自分以外の誰かの話
わたしは仕事の量を見ながら、週に1,2日在宅勤務をするのだけど今日はまさに在宅Day
気分転換に近所の大きめのカフェに夕食をしに来たところ、Happy Hourを目当てに近所のマダム3人組がいらっしゃった。典型的なリッチ(風)マダム3人組。スパークリング片手に熱心に話されている。高級住宅街の近くなのでそれなりの世帯の方なのだろう。
聞き耳を立てているわけでもない。イヤホンで音楽を聞いていても嫌でも耳に入ってくる音量なのだけど、話の内容が99%「夏休みの予定」「息子」「息子の友達のママさんの様子」「旦那」なのだ。ここまで自分以外の人をネタにして盛り上がれるのも大したものだな〜と感心してしまう。全て話の終わりが伝聞調なのだ。
もしくは、自分ではない誰かの存在価値が自分の存在価値にすり替わっている。息子はこんなに頑張っている。夫はこんなにすごい。だからワタシもすごい。まるで自分の手柄みたいな。
母親という生き物はこういうものなのだろうか。もやもや。
わたしだってもちろん他の人の話をすることもある。でもせいぜい2割程度。自分の話ばかりするともちろん煙たい気もするが、わたしが感じているもやもやは「自分はどうなのか、何をしているのか」「自分はどう思うのか」を感じられないところにあるだろう。
友達に対しても最近そう感じることが多い。
アラサーにもなってくると、必ずでてくる話題は「結婚」「妊娠」。もはや通過儀礼としてわたしは受け入れているが、友達と会うとその話題しか出てこないことが多い。彼女たちにとってそれらの通過儀礼が過ぎた後、何を軸に生きていくのだろうかと摩訶不思議に感じる。
決して負け犬的な遠吠えではなく、単純に不思議なのだ。
みんな、もっと自分の人生、主人公になって生きようよ。
なんて感じながら、今日もわたしはわたしのペースで生きる。