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セルフネグレクトを止めよう

という、大きな人生目標ができた。

転職活動中の私は、日々
「どんな環境で働きたいかなぁ」「どんな自分でいたいかなぁ」と考えては、思いつくたびにメモを取るようにしている。

・ハードワークは嫌だなぁ
・好きな服を着て仕事がしたいなぁ
・近場がいいなぁ
・スキルは身につけたいかなぁ

こんな具合に。

でも考えれば考えるほど、自分は労働にさほど興味がないように思えてきて、環境を変えるためだけに「同業他社」で手を打つのが最善策な気がしてきた。

私にとっては労働より転職より何より、セルフネグレクトに終止符を打つことのほうがよっぽど重要事項なのだ。

好きな食べ物は一番最後まで取っておくタイプなのだが、
そんな具合に、楽しみは一番最後まで取っておくタイプである。
故にセルフネグレクトは私の処世術のようなもので「苦しい気持ちがあるうちは何事も楽しんじゃいけない」という思考の癖がある。
仕事が辛いだとか、人間関係に悩んでいるだとか、将来が不安だとか。そんなモヤモヤがあるうちは私の人生の全てを真っ暗闇にしなければいけないような気がして。美味しいものを食べなくなって、半日以上寝て過ごして、スキンケアも化粧もしなくなって、お風呂は明日の朝入ればいいやとなって、くったくたの服ばかり着るようになる。そうやって心の安定を保っていた。人生の大部分がうまくいっていないのに、別の分野から幸福を補完する行為がなんだか億劫なのだ。
だから自分にお金や時間を使う行為は、自分の人生が納得のいくものになってからでいいと本気で思っていた。

けれど最近そんな考えに変化が訪れた。
すごく憂鬱な1日があったのだ。あまりに憂鬱すぎて寝て過ごしたかったけれど、どうしても病院に行かなければいけなくて泣く泣く外出することにした。そうしたらなんだか心が軽くなって、気づけば洋服を見にいって、アクセサリーを買って、帰りにカフェに寄っていた。漠然と「お金を稼ぐ意味はここにあったんだな」と思った。

その日から、私の人生目標は「セルフネグレクトを止めよう」になった。

生きる意味は、自分を甘やかすためにある気がする。
世のため人のために働く必要なんていし、身体が悲鳴をあげるほどに何かに打ち込む必要もないんじゃないかな。適度に働いて適度に稼いで生活できれば。そしてわざと多めに余力を残しておいて、それを全力で自分自身に注いであげればいいような気がする。自分を甘やかして愛してあげて、そうやって生きていきたい。
身を粉にして誰かのために働くという役割は、きっと他の誰かが担当してくれているだろう。「適材適所」という言葉があってだな。私は地球の歯車の中でも特に「自分自身を最大限甘やかす」という役割を任されているのだ。

昨日狙っていた会社から御祈りメールが届いた。
就活ぶりの御祈りメールに心が折れそうになった。セルフネグレクトスイッチがオンになったけど「やばいやばい」と焦りとりあえずコーヒーを淹れてラランドニシダのうんこチャンネルを観てみた。するとニシダが「本当の終わりは死ぬことと殺すことだけだ」と言っていて「確かにそうだなぁ」と心が軽くなった。
私は死んでもないし誰かを殺したわけでもない。たかだか1社から御祈りメールが届いたくらい、実はなんてことない現実なのだ。次の瞬間にはマニキュアを塗り直し服を着替えてシャンプーを買いに外出していた。

そんな人生でいいのだ。
ゆるく行こう。


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