O0UDZ
— 飛鳥 (@asuka_chicken) May 23, 2021
エッじゃあなに、雲さんは「山吹が咲いてるのを見て喜んでる雨さん」を歌に詠もうとしてんの????うっそ……とんでもねぇな。
— 飛鳥 (@asuka_chicken) May 23, 2021
ほんとに雲さん、「雨さんはどこ?」「雨さんといられればそれでいい」なんだな……とうらぶ(ゲーム)で散々そう言われてたのに、かしら、そのことちゃんと分かってなかったよ…ごめんな……悔い改めるわ……
— 飛鳥 (@asuka_chicken) May 23, 2021
なんで雲さんの動機のトリガーをそんなに雨さんが握ってるのかまだ良く分かんないんだけど、明確なトリガーであることだけは確定してるんだよな…なんでなんだろう。雲と雨って関係性からすると逆でも良さそうなのに、雲のトリガーが雨なんだよな…
— 飛鳥 (@asuka_chicken) May 23, 2021
たぶん雨さんは雲さんが自分(雨さん)が喜ぶことを「そうだったらいいなぁ」と思って歌に詠むなんて思ってないし、できた歌を聞いてもそれに気付くことなく「素敵な歌ですね」と微笑むし雲さんもあえて説明したりしないんだろうなぁと思った(が、ミュの中身同士はそれを知ってるのがまたイイよね)
— 飛鳥 (@asuka_chicken) May 23, 2021
再ライブ配信見てるんだけど、道灌様と五月雨江の歌のときに村雲江が一瞬も目を離さず雨さんのこと見てて、「村雲江がそうだったらいいなと思う美しいもの」の答えを知ってしまった今見ると受け取れる感情のデカさが段違いでスゴい。デカくて重い、この感情……
— 飛鳥 (@asuka_chicken) May 24, 2021
※れきしクンさんの歴史解説は最高
今日のれきしクンさんのお話は刀ミュオタクみんな楽しいやつ……葵咲(歌合)から心覚まで網羅してくるれきしクンさんさすがだぜ…
— 飛鳥 (@asuka_chicken) April 17, 2021
【ソハヤノツルキ】徳川家康の命日!死因は鯛の天ぷらってホント?【クイズ!きょうのれきし・4月17日】 https://t.co/HmQDc5XNbj @YouTubeより
※感想でもなんでもないヤツ
元々、雨さんを演じている山﨑くんが好きでしてね…
刀ミュ東京心覚の五月雨江くんのここが可愛くて美人で最高なんだよな…っていうのをメモしてたら約17,000字の怪文書が出来上がってしまって怖いのでここに置いておきます。 https://t.co/13XnbwSWqY
— 飛鳥 (@asuka_chicken) March 28, 2021
心覚20日マチネ観劇。やっぱり五月雨江くんめちゃくちゃ美人でかわいいという話と、東京公演からの変化・進化もすごく良かった……というメモ。 pic.twitter.com/P2NjCWSlUd
— 飛鳥 (@asuka_chicken) May 23, 2021
※番外編:公演前に書いた心覚予想(大ハズレ)
|幕末天狼伝(2020)
●清光と沖田くんの「似ているところ」
今回の再演見て、新撰組という主の刀として最後まで戦いたかったのに半ばで折れた沖田総司と、沖田総司という主の刀として戦いたかったのに途中で折れた加州清光は良く似ていて、だからこそ主の最期に駆けつけたい沖田総司を見て苦しくなってたのかなぁと思ったりした。#幕末天狼傳
— 飛鳥 (@asuka_chicken) November 23, 2020
加州清光の「ボロボロになったから捨てられた、だから可愛くしないと」というトラウマめいたことが、近藤さんがボロボロで戦えなくなった沖田総司に「もういいんだ」と言ってくれたことで、清光の中でもそのトラウマが少し薄れたというか、軽くなったのかなぁ〜と。
— 飛鳥 (@asuka_chicken) November 23, 2020
●最後の清光のご挨拶のこと
幕末天狼傳2020の円盤みました。
— 飛鳥 (@asuka_chicken) April 25, 2021
ほんっとに、楽日の加州清光の挨拶は歴史に残る挨拶だと思う。佐藤流司くんの清光、トライアルからずーっとほんとに清光だけど、私はこの楽日の挨拶が今までで一番「本当に、本物の清光だ」と思った。本当に、歴史を守るために来てくれた清光。すごい、すごいよ…
「この時代が大変なこと」を知っていて、それでも、すっごく大変で辛かったけど来てくれた清光。そして東京心覚を見たあとだと、まるでこの挨拶が心覚のプロローグのように聞こえて来る。
— 飛鳥 (@asuka_chicken) April 25, 2021
ああそういえば、音曲祭の楽日で豊前と桑名を東京に送り出したのは清光だったなぁ…そうか、そうなんだなぁ…
|葵咲本紀(主に徳川家双子)
●葵咲本紀は「ファミリー」のお話
だから、演者もリアルにファミリーの双子さんがいたことがすごく良かったよね。
なんていうか、葵咲本紀はほんとに家族、ファミリーの話なんだよな。
— 飛鳥 (@asuka_chicken) June 5, 2021
徳川ファミリーの話であり、村正ファミリーの話であり、刀ミュ一座というファミリーの話であり、そして二葉ファミリーの話なんだよ。
