犬も歩いたから棒に当たるわけであって。
誰しも自分の座右の銘を持っていることが多いと思うが、わたしも、ある。
ちょっと解釈は違うかもしれないけれど、
「犬も歩けば棒に当たる」
これがわたしの座右の銘だ。良い意味と悪い意味の2つの解釈があるようだが、現代では良い意味の方で使われることも多いようだ。
とはいえ、わたしは独自の解釈でこのことわざを胸に刻んでいる。
犬も歩いたから棒(チャンス・災難)に当たった。歩かなければそれにすら巡り合わなかったのだ。犬ですら歩いたらチャンスや災難に当たるんだから、わたしがやらない理由はない。歩かなければ(動かなければ)チャンス・災難は巡ってこないのだ。待つのではなく、当たりにいく。
とまぁ、自分を奮い立たせるために解釈を拡張して使っている。自分で言うのもアレだけど、本当にその通りだと思うんだよね。チャンスを待つだなんて、なんとまぁおこがましいとわたしは感じる。
行動する意味
わたしは大学生の時、授業とは関係なく研究室に通っていたが、研究の意義が見出せず一時期悩んだ。「自分は一体何を研究したいのか」と自問自答したが、答えは全く出なかった。答えが出ないのは当然。だって、比較材料や判断材料がない中で考えることなんか、机上の空論でしかない。
とあるサイエンスカフェに参加した際にある先生との出会いがわたしの人生を大きく変えた。その先生方は再生医療と工学の融合をしていた。今となっては組織工学は認知度も高い分野だが、数年前の当時はそこまででもなく、わたしにとっては衝撃的な救いとなった。
他の人には組織工学はポピュラーな領域かもしれないが、わたしの世界にはそんなものはなかったんだから。
セッションの終了後そのまま帰らず、わたしは教授の元へ行った。結果的には自分の大学と並行しながらその先生の元で研究をさせていただいたわけだが、今思うとあの時の自分のあの一歩が、今のわたしの生活を作っているのだ。あの一歩が。
あの時そのまま帰っていたらわたしはきっと研究の存在意義を見出せず、きっと研究への尊敬は薄れていただろう。
今がいちばんのタイミング
実は今、ネイルスクールの見学の帰りにこのnoteを書いている。実はわたし、大学時代からずっとネイルサロンに通っている。ネイルが大好きで、ネイルできない部署は避けてきた。それくらい生活の一部になっている。
何か自分でできることをしたい、そう思った時に真っ先にネイリストが浮かんだ。通っているサロンの担当者に相談し、その日の帰り道にはスクールの資料請求をした。これは先週のこと。
そして今日見学に行って話を詰めてきた。今わたしは詳細な時期を決めようとしている。だって、具体的な費用やリスクが分かったから。
一歩前進した。
噂ではなく、自分の足で稼いで得た情報は何よりも尊い。
もちろん突拍子もなく動くべきだとは思わない。ある程度は下調べをしたほうがいい。
でも、最後は動くか動かないか。
犬も歩いたから、棒に当たることができた。たとえ棒が災難だったとしても、それはきっと経験として人生の糧になる。無駄には絶対ならない。
もし何か気になることがあるなら、今がいちばんのタイミング。
人生は短い。楽しもう。
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