目の前にいる誰かが苦しんでいる時、私は、「あ、あの時の私だ。」と、いつかの自分を重ねて見てしまう。 彼女は私じゃない。 彼女の気持ちは本人にしか分からない。 でも、あれこれ想像してしまい、勝手に心配してしまうのだ。 何か私に出来ることはないのかな…と、考えては無力な自分にため息が出る。 私はつい、「大丈夫?」と声をかけてしまった。 「大丈夫です。」 絶対大丈夫なはずがない彼女から、そう返事が返ってくることは分かりきっていたはずなのに。 朝、彼女が職場に出勤してきているの
夕方になると赤ちゃんには「黄昏泣き」をする時期があるらしい。夕方という時間帯には、人を不安定にさせる何かがあると思う。 子どもの頃から夕方になると、胸の奥の方がギューってなって、おかしくなりそうだった。 いつも思い出すのは小学3年生の私。 友だちと遊んでいると夕方には決まって友だちのお母さんが「暗くならないうちに帰りなさい。お家の人が心配するから。」と言う。帰り道には、どこの家からか夕飯の匂いがした。 家の玄関を開ける瞬間が1番嫌いだった。 真っ暗で無音な空間に耐えら
いつか母は私に言った。 「おばあちゃんは私よりカズちゃん(母の妹)の方が可愛いと思ってる」と。 その時の母の寂しそうな横顔が忘れられない。 母は二人姉妹の長女である。 妹が生まれた日から母親の愛情は全部、妹の方へ向けられた。そう思っている心の傷が、今でも母を苦しめているのだ。 「自分は愛されない存在だ」 そう思っている母は、娘を上手く愛する事ができなかった。 そして娘である私にも自分は愛されないという心の傷が受け継がれた。 世代間連鎖はこうして起こるのだ。 私は、いつ
セラピストの先生に今までの事を話した。 誰にも言えなかった家族の事を口に出した。 口に出すのも嫌だった事を言葉にした。 涙が止まらなかった。 今まで、誰かに話した時、勝手に判決を下される事の方が多かった。「良かったね」「ダメだね」「もっとこうした方が良いよ」「考えすぎ」って言われる度、私の気持ちは誰にも分かってもらえない。私は普通じゃないんだ。という気持ちが確信に変わっていった。 話を聞いてもらう事は、こんなにも優しい事だったのか。増やしもせず、減らしもせず、そっくりそ
小学生の頃、音楽の教科書に坂本九の「上を向いて歩こう」が載っていた。授業で歌った日の帰り道、いつも一緒に帰っていた“さっちゃん”という友達がこんなことを言っていた。 「涙がこぼれないように上を向くって、あれ、おかしいと思わへん?だって、 上を向いたら、目の端っこから涙がタラーって流れるもん。そしたらね、皆んなに泣いてるって、バレるやん?涙がこぼれそうになったら、すぐ下向くねん。下向いたら、涙が丸になって、ポタッて地面に落ちて、頬っぺにもどこにも涙がつかへんねん。だから、泣い
「お母さんが、思うように私を愛してくれなかったから、私は愛情を憎しみに変えました。 」 そう声に出して言ったら、私の中にずっとある、この憎しみは愛だったんだって、涙が止まらなかった。 嫌いで嫌いで嫌いで許せない分だけ、苦しんだ分だけ、全部全部愛だったんだ。 母への愛だった。 私は母親の事がずっと許せなかった。 今でも好きとは言えない。 許せたかどうかも分からない。 でも、かつての幼かった私は、母が大好きだった。そう思い出せたのも、30歳を過ぎた最近の事である。 大好きだ
電車に乗っていると、途中の駅で親子が乗ってきた。 母親は、抱っこ紐にまだ小さな赤ちゃんを抱っこして、もう1人、3歳くらいの男の子と手を繋いで、反対側の手には、パンパンに荷物が入った大きなトートバッグを持っていた。汗だくだった。その日は、35℃を超える猛暑で、私は思わず『お疲れ様です。』と心の中で呟いた。 その母親はやっと一息つけるといった様子で「ふー」と椅子に腰掛けて、横にトートバッグを置いて、その横に男の子が座った。 自分の汗をトートバッグから取り出したハンカチでおさえよう
私は怒っている時、兎に角歩いていたい。 いつもより大きく足を広げて、スピードを上げて、どこまでもどこまでも前に進みたいのだ。 今、まさにそんな気分である。 何故そんな気分でいるかと言うと、職場の同僚に仕事の相談をしていた時の事、その同僚が、〝先輩が私の事を悪く言っていた〟と、わざわざ告げ口してきたのである。 私は傷ついた。その先輩の事を信頼していたので、とても悲しかった。 家に帰ってから、同僚への怒りの気持ちがフツフツ湧いてきた。どうして、わざわざ私が嫌な気持ちになると分か
2歳児の女の子が登園してくると、私が『おはよう』と挨拶するなり、自分が着ているTシャツを指差して、『ミッキーミッキー』と言う。 ミッキーマウスがプリントされている服を着て来た事が嬉しかったようだ。 私が、『ミッキーだねー良いねー』と声をかけると、にっこり笑う。 しばらくすると、その女の子が、今度は男の子の友達の服にもミッキーマウスを見付けて、すぐに駆け寄り、男の子のTシャツを指差し『ミッキー!』と言う。 自分のTシャツと男の子のTシャツを交互に指差し、何度も何度も『ミッキー!
