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タミヤの二ツ星マークで思い出した父とオヤジのこと

歳を重ねると、何かをきっかけに突然過去の思い出がフラッシュバックすることがある。先日、仕事の道すがらたまたま目にしたタミヤの二ツ星マークで不意に思い出した父とオヤジのこともそうだった(★1)。
父が生きることのなかった還暦を迎えた今では、40年も前の思い出である。


1.

中年以上の特に男の方なら、かつて二ツ星マークのプラモデルに胸ときめかせた方もいることだろう。
模型好きの父親に加え、同じ苗字を持つ父の親友が近所の模型屋のオヤジである、という環境で育った私も、幼いころからタミヤの戦車や車のプラモデルを組み立てて遊んでいた。

息子の目から見ても、父の作るプラモデルや帆船の模型は精巧を極めており、模型屋の店頭に見本として展示される父の作品を見ては憧れたものだった。
特にハーレーダビッドソンの1/6のプラモデルは、恐らく当時のバイク模型の最高峰の一つであり、その大きさ、精巧さも含め、父の代表作として店頭だけでなく自宅の応接間でも異彩を放っていた。そんな父の部屋には、二ツ星マークのプラモデルの箱がうず高く積み上げられていた。

2.

父は親友が営む模型屋によく私を連れて行ってくれた。父は親友のことを「オヤジ」と呼んでおり、私にとってそこは「オヤジさんの店」だった。
父はその店に行くと長い時間プラモデル談義や昔話に花を咲かせ、時にはオヤジさんのお母さん(私から見るとお婆さん)も入って楽しそうに語らっていた。
退屈した私は途中から一人で店の中をうろついて当時のアニメのプラモデルを見たりしていたが、お婆さんはいつも決まってそんな私に駄菓子をくれたものだった。

しかし小学校卒業前に少し離れた町に引っ越し、中学校に入ってからは部活動に熱中し始めた私は、自分の壊滅的な不器用さに悲観したこともあり、それ以後、自分でプラモデルを造ることからは遠ざかってしまっていた。

3.

そんな私がもう一度だけプラモデルを作ったのは大学生の時だった。大学3年の冬、父の葬儀の参列者の中に模型屋のオヤジの顔を見つけた私は、火葬場からの帰り、何年かぶりにオヤジの店を訪ねた。

オヤジとお婆さんは小学校時代より20センチほど身長の伸びた私を昔のように迎え入れ、今度は父の代わりに私が入って、オヤジとお婆さんと3人でひとしきり昔話に花を咲かせた。
そして帰り際、オヤジは「香典代わりだ」と言って父の代表作であったタミヤの「ハーレーダビッドソン」のプラモデルをくれた。初七日を終えて下宿に戻った後、1ヶ月を費やして作った「ハーレー」は、やはり父のそれには遥かに及ばなかった。

今では父も、オヤジも、そして二ツ星マークの箱がうず高く積み上げられていた実家も皆なくなってしまったが、どうやら私の記憶の宝箱の隅っこで、今も楽しそうに語らっていたようである。


★1(追記)

どうやら私が見かけたのは、地図で見るとこのショールームのようです。

このブログを書くのにタミヤのサイトを探してみましたが、ハーレーダビッドソンのFLHクラシックやブラックスペシャルは既に商品としては取扱いは無くなっているようですね。
若い方はミニ四駆のイメージも強いようですし、最近は女性のモデラ―の方もたくさんおられるようで、40年前で時間が止まっている私も、いつか時間があれば訪れてみたいと思います。

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