父母仲良くインフルA
寝たいからちょっとだけでも寄ってくれるかしら、と、珍しく母のオーダー。普段は平気平気来んな来んなの人なので、これは相当具合悪いんだろうなと。三連休初日の朝の電車は浮かれた親子連れや浮かれたシニアねえさんズがたくさんいて、こっちはそんな気分じゃないけど、まあ皆さん、楽しんでね、はばないすほりでー。
母は脳梗塞で足が不自由になった父を19年介護し、今年の夏のはじめに心臓が悪くなり、あっというまにペースメーカーの人となってしまった。入院した当初は「もうお父さんとは暮らせない」って言ってて、じゃあどうする?どっちがどこで暮らす?って困惑しながら、近所のサ高住まで見学にいったりしたけど、退院して来てからはどうにかこうにか二人でまた暮らしてる。二人とも元気なときはいいんだけど、どっちかが具合悪くなると大変なので、私達姉妹が交互にサポートしに来る。
今回は今週の始めにおそらく通院時に父がインフルエンザをもらってきてしまい、点滴などで治まってきたと思ったら母が寒気がするとのこと。朝、昼とじりじり体温が上がるので、近所のかかりつけ医に電話して診てもらうことになった。
距離的にはたいしたことないのだが、母は自力で歩いていける自信がないという。そこで、父の緊急事態に備えてレンタルしてる車椅子を使うことにした。「こちらにはお車で来ますか?」「いや車椅子で」「へっ?」「えっ?」みたいな会話を看護師と交わした後、初めての車椅子運転で路上に出る。
じゃっかんの下り坂、でも滑り落ちてしまいそうというので後ろ向き歩行。頭の後ろに目がついてたらよかった。もしくはバックミラーとか。歩道の縁石も後ろ向きで乗り越えると上手く行く。しかしこんなにも前、後ろと振り回されて、酔わないもんだろうか。母はわたしに気をつかい、絶えずおしゃべりしてくれるのだが、背面にいる私にはコトバがちょっぴりしか飛んでこない。なんか、ムスメのちび時代のバギーでお出かけを思い出す。バックルでしっかりお腹を留めてやりたい。え、二年前の今日は二人で岐阜旅してた?そうそう恵那の栗はめちゃうまかったね。また食べたい。
発熱から数時間なので検査キットの結果は陰性だったが、医者は状況から判断してインフルエンザで決まりだと思う、薬出しますか?と聞いてくれたのでもちろん処方してもらった。薬局は病院から実家を通り越していったスーパーの一角にある。薬を待ってる間に歯ブラシなどを買う。そのつもりで来てなかったが今夜は心配なのでステイ。
スーパーから実家までは地味に長い上り坂で、息があがってるのを母に気づかれないよう適当な相槌でやり過ごす。薬は食後に飲むと書いてあるので、早めに夕食を並べたのだが、なぜか「いただきます」と薬からごくりと飲んでる。まあ、速攻で喰えばいっか。ほんとは食後って書いてあったら食事終わってから30分後じゃなかったっけ。食間って書いてあったら朝ご飯と昼ご飯、昼ご飯と夜ご飯の間だ。ごはん、味噌汁、薬、おかず、の四角食べじゃないからね。
母が眠った後、父と食事する。昨日妹が来て作ってくれたレモン鍋と炊き込みご飯、母が作っておいた人参サラダ、私が作ったのは冷蔵庫にあったササミをぺったんこにしてスライスチーズをはさんで粉まぶして焼いたやつ。塩分はチーズのみ。デザートはまだ青々としたミカン。具合がイマイチでもしっかり食べられることが父母の強みだと思う。でも念の為アミノ酸系ゼリードリンクを多目に買い込んでおいた。
食事が済んで私が2階にいると、階下でごんっっという鈍い音がした。びっくりして降りていくと、台所にいた父がちょっとバランス崩したという。大事無くてよかった。それから米を炊く父の動作を見守る。米を炊くのと珈琲を淹れるのは父の担当である。ボウルを丁寧に洗い、ザルにうるち米やもち米、もち麦、発芽玄米を独自のブレンドで入れ、水を細く流しつつしゃりしゃりと洗う。炊飯器の釜に移して水加減をちょっと少なめに調整し、タイマーをかける。ザルをたわしでキレイに洗い、水切りかごに置くとき、伏せて置きたくなるけど伏せないほうがリムに水が残らないんだ的な事を得意げに教えてくれた。実家で食べるごはんがなんで美味しいのか、わかった気がした。
後悔してるのは、19年も母にばかり負荷をかけたこと。自分の家庭も仕事もあったなんて言い訳にもならない。なんならこっちの育児も相当助けてもらった。近い将来、この程度のサポートでは済まなくなるかもしれない。でもたぶん、その日が来るのをちょっとでも先延ばしにできる手段はあるはず。そんなことを考えながら、恵那川上屋のサイトなど眺めてる。