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22歳、中間報告

22歳になり、半年が経過。
今日も元気に生きています。✌️

年齢には割と無頓着な方で、自分の年齢を聞かれても「21?…いや、22か3だった気もします…。」と曖昧な答え方をしてしまう。
長い学生期間を終え「○年生です!」という便利な肩書きも無くなってしまったので、社会人として毎年の自分の成長を記録していきたい所存。
手始めに22歳の中間報告でもしようかなと思いますた。

12月に誕生日を迎えてからの半年間。思い返せば怒涛の日々だった。
大学生活の中で必死に取り組んできた事柄に自信が持てず、いただいていた内定を辞退したり、泥沼化していた恋愛に終止符を打ったり、関係性に未来の見えない友人と縁を切ったり、別れ続きの日々である。
それほどまでに「学生生活終了」という響きは私にとって大きかった。「大人になるんだから、これを機に身辺整理をしなければ…!」という強い思いに駆り立てられていたのだ。「どのような大人になりたいか」「これからどのような人生を歩んでいきたいか」と考え、その理想に近づくために取捨選択を行う日々。そんな自問自答の日々は結果的にとても良かったと思う。

大学を卒業して早3ヶ月。
当初は小学校勤務だったはずが内定を辞退し、今は小中高生の居場所支援の仕事をしている。大学時代からお世話になっている会社なので必要以上に気を張ることなくのびのびと働かせてもらっている。しかし今年度から始まった新規事業に携わっているため毎日バタバタ。スタッフ同士で話し合う事柄も多く、子どもたちへの対応も難しく、自身の未熟さに涙を流す日も多い。心優しいスタッフたちに助けられながら毎日の業務に必死にしがみついている。
同時に「私的、死ぬまでにやってみたい仕事ランキング」上位だった美術館スタッフの仕事もしている。休日は月に2日ほどで身体はヘトヘトである。

そんな楽しい激務をこなしながら最近、とある人生の答えに辿り着いた気がする。それは「身を置く環境は"無理をしていない自分"から逆算して選ぼうね」ということである。

なんとなく自分の22年間の人生を振り返ると「高校時代と大学時代は運の巡りが良くなかったなー」と思う。それはきっと環境が自分に合っていなかったのだなと。自分に合わない環境にいると、その環境に適応しようと本来の自分と乖離した自分が出来上がって。すると自分のこともだんだんと嫌いになっていく。そんな負のループが15歳から22歳の7年間続いていたのだと思う。
今の私は収入も不安定だし激務だし、決して人から羨ましがられる日々ではないけれど、それでもとにかく幸福なのだ。恋人もいないし学生時代と比べて友人の数も著しく減ったけど、明らかに以前より心が満たされているのだ。
大切なのは環境や肩書きを優先させて自分の心を変形させることじゃなくて、自分の本当の性質を理解し許容し、その上で自分に合った環境を選ぶことなのだなぁと。

今になって冷静に過去を振り返ると無理に笑って過ごした学生生活はやっぱり苦しかった。太陽のように明るい人に憧れるけど、それでも私は1人でいる時間が好きだし集団行動は苦手である。事前に決まったスケジュールや規則正しい生活は怖い。否定から入る人は苦手。「普通に考えて」って言葉も苦手だし、TPOに合わせた服装をするのも難しく、カート・コバーンが中指を立てたTシャツがお気に入りなのである。だから好きな格好で等身大の自分で子どもと過ごせる今の仕事が好きなのだ。

22歳。学生時代を終えて、もう立派な大人である。
だけど挑戦したいことや夢がまだまだたくさんあって、心はキラキラと若いままである。規則正しい学生時代には想像もできなかったようなイレギュラーな出来事がたくさん起きて、学びがある。心が穏やかで、日々は楽しい。

22歳後半戦も頑張るぞーーー。!!

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