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母が入院した日
9年前の今日、2週間の入院を経て実家の母が退院したことを、日記代わりに使っているFacebookが教えてくれました。
思い返せば、あの頃から母は体調を崩しがちになりました。何らかの予兆だったのかもしれません。
しかし当時の母は、30年以上前に私の弟を出産した時を最後に、大きな病気をしたことのないひとでした。それが突然、しかも最低でも二週間の入院と言い渡されました。
その時、母も私も、真っ先に心配したのが父のことでした。
父は当時77歳でしたが、片道一時間以上かけての遠距離通勤をものともしない元気者。
しかし、その生活はこれまで家事のほぼ全てを担う専業主婦の母によって支えられていました。
果たして大丈夫なのだろうか、いや、大丈夫な訳ない(反語)
正直、入院して、緊急の処置も済み、命の危険もまず無いと思われる母のことよりも、父のほうが心配でした。幸い実家は勤務先の最寄りなので、入院の翌朝、出勤前に立ち寄ることにしました。
合鍵で中に入ると、まず稼働中の乾燥機が目に入り、ほう、ちゃんと洗濯したんだな、と娘は感心いたしました。
朝御飯の食器も、どうやら下げたらしい。
なかなかやるじゃんお父さん。
……と、そこで食卓に置かれた二つの湯呑みに気付きました。
中には焙じ茶がつがれていました。
毎朝、食後には熱々の焙じ茶を二人分淹れる母。
母が入院した翌朝にも、自分で焙じ茶を淹れた父。ちゃんと母の分も。
それを見た途端、滝のように涙があふれて止まらなくなってしまいました。
母がいなくても、いつも通りの生活を送ってみせるぞという決意と、母の無事を願う祈りのようなものをそこに感じて。
母が入院した実感も急にわいてきて
「ほんとに大丈夫かなお母さん?ちゃんと元気に帰ってくるかな?」
と不安に襲われつつも、
二つの湯呑みが、大丈夫だよ、心配しなくていいよ、と力づけてくれているように思いました。
こどものようにボロボロ泣きながら、そっか、やっぱり私は親になっても、父と母の子供なんだなと再認識しました。
その後は、真っ赤な目が診療開始までにマシになるかヒヤヒヤでしたが(笑)
母の入院生活は一ヶ月に及び、一人暮らし生活もすっかり板についた父でしたが、母の退院に付き添う背中からは安堵の気持ちが滲み出ているように見えました。
その後、母が亡くなるまでの6年間、入院生活は何度か繰り返され、父はその度に甲斐甲斐しく病院に足を運び、家事も自分のペースを作って、家の中を綺麗に整えていました。
元々父が頭脳明晰で、学習能力が高く、独立心に富んだ人であることは重々承知していましたが、晩年の父を見て一番尊敬したのは、その『柔軟さ』と、『母への愛情の深さ』だったかもしれません。
そんな姿を見せてくれる昭和11年生まれの男性は、世の中そうそういないだろうと、我が父ながら誇らしく思っています。