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ありがとう、の一言

足りないのか、減っているのかわからないが、恥ずかしいくらいコレを発揮できていない大人が多い。
例えば、バスやタクシーを降りるとき「ありがとう」を言わないひと。

理由はいくつか考えられる。
ひとつは、恥ずかしくて言えない。
これは、心では感謝しているものの、その態度を人に見られたり聞かれたりを過度に気にする人にありがちなこと。思春期だと、なんならお礼を伝えることが格好悪いという謎マインドが生まれるときすらある。

結果として、伝わるか伝わらないかわからない「謎の会釈」でコミュニケーションをとったつもりになる。
これは、やられた側からすると「無」だ。
良くも悪くも、何も生まれない。
なので別に問題は無いのだが、自分が誰かから「ありがとう」を言われて嬉しかったということは多くのひとが経験しているとすれば、同じことをしてあげることで、「無」ではなく「嬉しさ」が社会に0.000001ミリくらい蔓延る。

ありがとう、はもはや魔法ワード


なお、あなたの行動なぞ誰も見てねえよ、とは言わない。誰かが見ることはあるだろう。
あなたが誰かに感謝していることを見られることは、他のひとたちの心をこれまた0.000001ミリくらい幸せにする。
つまり、やるにこしたことはないのだ。

理由のふたつめは、そのサービスに対して意識が習慣化されてしまっていることだ。
これが一番良くないと思う。
例えば、あなたが若い頃、実家では毎日ごはんが出てくる暮らしがあったと思う。美味しいごはんを毎日口にできる幸せは、誰かと比べる必要もなく幸せなことだ。なぜなら、食べることに幸せを感じられるように脳が出来ているから。
そんな幸せなことに対して「ありがたい」と思わないのも、同じ現象である。
その割に、急にそのサービスが無くなると怒るヤツすらいる。
これを機会に、改めて、自分が感じているサービスのありがたさを感じながら謙虚に生きることをおすすめしたい。
こういう話をすると、必ずこう言い出すヤツがいる。

こっちはお金を払っているのだから


確かにそうだ。
サービスに対して適切に設定された対価をお金として支払っている。

誰に?



企業に。

ただ、バスの事例で言えば、もちろんバス会社はお金をもらえて嬉しいのだから、彼らにいちいち感謝を伝える必要はないかもしれない、
しかし、バスの運転手が一番ありがたいのは「誰も乗らずに給料だけもらえること」なのだ。
ひとを乗せることで遅延やクレーム処理が発生する。もちろんお客様あってのビジネスではあるが、そんなホトケさまのようなマインドで毎日働いているひとは多くないと思う。
これが前提となると、あなたが運賃箱に200円を入れたところで、企業主は感謝するかもしれないが、運転手からしたら至極どうでもいい問題なのだ。
それをあなたがしたり顔で「こっちはお金を払っているのだから」というのはあまり想像力が欠如していると言わざるを得ない。
加えて、「ありがとう」を運転手に伝え続けることで、ひとによっては「ひとを乗せるのはダルいが、また明日も安全運転でがんばろう」という気持ちになってくれるかもしれない。
それはあなたが日本のどこかでバスを使う以上、メリットでしかない。

どうだろう、まずはバス、タクシー、なんなら人力車でもいいから、何かに乗せてもらったら「ありがとう」を言ってみないか。

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