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新・暴れん坊将軍感想:たのしいトンチキ江戸時代

2025年1月4日、暴れん坊将軍の新作を見ることができた。
小学校時代は祖父と『水戸黄門』の再放送を見るのが日常の一部であり、『暴れん坊将軍』のことを「風邪を引いて学校を休んだ日限定で見られるちょっとレアな番組」として楽しんでいた私にとっては嬉しい出来事だった。


新作発表を知り喜びの勢いで書いた記事

もっとも、そういった背景が無くても掛け値なしに楽しめる番組だと感じた。
折角なので、感想を書いていきたい。


徳川家重という息子

まず、あらすじを振り返りたい。

久しぶりに貧乏旗本の三男坊“徳田新之助”として町に出た吉宗は、材木商の娘・おきぬが人買いにからまれているところに遭遇。
すぐさま助けに入ったところ、洋剣“レイピア”を左腕で華麗に操る謎の男が助太刀に現れた。
吉宗は、べらんめえ口調で商家の三男坊“徳長福太郎”を名乗る彼の剣さばきに目を見張るが、その福太郎こそ自身の長男・家重であることに気づく。
右腕と顔に麻痺がある家重が洋剣を使いこなし、流ちょうに江戸言葉を話すとは、いったい家重に何が起きたのか!? 吉宗は驚きを隠せず…。

テレビ朝日公式HPより抜粋

上記あらすじを見た時点でツッコミとワクワクが止まらなかったが、実際のお話は期待を全く裏切らないものだった。


覆る印象

個人的に、家重の芝居の第一印象はあまり良くなかった。声の出し方というか、喋り方が妙に芝居がかっているように感じたからだ。
だが、話が進むにつれ家重の秘密が明かされていくと納得した。
彼は顔の麻痺を乗り越え少しずつ話せるようになってきたが、城で使われているような喋り方は複雑ゆえまだ難しく、負担の少ないべらんめえ口調を使っているというのだ。

そちらはペラペラ話せるとは言え、声の出し方に不慣れな部分があったとしても不自然ではない。
私は早々に評価したことを反省しつつ、手の平を返した。


攻めた描写

本作では家重の障害について(史実からのアレンジを加えた上で、という枕詞は付くだろうが)詳細に描かれている。
家重の障害に関して家臣が悪く言ったり、家重が自身の麻痺による特徴的なポーズと表情を真似たりなど、現代社会においては「攻めた」描写があったようにも感じる。
「えっ、いつの間にか『英国王のスピーチ』始まってない!?」というツッコミを入れたくなる場面もあったが、それ込みで見応えがあり楽しめた。

これまで私が時代劇を見ていても障害を意識することはチラホラあった。
夕方に再放送していた水戸黄門ではセリフに不自然な空白(おそらく差別用語を音声だけカットしたのだろう)がしばしばあったし、座頭市では主人公が盲目ということもあってそれに関する差別用語がバンバン飛び交う。
もちろん、「時代劇だから」というよりは「作られた時代が時代だから」という方が適切なのだろうが。

本作では、障害について完全にタブー視せず、かといってダイレクトな差別用語を使うこともなく描いていると感じた。
このあたりは令和ならではのバランス感覚ということだろうか。


隻腕の剣術

家重は右腕が麻痺しているので、片腕でも使えるレイピアを武器に戦う。
かの名作『シグルイ』を想起させる、なんともケレン味のある設定である。『シグルイ』にもレイピアが登場しており、ますます思い出してしまう。

私は隻腕で殺陣をするキャラクターをほぼ見た記憶がない。
有名どころで言えば隻腕・隻眼の丹下左膳がそれにあたるのだろうが、恥ずかしながら未視聴である。
その他で記憶に残っているのは、強いて言えば『木枯し紋次郎』3話のゲストキャラクター(Youtubeで「木枯し紋次郎」と検索すると上の方に出てくる、食事シーンを切り抜いた動画は3話のものである。気付きづらいが、動画内で紋次郎に詰め寄っている男には右腕が無い)くらいのものである。

家重による隻腕の剣術は設定のケレン味だけでなく、殺陣としての新鮮さにも一役買っていると感じた。


受け継がれるセリフ

成敗!

