さみどりの合歓
2007年8月から2010年6月までの3年間、私はアラブ首長国連邦の首都であるアブダビという街で働いていた。日本語教師として、現地の公立小学校に通うアラブ人の子どもたちに日本語を教える仕事である。アブダビ政府と取引のある日本の石油会社が募集していた仕事だった。
外国で暮らしてみたい、という漠然とした思いはあったけれど、「アラビア」に対してそれほど関心があったわけではない。正直に言ってしまえば、アブダビという街がどこにあるのかも心もとなかった。当然アラビア語もわからないし、現地の文化や生活習慣についての知識もない。そんな私がひとつの求人広告を見つけたことをきっかけに三年間現地で暮らすことになったのだから、人生何があるかわからないものである。
アラビア湾(ペルシャ湾)に面したアブダビは、世界一の高層ビル「ブルジュ・ハリーファ」のあるドバイから、自動車で一時間半ほど。ドバイ同様かなり豊かな街である。何より驚いたのは、緑の多いことだった。50度を越える炎天下にも関わらず、街中にナツメヤシの木が茂り、ブーゲンビリアの花が溢れるように咲いている。よく見ると根元にパイプが張り巡らされていて、一日中惜しみなく水がまかれているのだった。
そんなアブダビでの生活に少しずつ慣れて、どれぐらいたったころだろう。夕刻に海沿いの道を散歩していると、大きな樹がたくさん花をつけているに気がついた。その花は淡い黄緑色で、上質の化粧筆をぽうっとひろげたような姿をしている。見上げていると、海と砂漠の砂のにおいのする風に混じって、甘い香りが漂ってきた。――ああそうか、これは合歓の花だ。
調べてみると、この「さみどりの合歓」は「ネムノキ」とは別種で、和名を「ビルマネム」というらしかった。別種とはいえ、日本の「あかね色の合歓」とよく似ている。以来散歩のたびにこの「さみどりの合歓」を立ち止まって見上げるのが、私のささやかな楽しみの一つとなったのである。
この夏も、あちこちで「あかね色の合歓」を見た。アブダビでもきっと、あの「さみどりの合歓」が咲いているだろう。そして私と同じように見上げて微笑んでいる誰かが、いるはずだ。
福島民有新聞「みんゆう随想」2016年9月6日掲載
☆お盆休みに入ったので、また何本か過去に書いたエッセイなどをアップしていきます。お楽しみいただければ幸いです。