あの「家族」を主題にした話に、実際のこれ以上ないほど血が繋がっている双子ちゃんがいたことは顔や姿形が似ているということ以上の意味があったと思うんだよな。そして、だからこそ葵咲という枠を越えた刀ミュファミリーの話になれたというバックステージがあるわけで。
— 飛鳥 (@asuka_chicken) June 5, 2021
私が葵咲のシナリオで好きだなって思うのはオテギネとの関係が秀康とではなく貞愛と描かれたところなんよね。刀だった時代に果たしきれなかった役割を「同じ顔を待つ」存在ともう一度することで刃生のやり直しをするというのがすごく…すごく好きだったんだよな。
— 飛鳥 (@asuka_chicken) January 29, 2022
姿形が同一であるというのはやっぱり特別な意味を持つんだよ。それをたぶんどこかで分かっていてもその役割を果たした貞愛が………好きだった……
— 飛鳥 (@asuka_chicken) January 29, 2022
刀ミュの三日月宗近まわりが不穏になるたびに心の救いになるのがマジで貞愛なんだよな。三日月に接触されて物部になってるけど、あんなに明るく元気に「鯛だー!!!」ってやってた貞愛を思い出すと「大丈夫…たぶんなんとかなる…!」って思える。刀ミュ世界の救世主は貞愛かもしれない。
— 飛鳥 (@asuka_chicken) March 10, 2021
いや冷静に考えても貞愛って信康兄ちゃんと違って「歴史の表舞台から消されている」「ただし生きていた可能性がかなり高い」なので、貞愛だけは正常なんだよな。そういう意味ではかなりマジで救世主というか、なんとかなるとっかかりだと思うんだよ……それにあんなにかわいいし…すっごいかわいいし…
— 飛鳥 (@asuka_chicken) March 10, 2021
●えっ本田忠勝と結城秀康って誕生日同じなの!?
最近れきしクンさんの動画をよく見てるんだけど、これみて忠勝と結城秀康って誕生日一緒なの!?!?ってなった葵咲に魂とられてるオタクです。
— 飛鳥 (@asuka_chicken) February 28, 2021
【蜻蛉切・御手杵】本多忠勝&結城秀康の誕生日【きょうのれきし・2月8日は何の日!?】 https://t.co/DgXMS5gId3 @YouTubeより
結城秀康と一緒ってことは貞愛とも一緒なわけですよ当然……葵咲世界の忠勝は蜻蛉切さんなので、蜻蛉切さんは自分と同じ日に生まれた双子を知ってるのよ……いやまあ蜻蛉さんだから誕生日とかないだろっていわれたらそれまでだけども…
— 飛鳥 (@asuka_chicken) February 28, 2021
●徳川家双子、実は(現代の感覚でいうと)貞愛が兄で秀康が弟だったかも説
演じているのは、貞愛役の二葉勇さんが兄で秀康役の二葉要くんが弟なのでその関係性もあいまって、もしかしたら…という説
今日双子の日なのか〜にしてもなんで?と思って調べたら、明治7年の今日、双子は先に生まれた方が兄(姉)って法令が出たからなのか。へぇ〜〜じゃあ明治7年以前はどっちでも良かったの?とさらに調べたら、「双子は後に生まれた方が兄姉」って考え方も昔あったらしい→
— 飛鳥 (@asuka_chicken) December 13, 2020
理由は、あとから生まれた→先に母親のお腹に入った(だから奥にいた)って考え方があったとか…(いや医学的にそうではないだろ感あるけど、まあ言わんとしていることは分かる)ってことは、葵咲の双子ってもしかして貞愛が先に生まれてた可能性も………?????
— 飛鳥 (@asuka_chicken) December 13, 2020
えっじゃあもしかして万が一の話ですけど、葵咲の双子って生まれる時代が違ったら逆だった可能性が………???いやそれ…いやそれしんどくない???ハァ???しんど…しんどいな…
— 飛鳥 (@asuka_chicken) December 13, 2020
●結城家と藤原家の縁について
公演中、秀康役の要くんが体調不良で降板されて急遽、藤原秀衡役を演じてこられた加古さんが代役したという経緯があったんだけど、実は結城家と藤原家ってこういう縁があったんだね…という。
数日前から城プロを始めて、そのおかげで今更ながら知ったんだけど、結城秀康を養子にもらった結城家って遡ると奥州藤原氏討伐に参加しててその恩賞として藤原氏が持ってた黄金を大量に与えられた、って伝承があるのね…
— 飛鳥 (@asuka_chicken) January 11, 2021
刀ミュのこういう、不測の事態がぜんぶ「運命」になるところほんとに凄いよな…
|みほとせの子守歌
刀ステ(天伝 大阪冬の陣)とあわせて
なかなか斬新な家康像だなぁと思ったけど、ミュの家康(みほとせ→葵咲)ってアレ、後世の人々が創作したイメージの徳川家康、を知っている奴らが育てたからああいう家康に育ったのであって、実際の家康はもしかしたらこんな感じだったのかもなぁ…と思った。激情家の側面はあるしね。#刀ステ
— 飛鳥 (@asuka_chicken) February 17, 2021