私は、瀬尾まいこさんの本が好きだ。 物心ついた時から、私の両親は喧嘩ばかりしていた。いつも家族がバラバラになってしまうんじゃないかと、恐怖や不安でいっぱいだった。 夜、布団に入って、明日朝起きたら、お父さんとお母さんが仲良くなってますように。と何度も願った。そんな私の願いも虚しく、両親は離婚した。父に引き取られて3人暮らしが始まってからも、父は慣れない家事や子育てにイライラしていて、私も兄も心を閉ざし、家の中は、ひんやり冷たかった。 温かい家族を知らない私は、いつも友達が
私は、自分の〝怒り〟や〝悲しみ〟を相手に伝えることが怖い。 相手の人は、何気なく、悪気なく、むしろ、良かれと思って私に言ってくれた言葉だったり、行動である事が分かっているから、 『悪気はないんだから忘れよう』と自分に言い聞かせる。 でも、一度感じた感情は、無くすことはできない。モヤモヤやイライラは消えない。 そんな気持ちで、何となく相手の友達や先輩や彼氏と距離をとって、そのまま会わなくなった人が今まで、何人かいる。 もし、あの時 『あなたに悪気がないのは分かってるんだけ
どんなことも 胸が裂けるほど苦しい 夜が来ても すべて憶えているだろ 声を上げて 飛び上がるほどに嬉しい そんな日々が これから起こるはずだろ 私の好きな歌の歌詞。 悲しいことがあった時、 『世の中にはもっと厳しい状況の人がいるんだからそれに比べたらマシな方だよ』 と、言われたことがある。 もちろん、言った人は、私を励まそうと思って言ってくれた言葉だと思う。私自身も、他人と自分を比べて、〝こんな事くらいで、弱音を吐いていたらダメダメ!〟と自分に言っていた。 でも、この歌
『人生に常はない。』は、私の好きな言葉。 大好きだった祖父の法事で、お坊さんが言っていた言葉で、人の人生において、今の状況が永遠に続いていくことはありえない。という話を聞いて、当時、高校生だった私の胸にとても響いたことを覚えている。 事あるごとにこの言葉を思い出すと、良い時には感謝出来たし、悪い時も乗り越えられる気がした。 2月は祖父の命日だった。祖父は唯一私を甘やかしてくれた人。 祖父の思い出と好きな言葉は、いつだって、私の背中を押してくれる。 #日記 #エッセ
いつも思い出しては心配になる友だちがいる。彼女の口癖が〝大丈夫〟だからだろうか。 前にどこかで、〝大丈夫〟と良く言う人は、〝本当は大丈夫じゃない人〟と、聞いたことがある。 自分のことよりも人の気持ちを考える彼女だからこそ、いつも笑顔で『大丈夫』と言うのだろう。 毎日のように一緒にいられた時は、彼女がどんなに笑っていても、『なんか、最近疲れてるなー』とか、『本当は、ちょっと怒ってる?』とか、『昨日、泣いたなー』とか、『最近なんか、いい感じ』とか、些細な変化にも自分で見たり、感
給食の時間。 『先生見てーこれ、夕やけの色やー。夕やけスープや!』と、4歳の男の子。 白いお椀の中の、すまし汁は本当に夕やけ空の色だった。 なんてなんてなんてステキな感性! はい、もぉ、今日から世界中のすまし汁を〝夕やけスープ〟と呼ぶことにする。 こーゆー瞬間、なんて言うか、もぉ、たまらない。 #日記 #エッセイ #子ども #保育 #保育士 #夕やけスープ
子どもは、部屋の隅っこが好きだ。 友だちとケンカした時。 かけっこで1番になれなかった時。 ちょっと疲れた夕方。 大好きなパパの顔が上手く描けなかった時。 せっかく作った積み木のタワーが壊れた時。 隅っこまで行き、 背中を丸めて小さくなって座る。 しばらくするとそこから立ち上がり、 いつの間にか、笑っていたりする。 ある日、すごく落ち込んだ日。 子ども達が帰って、誰もいないクラスの部屋の隅っこで気がすむまで泣いた。 無自覚に我慢していた悲しい気持ちを出して、なんだか