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芸術コンプレックスに苛まれる

私は大学でメディアの勉強をしている。
コロナの影響も感じないほどに、大学での日々はとても忙しかった。
そんな4年間ももうすぐ終わり。
先日大学で「卒業制作上映会」が行われた。

卒業制作上映会当日、
私が参加した作品は無事上映され、私の登壇タイムも無事終了。
大学最終日を迎え「終わった〜!」と肩の荷が降りた反面、言語化できないモヤモヤが心の中を支配した。

しばらくして、ただ漠然と
「私の4年間、本当にこれでよかったのかな。」
と、心の中で大きな声が漏れた。
みんなの作品から漏れ出す熱に、やられてしまったんだと思う。
「私はここまでの熱を持って制作活動をしてきたのだろうか。」と、
自分自身の欲のなさ、渇望のしなさを突きつけられてしまった。

先日知人から、こんな話を聞いた。
「私の最大のコンプレックスはね、芸術コンプレックスなの。」

「小学生の頃、私は誰よりも絵がうまかったの。絵を描けばいつも賞をもらえた。でも中学に上がって、絵を描きたいなって思いながら私は運動部に入ったの。そしたら私の次に絵がうまかった子が美術部に入った。私が筆をとることは次第に減っていって、その子の絵はどんどん上手くなった。でもその子の絵を見るたびに思うの。「私の方がもっと上手く描ける。」って。」

「高校に上がって、私は普通科の高校のダンス部に入った。その子は美術科に進学した。もっと専門的に絵を学び始めたの。やっぱりその子の絵はどんどん上達するけど、でもね、「私の方がもっと上手く描ける。」ってどうしても思ってしまうの。」

「大学に入って、私は久々に筆をとってみたんだ。そうしたらね、中学生のときの彼女の絵よりも、ずっとずっと下手だったんだ。」

淡々と話す彼女の姿はどこか寂しそうで、苦しいような切ないような、なんとも言えない気持ちになった。

卒業制作上映会を経てモヤモヤとした私の心。
私自身も芸術コンプレックスを抱えていると気づいてしまったのだ。

私は昔から、自分の欲望を直視することができない。
なんだか恥ずかしくて、人から評価されることが怖くて、難しい道を歩くことが恐ろしい。文章も絵も演劇も、何も突き詰めないまま大人になってしまった。
故に空っぽなまま、私の心は過去の欲望に囚われている。

そんな私が今の大学を選んだのは自分にとって大きな第一歩だった。
高校時代うつ病で不登校になったことが大きな転機だった。「どうせ死ぬなら好き勝手やって死のう」と思った。だからメディアを学ぶことにした。

1、2年の頃は芸能コースを専攻。舞台演技、音声表現、シナリオ執筆、ステージ演出。毎日本当に楽しくて充実していた。自分の好きな分野だからレポートを書くのも楽しくって、気づいたら学年1位の成績を取っていた。
しかし大学2年の終わり頃。段々と「大学卒業」の4文字が頭をよぎり始めた。心が健康になってしまったからだろうか?要らぬ「人からの評価」を気にする自分が舞い戻ってきてしまった。今のまま何のスキルも培わずにいて良いのかと不安になっていった。私には、芸を仕事にする勇気はなかったのだ。

だから3年からは演出コースに移動した。企画や脚本を学んで形に残せば、私の培ってきたものが可視化される。大学での学びを映像として形にすることは、私が他者からの評価を気にしなくて済む唯一の方法だと思った。
幸い成績が良かったのでコース変更はすんなりとできた。大学では企画・演出を学び、空いた時間には外部で長期インターンに参加し就職活動も無事終了。私が不安視していたことはすべてクリアした。人から「立派だ」と言われる私になれた。これでよかった。

卒制上映会の日、
とある作品を観て涙が止まらなくなった。監督を務めたのは、1年生のときに私と同じく芸能コースを専攻していた女の子だった。その子とは入学して一番最初に行われた実習の班が一緒だった。
当時みんながまだ互いを探り合っている中、地方から出てきたその子は明るい声で「私、物語とか考えるの得意だから構成を担当してもいい?」と聞いてきた。度胸のある子だと思った。

芸能コースから、映画の脚本・監督を志したその子。
芸能コースから、番組の企画・ディレクターへ移動した私。
卒業制作で、短編映画の監督を務めたその子。
卒業制作で、観光番組のディレクターを務めた私。
境遇が似ている。なんだかすごく、自分と重ねてしまった。

嫉妬とも違う。
妬みでもない。
ただ純粋に、彼女が羨ましいと思った。

「好き」で監督を志した彼女と、
「妥当さ」で選択した私。

境遇は似ているけどその性質はまるで違う。
そしてその性質は悲しいかな、作品に表れてしまう。企画立案も演出もそれなりに楽しかった。でも私の心にはいつも「飽きずに見てもらえるか」「ミスはないか」という気持ちばかりで、模範的な感情に支配されていた。作品制作への熱がない私にとっての唯一の正しさは「見れる作品にすること」だったのだ。
きっと彼女は、自分が表現したいことを思い思いに表したんだろうな。苦しくも楽しい制作だったんだろうな。そんな妄想ができるほどに、自由で魅力的な作品だった。

「見れるかどうか」なんて気にせずシナリオを書き続けたあの日々を、レポートを書き続けたあの日々を、今の私は愛おしく思っている。「好き」を基盤に挑戦し続けていたあの日々に帰りたい。私のこの「芸術コンプレックス」は、年を追うごとにひどくなっていくのだろうか。

強く思うのは、過去の自分を羨み人を妬む生き方はしたくないということだ。そのためには今を生きるしかない。未来が怖くても今を思い思いに生きなければ。そうしないと過去に囚われてしまう。それが歪になって心の形まで変わってしまう。「卑屈」は最大の病だ。卑屈な人間にだけはなりたくないものだ。
22歳。まだやり直せるだろうか。


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