言わずもがな将軍こと上様はすごく偉い人であり、そんな将軍に直接斬られるというのは武士としての名誉に繋がってしまう。そのため上様は殺陣シーンでも基本的に峰打ちで不殺を貫く。
上様が刀を「チャキッ」と鳴らしてお馴染みのBGMが流れ始めるというのが殺陣における定番の流れだが、この「チャキッ」は刀を峰打ち用に持ち替えている音である。
上様が殺陣の最中に歩いている場面などで刀に注目すると、普通の持ち方とは反りが逆になっているので分かりやすい。

下っ端たちは峰打ちで気絶させて放置する上様だが、黒幕は別である。ただし、やはり自らが直接手を下すわけにはいかない。
そこで「成敗!」の言葉とともに御庭番衆が詰め寄り、そのまま始末するのだ。
この言葉は、息子家重にも受け継がれていた。

殺陣のラストで家重がごく自然に「成敗!」と叫ぶ場面では、思わず「おぉ!」と声が出てしまった。


余の顔を見忘れたか

暴れん坊将軍にはお決まりのパターンがある。
敵地に乗り込んだ上様が「余の顔見忘れたか?」と黒幕に対して自分の正体を暗に告げる。
黒幕はある程度の地位があり、上様に謁見した経験を持っていることが多い。本人に言われてから改めて顔を見ると、この男よく見たら徳川吉宗…上様ではないか…となる。
本作における有名なセリフであり、定番の流れでもある。

これも息子家重に継承されている。ただし彼の場合、やや自虐的な要素も加わっている。
家重は「俺の顔を見忘れたか?まあ覚えちゃいねえか」と言いながら首を傾けて見せるのだ。
彼は体の麻痺のため首を傾けていることが多く、言葉も上手く喋れない。城内でそんな様子しか見ていなかった黒幕は、ここに来て初めて目の前の男が将軍家嫡男、徳川家重であることに気付くのである。

威厳に満ちた上様のセリフとは異なり、やや卑屈な要素も含むこのセリフはより家重にフィットしており、魅力的だった。


たのしいトンチキ江戸時代

まさかまさかの江戸ホスト

本作のある場面は衝撃的だった。
いかがわしい光が照らす中、イケメンたちが女性を囲んでいる。
部屋の中央に鎮座するは、シャンパンタワーもとい日本酒タワー。
そう、これは完全にホストクラブである。
本作でホストクラブを見ることになるとは誰が予想しただろうか。トンチキここに極まれり、である。

もっとも、酒などを上手く使って金を搾り取るという構図自体は時代劇に出て来ても何もおかしくはない。
最近見た昔の時代劇にも、酒を飲まされた後に博打に誘導された結果、娘を遊郭に売って得た生活資金をその場で全額むしり取られ自殺する父親が登場していた。娘を買った際に渡した金をその場で「回収」するという、なんとも悪辣なテクニックである。

また、本作における江戸ホストは悪徳ホストクラブ問題を取り入れていることは明白であり、制作陣が何も考えずにトチ狂った江戸時代を描いているわけではないことは伝わる。
上手く言えないが、この突拍子もない描写も安心して受け入れて楽しむことができた


スタイリッシュな江戸Gackt

Gackt演じる徳川宗春は見た目も派手だが行動もド派手なハデハデ人間である。小判がギッシリ入った壺で筋トレをするなど、傾奇者という単語が嫌でも頭をチラつく。

ここまで来ると、流石にわざとトンチキなことをやっているのだと一発で分かる。
こうなると「いや、この描写はおかしいだろう…時代考証が機能していないのか?呆れた…」などと憤る必要はない
「なんでこうなるんだよ!」と笑いながらツッコミを入れればいいのだ。多分。


気になった点

殺陣シーンの迫力

こればかりは年齢もあって本当に仕方ないのだが、若い頃と比べるとどうしても上様の殺陣の動きがゆるやかに見えてしまう。
お年を考えると殺陣ができるだけで十二分にすごいので、個人的に不満点というほどではない。


もう少し見たかった

鉄砲に魅せられてしまった次男はエピローグで自然と元に戻っていた。
また、Gacktが悪事に関わっているようであったが、黒幕が倒されたことで殺陣シーンなどもなく野望も立ち消えになってしまった感もあった。これらはもっと掘り下げが見たかった。

もっとも、これらは不満というよりは純粋な「もっと見たい!」に近い。シリーズ化するとなるとまた感想は変わってくるのかもしれないが、個人的には嬉しいと感じるだろう。


終わりに

時代劇好きの私だが、本作をトンチキ要素込みで楽しむことができた。
ただ、私は20代である。時代劇は好きだが漫画も洋画もアニメもゲームも好きで、それらでしばしば見られる大胆なアレンジや「文脈」に慣れ親しんでいる。
自分の中での理想の時代劇像をなんとなく持ってはいるが、それとは別腹でトンチキさを楽しむ土台を持っていると自負している(矜持が無いとも言う)。

そういったものにあまり馴染みがない方々の感想も気になるところだ。
もし仮に「けしからん!時代劇はこのようなものではない!」と憤る声を聞いたら、それはそれで嬉しいかもしれない(逆に「これでいい!時代劇は本来このくらい肩の力を抜いて見るものだ!」という声を聞いても多分とても嬉しくなると思う)。

時代劇が好きだった祖父に本作の感想を聞きたいところだが、それが叶わないのが残念でならない。
案外、私が小学生の頃一緒に水戸黄門を見ていた時と同じ笑顔で楽しそうに見るのかもしれないが。

読んでいただき、ありがとうございました。


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冒頭で紹介したものと同一である。


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