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祖國はありや~寺山修司と私~

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖國はありや
                       『空には本』

 真っ暗な、潮くさくて湿っぽい空気に耳を澄ますと、波の音が聴こえる。それは真夏の太陽が照りつける美しい浜辺の、規則正しいそれではない。大きな港の、埠頭の岸壁――人気のない、船の姿も見えないほどの暗闇に包まれた――に、濁った水が打ちつけられて、小さいけれど四方八方からちゃぷちゃぷと聞こえる水の音だ。さらに小さく、しゅっ、という音がして、橙色の灯がともる。深くふかくたち込めた霧がスクリーンとなって、マッチを擦った一人の男の影を大きく浮かび上がらせ、そしてすぐに消える。そこにいるのは、マッチを擦ったその男のみである。
 再び包まれた闇の中に、「身捨つるほどの祖國はありや」という問いが響く。そこにはその男以外、誰もいないというのに。「祖國」とは一体何だろう。この歌が収められた『空には本』が出版されたのは一九五八年。その後多くの若者が六十年安保闘争に身を投じてゆく時代背景を考えると、自分自身の身を捨ててもよいと思うことのできるような、文字通りの「祖國」なのか。あるいは、それほどまでに愛することのできる「祖國」以上の何か、なのか。
 どちらにしても、この闇の中で、「身捨つるほどの祖國はありや」という問いかけに答えようとする者は誰もいない。この作者は初めから答えなど求めていないのだ。そんな「祖國」はない、と既にわかっている。それにも関わらず、敢えて問うている。問わずにはいられない何かが、この時代にはあったのだ。そしてその「何か」は今なお闇の中で響き、長い長い余韻をひきながら私たち読者の心を捉えて放さない。


 寺山修司、という人の名前を私が初めて知ったのは、この歌に出会うよりもう少し前である。偶然テレビで放送されていた映画「田園に死す」の、あの顔を真っ白に塗りたくった母と子の姿や、恐山を登ってゆく道にからから回る風車や、古い家の壁に掛けられて一斉に鳴り始める夥しい数の時計が、強烈に記憶に残っていたのだった。その時には気味が悪くてすぐにチャンネルを変えてしまったのだが。ほどなくして短歌に興味を持ち、図書館や書店などで目に留まった歌集や歌書を手あたり次第に読み始めた中で、もう一度寺山修司に出会った。闇と、そこに浮かび上がる小さな光と、静けさと、その静けさゆえに聴こえる音が、そこから立ちのぼるにおいが、これほどまでにくきやかに浮かび上がってくる歌を、その頃の私は他にまだ知らなかった。

「短歌研究」2013年6月号 「寺山修司とわたし」

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