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新卒切符を捨てる決断

3月は怒涛の1ヶ月で、不本意にもnoteとは距離を置いていた。
しかしふと「3月中に必ず書かねばならない記事がある!」と思い立ち、こうして深夜にパソコンに向かっているわけであります。

今月中に書かなければならない記事。それはタイトルの通り、私が新卒切符を捨てたというお話。
私の中ではずいぶんと思い切った決断だったし、まだまだ周囲からも賛同を得られていない。しかし一旦の区切りとして4月に入る前にその心境をここに書き留めておこうと思った。就職活動を通して得た私の発見や学びを、眠い目を擦りながら書いてみよう。

就職活動自体は、実は自分でも驚くほどに真面目にやってきた。
自分が会社員になるイメージは元々できていなかったけれど、それでもやってもいないことを否定するのはなんだか気が引けたので、とりあえず就職活動には一生懸命取り組んでみることにした。

就職活動を開始する上でまず行ったのは「志望の業界を決めること」。
私が志望したのはまちづくりの業界だった。まちづくりは元々非常に関心のある分野だ。大学生活の中で2年ほど必死に仕事をしていた業界のため、働くならこれしかない!と思った。幸運にも私が大学在学中に働いていた会社は業界内でも名の知れた会社で、就職活動はとんとん拍子で進んでいった。気になった企業の代表とは一通り面談をしたと思う。ありがたいことに好条件で話を持ちかけてくれる企業もあった。しかし業界研究を進めれば進めるほど気づく、とにかく重労働&低賃金の世界。身を粉にしながら働く大人たちを見て、次第に私の中の憧れの気持ちは薄れていった。私はきっと労働による自己実現ができない人間なのだ。それに就職活動を通して出会った大人たちは、会社の代表に隠れてこっそり「わざわざこんな業界に来なくていい」と私に言ってくるのだ。「大人って苦しいんだな」と漠然と感じた。
また私には歳の離れた姉が2人いる。彼女らも同じく重労働で、毎日日付が変わるころに家に着く生活を何年も続けている。数ヶ月おきに会う彼女らはぼーっとした表情で「仕事やめたい」「数日後にぽっくり死んじゃいたいな」などと呟くので、そんな彼女らを見て「死生観が歪むほどには働きたくないな」と思う。
就職活動を通して出会った大人たちは、自分が思っていたよりずっと、なんだか苦しそうだった。元々凝り性で自分を追い込みやすい性格の私。「精神の安定のため、重労働な環境は絶対にやめよう」と心に決めたのであった。

同時に就職活動を通してもう1つ気づいたことがある。
それは、案外世の中には自由な生き方をしている人間が多いということ。
「ちかと話が合うかも」と、会社の上司からとある女性を紹介してもらったことがある。その女性は新卒で入社した会社を3年で辞め、その後バックパッカーとして世界中を旅した女性。40歳を超えた今、彼女の野望はみんなを集めて古民家を作ることらしく、最近山梨の空き家を買い取ったそう。「建築のことなんかよくわかんないんだけど、ドーンと家ごと引っこ抜ける人知らない?!」と言われ、パワフルな彼女に若干引いてしまった。彼女の口から出る価値観や経験は派手なものばかりで面食らってしまったのだが、酒気を帯びた彼女に言われた「あんたはどう足掻いてもこっち側の人間だよ」という言葉だけが妙に心に残っている。
別の会社で知り合った人は、日本47都道府県を転々としながら暮らしていたと言う。全国津々浦々、居住地を変えながら色々なアルバイトをして食い繋いだそうで「これが案外生きていけるんですよ!」と楽しそうに笑っていた。「人生40年も50年も働かなきゃいけないんですよ?数年旅して暮らしたってお釣りが返ってきますよ!」と。
彼女らとの出会いによって、小中高、大学、新卒入社で会社員。そんな社会の常識は案外機能していないんだなーなんて気持ちになったりした。

思えば子どものころから憧れていた大人像がある。
それは「生活感のない大人」である。変にこちらを詮索して来ず、自分の話も、説教もしない。好きな服を着て無責任な発言をする大人たちが大好きであった。「私もこんなふうになりたいなぁ」と、周囲に内緒で中学校の実験室でバウムクーヘンを凍らしていた理科の先生を見ながら思っていた。

就職活動をすればするほどに就職をしたくなくなる。
そんな皮肉な状況に「どうしたものか」と頭を抱えながらも、時期はすっかり年末である。

年明けすぐ、
思い切って新卒切符を捨てた。

子どものころからぼんやりと私は短命な気がしているので「とりあえず3年頑張ってみる」とは言えなかった。25歳まで生きている自信がないのだ。
また重労働&低賃金な環境下で「やりがいのある仕事です!」と自信を持って言える気もしなかった。でも対人援助職以外にやりたい仕事もなく、「生活感のない大人」を演出するにはフリーターくらいがちょうどいい気さえした。

学生支援の仕事にも興味があり、こちらも2年ほど前からとある現場で働いているのだが、学生を支援したいという気持ちとは裏腹に、現場の「大人たちの自己満足感」に頭を悩ませてしまう日々であった。
なんとなく向上心の高い子ばかり称賛される現状。問題児ばかり目をかけてもらえる現状。大人たちのある種のまともさに「こんなもんか」と感じる毎日。これじゃあ不登校で気難しかったかつての私が報われないじゃないか。
だからせめて私がかつて救われた大人像を実現するためにも、最低限無気力に生きてみたいと思った。

今でも不安でいっぱいである。
私の選択が合っていたのかどうかはいまだにわからない。
わからなさすぎて後悔すらできずにいる。

だから今は必死に毎日働いている。
まるで考える暇を作らないようにしているように、思考を停止してお金を稼ぐ日々である。今でもまちづくりや学生支援の仕事は続けていて「将来の夢は?」「進路は?」なんて言葉が飛び交う職場で鼻をほじりながら働いている。正確には、鼻をほじっているように見られるように働いている。向上心の高い学生や指導員からは好かれていないだろうけど、不登校だったり夢がないような学生からは人生相談や進路相談を受けることもある。涙ながらに不安を訴える彼女たちの支えになるのなら、目一杯ぼけーっと生きたいものだ。

6月になったら少し仕事が落ち着く。
のんびり1人で旅行にでも行こう。私が大好きなまちや人に触れに行くのだ。
そのとき、何か感じるものがあるだろうか。
ふらっと旅に出れば自分のこれからの人生の行先を教えてくれる出会いがある気がするのだ。

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