覚書_69
昨日ある人から、「自分をよくみせようとしすぎるところがある、もっと本来の自分をみせていけばいい」と言われた。
図星すぎて顔がなくなってしまった。
この覚書は誰が読んでいるかもわからないので、覚書が100に到達するまで、できるだけ自己開示をしていく練習の場にしようと思う。
いざ対面で自分のことを話そうとした時に、言葉をひねり出すことができないので。
私は2015年の3月から今に至るまで、だいたい月に一度、通院している。
心療内科なのか精神科なのかわからないけど、そういうクリニックだ。
そもそもの異変は中学~高校の頃に遡るがそれは割愛する。
(そのうち書くかもしれない)
最初の診断は重度の鬱病で、その日でドクターストップがかかり、その時やっていた仕事をフェードアウトした。幸い非正規で知人のところでの仕事だったので、ややこしい手続きなどはなかった。
その後2022年頃に双極性障害に見立てを変えてもらった。
そうでなきゃ説明できないことが多々あった。
飲む薬も変わり、ある程度は落ち着いた。
+発達障害疑いがある。
周りの人が容易にできることが私にはできない、できたとしてもかなり無理をしている。一番わかりやすいのが片付けや整理整頓、これは小さい頃から本当にできない。誰かが家に泊まりに来るときだけ、物置部屋にすべてを詰め込んでいる。
冒頭の言葉に戻り、私は自分自身を良く見せようとしすぎるきらいがあり、お医者さんの前でも猫をかぶっていたのだった。本当は困っていることを伝えられなかった。メンタルの好不調しか言えなかった。5年前くらいにお医者さんも変わって改まってしまったのも大きいし、躁状態の時に鬱病治った!くらいに思って通院をスキップしていたこともあった。
(実際は写真家として個展やグループ展やったり借金までして作品集作ったりしたのも、病気のせいだったのではないかと踏んでいる…)
でも少しずつ、片付けが本当にできなくて、数日お風呂に入れなくて、食事がコンビニばっかりで、とぽつぽつ言えるようになってきた。
一年ほど前だろうか、お医者さんから「病院移って発達障害の検査受けてみる?」と言われたことをずっと保留にしてきた。
病院移るのってすごく労力が必要。通院が遠くなってしまうのはもちろん、自立支援の手続きのために役所に行かなくちゃいけないし、もしも新しいお医者さんとの相性が悪かったら?と二の足を踏んでいた。
そもそも私は普通の人間だったのに病気になってしまい生活がちょっとダメになったと思っていたけれど、実は生まれた時から特性ありました!というのが受け入れ難かったかもしれない。
けれど、ようやく仕事も慣れてきたし、「疑い」という曖昧な状態が結構しんどいことにも気づいたし、ちゃんと自分の状態に名前をつけてあげたいと思えて、先日ようやく「検査を受けたいから病院を移りたい」と伝えた。
新しいクリニックに移るまでに、早くても2ヵ月~3ヵ月くらいは時間がかかるはずなので、それまでは今の暮らしを低空飛行で続けられたらいいのかな。
ここに書いたのを機に、プライベートでも躊躇うことなく話せるようになる日がくるのかどうか。わざわざ自ら言うことでもないから難しいね。
会社にはクローズで入ったので言うことはないだろうけれど…
(面接で伝えることをすっかり忘れてしまい入社に至る)
せめて、年に2回ほど会う幼馴染には伝えたいなと思っている。
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