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Mrs. GREEN APPLEと目が合った瞬間、僕たちはまた輝きだす
瑞々しい音楽と若者たちのエネルギー
ミセスの躍進が半端ではない。ミセス・グリーン・アップルの曲が流れてくると、まるで部屋の窓を開け放ったように空気が入れ替わる。「ライラック」の軽快なギターの音、明るいサビ、透き通るような歌声――全てが眩しいほどに新鮮だ。
若者たちはこの音楽とともに生きているのだろう。
学校の帰り道、友達との他愛もない会話、恋に落ちた瞬間――すべてがドラマティックで、きっとその一つひとつが大切な思い出になるに違いない。
その様子を見ていると、なんだか僕たち大人も心がふっと軽くなる。「ああ、こんな風に日々を楽しんでいた頃があった」と思い出しながら、つい口ずさんでしまうのだ。
羨望、そしてちょっとした批判的な視線
だが、一方で心の中に小さな棘が刺さることもある。「若いって、いいよね」と口ではいいつつも、どこか心の奥底で燻る羨望にも似た気持ちが胸に広がるのだ。
彼らは何も恐れず、未来を信じて突き進んでいるように思える。おじさん達だって、かつてはそうだったはずだ。でも、今の僕たちはどうだろうか?仕事に追われ、日常の雑事に疲れて、未来への希望よりも現実の重さに押しつぶされそうになる日がある。
冒頭写真:©「MRS.GREEN APPLE -UNIVERSAL MUSIC JAPAN HP」
ミセスのような音楽が、今の若者にとって人生の応援歌になるのは理解できる。でも、僕たちがそのエネルギーを素直に受け入れられるかと言えば、少し違うかもしれない。
「何をそんなにキラキラしているんだ?」
そんなひねくれた気持ちが顔を覗かせることもあるのだ。
音楽が吹き飛ばすもの
テレビをつけた時に光り輝く「僕のこと」や「点描の唄」の純粋さや輝かしさは、ゆがんだジェラシーを吹き飛ばすのにあまりある。
今の若者が育つ時代は何分苦しい。昭和、平成時代には進むべきレールがあった。しかし、今の若者達は敷かれたレールすら見えないほど先行きは不透明だ。そして、スマホやSNSの普及で情報は十分に供給されているため、”失敗は許されない”という風潮が世の中にある。「自由」という言葉の裏腹には必ず「責任」がつきまとう。今日を生きるために探すあてもないのに…。
彼らが歌うのは、**ただの青春賛歌ではない。**そこには失敗や迷い、葛藤、そして立ち直りがある。時代や風習などの世の中の閉塞感をすら明るく笑い飛ばす、彼らならではのしなやかさな明るい未来が感じられるのだ。だからこそ、この音楽は僕たちのような大人の心にも響くのだ。
ふと気づくと、胸に抱えていた重たいものがどこかへ行っている。さっきまでの憂鬱さが嘘のように消えて、肩の力が抜けているのだ。
目を輝やかさずにはいられない
ミセスの音楽とともに、僕たちの目も輝き始めている。
彼らの瑞々しいエネルギーに照らされて、もう一度自分の中の「若さ」が息を吹き返したのだ。
若者たちは未来を見ている。
僕たち大人もまた、新しい風に吹かれて前を向くことができる。
今日もどこかで、若者たちが夢中で笑い合っているだろう。
そして僕たちもその笑顔を見ながらもう一度自分の未来を信じてみたくなるのだ。
窓を開け放ち、流れる音楽の向こうに、輝く何かが待っている気がする。